映画「アリスのままで」
表題の映画を見ました。昔NHKで放映されていたようで、録画のなかに遺っていたのでした。
優秀な言語学者アリスは、50歳の誕生日を迎えた。子どもたちにも恵まれ、幸福絶頂。だが、若年性アルツハイマーとなってしまい、自我を失っていく…。
自我を失うことはどういうことなのか。過去の記憶と未来の記憶を失うということは、人間としての存在が失われること、と理解していました。
しかし、どうもそうではない、とも思わせる最終場面でした。娘のリディアが創作したと思われる挿話を聴いて、アリスは必死に言葉を探し、なんとか「愛Love」とつぶやくのです。
その挿話とは、宇宙へといくつもの魂が旅立つ様を描写したものでした。
飛行機に乗って、1万メートルのオゾン層の境界へと到達すると、戦争や飢餓で命を落とした人々の魂が上ってくるのが見える。オゾンと魂の成分は一緒だから、オゾンの破れたところを魂が網のように補完していく。進歩とは、失ったものへの哀惜と未来を夢見ると言うことである……。
何をもって、その挿話をアリスが「愛」と表現したのだろうかと。「愛」にはいくらかの種類があります。昔、哲学の授業で習いましたが、アガペー、フィリア、エロス、ストルゲーの4種類。
魂を引き上げるという感覚においては、神の愛アガペーを感じたのでは、というのが普通の解釈です。あるいは、自分へと読み聞かせてくれている娘リディアの愛情か?
おそらくは、アリスは実際に魂が宇宙へと上っているのをいているのではないか? そしてその魂が神の手に抱かれ、オゾン層=宇宙と一体化している様を観ているのではないか。たしかに、そのシーンのアリスは何かを見つめるようなまなざしであるかに見えましたし……。
自我を失ったアリスは、逆になにか神々しささえ感じます。自我を失って一体何を見て誰と会話しているのか? アメリカの上流階級の生活とその中に忍び込む神秘あるいは神聖な空気という感じでした。
邦題は「アリスのままで」ですが、英語は「Still Alice」。「まだアリス」という訳を思い浮かべましたが、それは切迫し直截的がゆえに、「アリスのままで」のほうが品がいいですね。
それでは。おやすみなさい。グーテナハトです。
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