いや、もうなんだか帰宅時間が遅い日々が続いてます。写真は朝日が移す鳥の影。
では短くグーテナハト。
雲光る
早起きは三文の得ですね。この時期は夜明けが遅いので、早起きしなくてもいい写真が撮れます。やはり雲があると写真には風情が出ますね。もう少し色変えればよかった。
今日は、祖父の弟が戦死した状況が期せずして判明し、感慨深いです。「永遠の0」みたいです。もう少し深堀りを進めようかなあ、などと。それにしても、当時の戦闘状況が全てスキャンされてウェブで閲覧可能なのには驚きました。
明日は急遽仕事です。
ではグーテナハト。
お月見中。
月見の季節ですね。今日は十五夜。旧暦8月15日です。どうやら織田信長が稲葉山城を岐阜城に改名した日だそうです。
というわけで、先ほど撮ったお月様。私の好みに現像しちゃいました。
今日はシュトラウスのホルン協奏曲2曲とオーボエ協奏曲を。しかし、シュトラウスは奥深い。まだまだわかってないです。
それから、またお仕事をいただけそうで、嬉しい限り。頑張りますよ。というわけで、バルトークの勉強を開始。その前に、ワーグナーですが。
明日でさしあたりウィークデーは終了。あともう一息です。
今日は短くグーテナハト。
過日の夕暮れ。あるいはブロムシュテットのアルプス交響曲
月曜日の夕暮れの様子。台風が去った途端に季節は秋に変わりましたね。夜や朝の涼しさといったら格別です。秋大好き。ずーっと秋だといいんですが。
この数ヶ月、写真をあえて絶っていましたが、さすがにこの夕暮れをみたら、撮らない訳にはいかないと思いました。
なんだかんだ言って、今日はブロムシュテットが振る《アルプス交響曲》を聴き倒しました。
このアルバム、音質最高峰なはずなんですが、iPodで聞くとなんだかざらついてしまいます。最近耳が肥えてしまいまったく困りました。とりあえず取り込み直しましょうか。
以前にも書いたかもしれませんが、小さいころの私はこの手の標題音楽が大の苦手でした。なんで、音楽でそんな「卑近」なことを表現するのか。音楽はもっと深遠でなければならない、とエラソーに思っていたような記憶があります。だからブラームス大好きでした。今も好きですけど。
今はそんなこと思うわけもなく、音楽の中に映像を感じるのが楽しくて仕方がなくなりました。オペラを聴き始めたからということもあるんでしょう。
シュトラウスならこんな夕暮れにどんな曲をつけますかね? あ、Im Abendrotって曲がすでにありましたね。
では、グーテナハト。
つれづれ写真館
この写真も、先日の旅行にて。窓からとっさに撮りました。本当はもっと違う構図にしたかったのですが、おじゃま虫が登場して、思ったようにはならず。この構図の方が(言葉は変ですが)、人生を表すのかも。
本来写真は説明してはいけないはずで、フォトコンなどで題名をつけるのも、いかがなものか、と思います。そういう意味では私はブラームス=ハンスリック派的ですね。
違う見方もあるんでしょうけれど。
写真で見る新国立劇場
2011年6月に、コジ・ファン・トゥッテのオペラトークに行った時のこと。いつもは午後に出かける新国立劇場なのですが、お昼前に初めて入ってみると…。
何だか神々しく素晴らしい雰囲気。計算してこういう構造になっているとも思えませんけれど。
多分、初夏にしか見ることのできない光景なのだと思います。
写真で見る新国立劇場
以前から撮りためていた新国立劇場の写真から。劇場前の池と階段です。
浅い池に水を張って、海や湖、川などをを想起させる手法は、最近良く見かけます。私にとっては新国立劇場で見たのが初めてでした。
オペラの演出でも舞台に水を張ることがあります。新国立劇場だと、オテロ、ヴォツェックがそうでした。
水面を見るだけで、その下に無限の空間が広がっているような気分になります。底なしの無限の空間は、劇の背後広がる無限の解釈多様性を象徴しているように思えます。