Movie

NHKBSで放映されていた「シックス・センス」を見ました。本当にいまさら。1999年公開。

ネタバレは厳禁なので、詳しくは書きません。
いえることは、物事を打開するためには人に求められていることに応えることなのでは、ということでしょうか。

常々感じていることでもあり、なにか使い古された言葉でもありますが、他者への貢献が、自らを助けると言うことは本当に良くあることです。
それは人間だけではなく、たとえば植木に毎日水をやるという行為にも、植物との感情の交感があるように思え、それが主観的な想像であったとしても、助けられていることは事実なので、主観的な想像でありながら、客観的な事実へと転化するものでもあるわけです。

つまるところ貢献自体が自らのミッションにもなり得る、ということでもあります。

自利利他という言葉があるようで、利他がひいては自利になるということと聴きました。過剰な利他はともかく、自利と利他が円環を形成できればいいのですが。

そういうことを感じながら観ました。

(ネタバレにならないように書くのは限界ありますね…)

 

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

先日書いた「アリスのままで」のエントリーのなかで、最終シーンで語られる挿話について書きました。その挿話の出所がわかり、うれしく思っています。

この挿話は、もともとは劇作家トニー・クシュナーの手によるものとのこと。

私の心を打った最後の部分の原文もありました。

Nothing’s lost forever. In this world, there’s a kind of painful progress. Longing for what we’ve left behind, and dreaming ahead. At least I think that’s so.

永遠に失われるものなどないのだ。たしかに、この世において歩みを進めるということはある意味苦しいもの。過去を恋しく思いながらも、将来に夢を見る。つまるところ、そういうものなのだ。

(私家訳)

永遠というのは、時間を超えて過去にも未来にもあるもの。時間と空間という形式において存在する世界において、その時間の中で歩みを進めると言うことは、戻らぬ過去を振り返りながらも、まだ来ぬ定められた将来を夢見て想像し、あるときは希望を抱きあるときは不安を抱く。瞬間瞬間の時間において生きる私たちにとっては、そうとしか生きられないと言うこと。

記憶を失うということは、過去も未来も失うのだが、つまるところ、今この瞬間を生きると言うこと。過去も未来も我々が創っているものである以上、存在しているのは「今ここ」だけなのではないか。

辻邦生の言う「今ここをに生きる」「今ここに打ち込む」ということが、最近さまざまなところで気づかされます。


10月に入り、いろいろなものが動き始めた気がします。年末に向けて頑張らないと。どんどん涼しくなる季節。どうかお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

表題の映画を見ました。昔NHKで放映されていたようで、録画のなかに遺っていたのでした。

優秀な言語学者アリスは、50歳の誕生日を迎えた。子どもたちにも恵まれ、幸福絶頂。だが、若年性アルツハイマーとなってしまい、自我を失っていく…。

自我を失うことはどういうことなのか。過去の記憶と未来の記憶を失うということは、人間としての存在が失われること、と理解していました。

しかし、どうもそうではない、とも思わせる最終場面でした。娘のリディアが創作したと思われる挿話を聴いて、アリスは必死に言葉を探し、なんとか「愛Love」とつぶやくのです。

その挿話とは、宇宙へといくつもの魂が旅立つ様を描写したものでした。

飛行機に乗って、1万メートルのオゾン層の境界へと到達すると、戦争や飢餓で命を落とした人々の魂が上ってくるのが見える。オゾンと魂の成分は一緒だから、オゾンの破れたところを魂が網のように補完していく。進歩とは、失ったものへの哀惜と未来を夢見ると言うことである……。

何をもって、その挿話をアリスが「愛」と表現したのだろうかと。「愛」にはいくらかの種類があります。昔、哲学の授業で習いましたが、アガペー、フィリア、エロス、ストルゲーの4種類。

魂を引き上げるという感覚においては、神の愛アガペーを感じたのでは、というのが普通の解釈です。あるいは、自分へと読み聞かせてくれている娘リディアの愛情か?

おそらくは、アリスは実際に魂が宇宙へと上っているのをいているのではないか? そしてその魂が神の手に抱かれ、オゾン層=宇宙と一体化している様を観ているのではないか。たしかに、そのシーンのアリスは何かを見つめるようなまなざしであるかに見えましたし……。

自我を失ったアリスは、逆になにか神々しささえ感じます。自我を失って一体何を見て誰と会話しているのか? アメリカの上流階級の生活とその中に忍び込む神秘あるいは神聖な空気という感じでした。

邦題は「アリスのままで」ですが、英語は「Still Alice」。「まだアリス」という訳を思い浮かべましたが、それは切迫し直截的がゆえに、「アリスのままで」のほうが品がいいですね。

それでは。おやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

最近、深夜に帰宅してから映画を観ることが日課になっています。NHKで放映された映画を1.2倍速でクイックに観ています。2日に1本ぐらいのスパンで観るのですが、現世を忘れ、癒やされて、次の日の仕事に向かう原動力になります。

先日観たのが「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」。1992年の作品で、アル/パチーノ主演。

苦学生チャーリーは、友人たちが学校で犯した悪戯を目撃していたが、校長にその友人たちの名前を白状するか悩んでいた。その週末、退役将校スレードをアルバイトで面倒をみることになった。スレードはかつては大統領の側近を務めるほどの軍人だったが、過ちを犯し視力を失い退役し人生を悲観し気難しい男になっていた。スレッドはチャーリーを連れてニューヨークへ赴き、ある計画を遂行しようとしていた。チャーリーは、週明けの懲罰委員会で、友人たちの名を告白するか苦悩していた……。

最初はあまり期待することなく見始めましたが、中盤に挟まれたすさまじい場面に衝撃を受けましたのです。スレードが、人を待つ若い女性ドナを誘ってタンゴを踊るシーン。夜中でしたが、いや、夜中だったからなのかもしれませんが、観た途端に「これが美だ」という直感とともに、涙が溢れ出し、その涙に困惑しながらも、そのうちに涙に身を任せて、ただただスレードとドナが踊るタンゴを観るだけになってしまったのです。

視力を失った退役将校を演じるアル・パチーノは、瞳を全く動かすことはなく、ドナを演じるガブリエル・アンウォーも、当初戸惑いながら踊り始めますが、そのうちにタンゴに没入していく感じ。カフェで突然踊り出す二人の様子を、カフェの客たちもスタッフたちも徐々に意識し始め、最後にはカフェにいる全員が彼らの踊りに引きつけられていく。一滴のインクが水の中で拡がっていき、最後にその場が美で満たされるいく感覚。さらに「ポル・ウナ・カペサ」という曲の持つ柔和と鮮烈のコントラスト。

なぜ、これが美だ、となったのか。

インクが拡がるように、物語世界のなかで、タンゴという美的なものが空間を支配していくプロセスを見たから、でしょうか。

視力を失ったスレードとドナがタンゴを通して心を通じていく様をみたからでしょうか。

「ポル・ウナ・カペサ」の鮮烈なサビのフレーズに心をつかまれたからでしょうか。

要素要素は思いつきますが、総体的なマテリアルが美を感じさせた、ということなのでしょう。こればかりは、頭でわかって書いてもなにか空疎なものに入れ替わってしまいます。

先日から、何度何度も観て、観るたびに涙がでていましたが、20回ほどみてようやく落ち着きました。分析的に見始めたことで、当初見たときの感動が失われていったのだとおもいますが、なにか寂しくおもいました。

この映画、最後の懲罰委員会のシーンも実に感動的で、おすすめです。まだまだ世界にはたくさんの美しいものがあります。

そういえば、金曜日の夜みた消防車のナンバーが1992でした。そのときは、辻邦生「ある生涯の七つの場所」を読んだ年がちょうど1992年だったな、と思ったのですが、実はこの映画が公開された年でした。1992年は思い出深い年です。

それでは、みなさま、よい土曜日の夜を。おやすみなさい。

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先日、BSで放映されていた映画《男と女》をみました。

有名なタイトル音楽はもちろん知っていますが、実際の映画を見たのはお恥ずかしいことに初めてでした。なるほど、こういう映画だったのか、と。もっとドロドロとした愛憎劇を予想していたのですが。

とにかく映像が美しくて驚きました。ドーヴィルの風景がとてもとても美しく、なんだか夢の中の世界のようでした。夕暮れの海岸。暗くうねる鉛色のイギリス海峡。

ドーヴィルはノルマンディーの海岸の保養地です。プルーストの失われた時を求めてのカブールの近くでもありますし、あるいは辻邦生の短篇の舞台となっているル・アーブルの近くでもあり、これまで文学の中で慣れ親しんだ土地の風情を感じました。

さらには音楽の美しさ。シャンソンというか、ジャズというか、ボサノバというか、クラシックと言うか、とにかく映画の中の情感と音楽が緊密にマッチしていて、音楽だけで映画の中に込められている感興を感じることができます。

それにしても、出てくる登場人物達が、全身全霊を込めて生きているということに感銘を受けました。

主人公ジャン・ルイは高名なレーサーです。そしてもう一人の主人公であるアンヌの夫はスタントマン。いずれも危険と隣り合わせの仕事です。

以下、ネタバレ。

ジャン・ルイの妻は、ル・マン耐久レースで事故にあったジャン・ルイを心配するあまり、発狂して自殺すると言う設定。そしてらアンヌの夫は、爆破シーン撮影中に事故で亡くなっているという悲劇。夫にあるいは仕事に全身全霊を捧げた末の出来事。

さらに、ジャン・ルイもアンヌもすごいです。

アンヌは、知りあって間もないというのに、モンテ・カルロのレースに勝利したジャン・ルイに「愛している」という電報を売ってしまう。電報を受け取ったジャン・ルイは、モンテ・カルロからドーヴィルまで、フランスを一晩で横断して会いに行きます。
(この夜間のフランス横断は、なにか辻邦生の短篇「夜」を思わせるアイディアです)

それに祖手も、これが生きると言う事なんだな、と思います。この危うさに身を焦がしながらも、自分の情感に従って生きていくと言うありかた。これが辻邦生の言う「全身的に生きる」という事ではないのか、と思います。こんな生き方、日本では無理だなあ、と思います。が、せめてイデアールな世界のこととして心の中に大切にしまっておきたいものだ、と思います。

さて、ともあれ、明日からまた1週間が始まりますが、列島は台風縦断中です。東京地方もいよいよ風が激しく、窓の隙間から風が吹き込むかんだかいうなり声がしていて、幾分か心が乱れます。みなさま、どうかお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

仕事場へ向かう列車の中で、たまに映画をみます。Amazon プライム会員になってしまっているのですが、プライム会員ですとAmazon Primce ビデオに含まれる映画が、追加料金なしに観られます。

で、みたのが映画「コンタクト」。1997年発表です。私は、映画館で観た記憶は定かではないのですが、DVDを買って何度か観ました。

この「コンタクト」はカール・セーガンのSFが原作です。

異星人からの通信を傍受。そこに含まれる巨大なマシンが建造され、発見者はマシンに乗り込み宇宙へ、というストーリー。

中学生の頃に原作を読んでいました(日本語訳で)。観た理由は、中学の理科の先生が勧めていたから、という漠然とした記憶があります。ネタバレになるので書きませんが、最後のVTRに関する興味深い事案について、嬉しそうに語っておられたような。その中学の理科の先生が、何年生の先生で、だれだったか、という記憶も定かではありません。さらに、勝手な記憶で、プラネタリウムの番組として「コンタクト」が取り上げられていたという勝手な記憶も・おそらく、同じカール・セーガンの「コスモス」の勘違いと思います。

で、くだんの原作「コンタクト」ですが、30年前の記憶では、ひたすら宗教の話ばかりでした。そうか、アメリカでは進化論を学校で教えることができないケースもあるのか、という驚きを中学生ながらに感じたのを覚えています。科学と宗教の対決というテーマは、映画では重点から外されている感があり、どちらかというと政治に翻弄される科学、というテーマを強く感じました。

しかし、きっと、異星人とのコンタクトは、映画の中で示唆されたように、実際にはあったとしても秘匿されるんだろうなあ、と思います。今でもそうしたコンタクトがなされている、というオカルト的な宇宙人関連の話は、枚挙に暇がないのは周知の通りでもありますし。いずれにせよ、パラダイムシフトが起こり、あらゆる価値がよい方向なのか悪い方向なのかわかりませんが、ガラリとかわるんだろうなあ、と思います。

それにしても宇宙は巨大です。こうした巨大な宇宙がほかにもたくさんあるらしい、という話もききます。巨大すぎて想像できません。存在論は危険な魅力をはらんでします。考えると社会生活を送れなくなると思いますので、ほどほどにしないと。

というわけで、きょうはここまで。みなさま、よい一日を。

Movie

最高の人生のつくり方 [DVD]
アメイジングD.C. (2015-06-03)
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この映画も面白かったですね。少し時機を逸しましたが、ディケンズの「クリスマス・キャロル」を思い出しました。

偏屈な老不動産屋の元に、その存在すら知らなかった孫娘が現れたことで生じる化学反応、というのがあらすじです。

とても安心してみていられる映画でした。

それで、何より凄かったのが、ダイアン・キートンの歌ですかね。最終部分で、「いそしぎ」を歌うのですが、いや、めちゃかっこいいです。まあ少しばかりの傷はあるにせよ、いい雰囲気でした。演出もいいんですよね。聞いている老紳士が、ダイアン・キートンのトークや歌に徐々に引き込まれていく姿が描かれているんですが、その老紳士はあくまで背景なのでピンがあっていないという状況で、ピンが合わなくても、そういう心情が伝わるということとは、その俳優さんの演技の素晴らしさと、演出の妙なんだろうなあ、と思いました。

あれ、「いそしぎ」を調べたんですが、この映画「いそしぎ」の最後は、怪我をした鳥を空に羽ばたかせる映画なんだそうです。この「最高の人生の作り方」も最後鳥を飛び立たせるなあ、と。意図しているとも見れそうです。

あともう一息で2015年も終わりです。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

カルテット!人生のオペラハウス [DVD]
ポニーキャニオン (2013-11-02)
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面白い映画でした。

音楽家のための老人ホーム。存続資金を得るためのガラコンサートを、老いた音楽家たちが企画している。そんな時に、ホームに入ってきた老ソプラノ歌手は、ガラコンサートに出演する老歌手のかつての妻だったのだが…。

というストーリー。

一番驚いたのは、あのグィネス・ジョーンズが出演していたことです。エンドロールで気づいて、本当に驚きました。物語の中で、年を重ねてもなお歌うことを恐れる、という主題が出てくるのですが、グィネス・ジョーンズは、映画のなかで、実際にその恐れを克服している、あるいは感じていないかのようにおもいます。 
実際、グィネス・ジョーンズと同じく、高名な演奏家が出演していて、演奏を披露してくれます。リアルです。

今日はこちら。

Salome

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Polygram Records (1994-08-16)
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グィネス・ジョーンズの豊潤をサロメを聞くことができます。フィッシャー=ディースカウのヨカナーンも最高。
それでは、おやすみなさい。

Johannes Brahms,Movie

Photo

先日、風の強い日に噴水が強風に煽られ波立っていたので撮ってみました。石で固められた都会にあって、こういう池や噴水の水にはホッとします。

今日は一日中フルスピードで頭を動かして、仕事場を出てからも、とあるインターネットプロバイダーに苦情を言いながら契約を更新するなどしたもので、なかなかヘビーでありました。

帰宅の電車では、こちらを観ているところです。前から見たいと思っていましたが、Amazonプライムビデオに入っていたということで、通勤電車でも見られるようになったという感じ。

まだ見ている途中ですが、設定としては、ビーチャムハウス、という、おいた音楽家のための老人ホームが舞台です。これ、ヴェルディの作った老人ホームにインスパイアされているんだろうなあ。

老オペラ歌手が、オペラについての講義を学生たちにしている場面があるのですが、本当にいいことを言っているなあ、と。曰く、かつてはオペラはぶっ飛んだ若者がやっていたものだが、いつしか、上流階級のものとなり魂を奪われた。それは、まさにラップと同じく、言葉に乗せて人生の痛みを語るものなのである、みたいな感じだったか、と。ちょっと翻意が入っていますけれど。

老オペラ歌手が、黒人の若い男性にラップを歌わせるシーンは、ちょっとジーンときます。

カルテット!人生のオペラハウス [DVD]
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映画は、90分から120分の間に、プロットをギュッと詰めますので、とても勉強になりますね。人生勉強にも文学の勉強にも。

今日はこちら。今日、感銘を受けたのは、第一楽章最後のティンパニーの打撃。あの加速度的な破壊力は本当に何かがほとばしっています。それから、第四楽章。これも、鋭さを持ちながら、厚みのある音作りで、何か民族的なものを思わせる悲しみに満ちたテーマが、絶妙なテンポ感で料理されていくさまは本当に圧巻です。クライバーは本当にすごい指揮者です。

ブラームス:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第4番

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クライバー(カルロス)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2011-09-07)
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まあ、こう考えると、先日書いた、以下の引用が身にしみていて、それを今更やっているんだと思います。

たくさんの本を読め 、できるだけたくさんの映画を見よ 、せいいっぱい音楽を聴け 、たくさんの人に会え 、多くの経験を積め 、そして空想の羽ばたきに身をゆだねよ !自由を楽しめ !

で、若さは相対的概念である、という点も含めて。頑張らないと。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Movie

今日はこちらを観終わりました。

大統領の料理人 [DVD]

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フランス大統領ミッテランの希望により、大統領官邸エリゼ宮の料理人となった女料理人の物語。

誇大なキャッチフレーズにはなれているからいいですが、これは、まさに、権威と真実の戦いの物語。料理人である主人公はもちろん、権威のトップの大統領でさえ、その権威の網から逃れられない。権威はすべてを動かす。料理人をスカウトするためさえ、列車の発車を遅らせるわけほどの力を持ちます。

それは、とかく、権威の長、つまり大統領や社長よりも強大な力を持つわけです。劇中、ミッテランは、自分はいじめられている、とこぼすわけですが、権威が権威の長をも支配する、トイう類例でしょう。

この、灰色の巨大なアノニムな権威は、崩れることなく、過去から綿々と続いているのですね。

ルイ・フィリップの時代から使っているという銅の鍋の話はそれを物語るし、衛兵はローマ時代のデザインの兜を今もなおかぶっている。大統領は、エリゼ宮というかつての王宮に住み、家臣は、フランス国王に対するような受け答えを今でもしています。

2000年にも及ぶ権威はそうそう崩れることはなく、真実や個々人は常に敗北します。自由と革命の国フランスにあってもなお。

そういう物語だと私は解釈しました。

今朝方、尊敬する伯父が亡くなりました。

人生というものは、失敗と悔恨でできている、と言っても過言ではありません。

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伯父とは、もう10年も会っていませんでした。それが悔恨というもの。

ですが、私の記憶の中には、ずっと元気でいてくれています。私のエピソード記憶は半端なものではないのです。

学生時代は、毎年夏に行って、一緒に海水浴をしたものです。真っ赤に背中を焼いたあの夏の日々はもう帰りません。海岸沿いを伯父と二人で走り回った日々も戻りません。奈良に出かけて、昼間から日本酒を飲んだ日々も戻りません。

今思えば、伯父の生活スタイルが、遠い日に見た私の理想の生活スタイルなんだろうなあ、と思います。

人生の中でも、ずいぶん短い間しか会っていないような気がするのですが、若い頃に受けた影響というのは、本当に強く、その後の人生を左右するものなのです。

私は、それもこれも全部覚えていますから、伯父とは何度も何度もいつでも会うことができるでのだ、と思います。

おやすみなさい。グーテナハト。