マーラー:交響曲全集 オムニバス(クラシック)、アルノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1995/07/07) ユニバーサルクラシック この商品の詳細を見る |
マーラーの交響曲のうち、始めて聴いたのがこの「復活」でした。これも昔書いたことがあるかもしれませんが、小澤征爾さんがタングルウッドで復活を振った場面をテレビで観たのです。終楽章フィナーレに激しく感動したのでした。荘厳で重厚な音は、それまで経験したことのない音でしたし、あるいは、アプリオリに経験していたけれど、それまで知らなくて、聴いた途端に自分が持っていたある種のイデアと合致したと言う感じ、をうけました。始めて聴いたのですが、始めて聴いた気がしない、そんな妙な感じだったのを覚えています。 それから、カセットテープを買ったのですが、ショルティさんが振った復活でした。そのCDを繰り返し繰り返し聞いていたので、復活と言えばショルティ、と言う感じでした。 今回アバド盤を聴いているわけですが、速度はショルティ盤に比べて段違いに遅いです。ですが、一つ一つの音価を大事にしているというのがよく分かります。一音一音の意味を拡大鏡で覗いている感じです。ゆっくりになればなるほど難しいと思うのですが(速いのもむずかしいですが)、オケも頑張ってついてきています。第五楽章の冒頭のコントラバス、ショルティ盤とはリズムが明らかに違う気がしました。復活にもスコアの相違があるのでしょうか? 継続調査します。
今日は6時に起きたのですが、昨晩のつかれもあったので、少々昼寝。夕方は、後輩の結婚披露宴に出席。二次会に誘われていたのですが、やむなくお断りして21時過ぎに帰宅。良い結婚式でした。ピアノをBGMでひかれていたのですが、ヘンデルの水上の音楽や、バッハのフーガ、ベートーヴェンの「春」などをピアノに編曲して演奏されていました。生演奏はやはり良いですね。
辻邦生「小説への序章」を待ち時間の間にぱらりぱらりと読んでみました。この堅牢な評論のテーマの一つが小説が普遍性を獲得するためにはいかにするべきか、と言うものです。普遍性を獲得するには、全てを記述すると言う方法もあるのだが、この現代社会に於いてはそれは不可能となった。従って、逆の方向、拡散する情報を追いかけていくのではなく、自分の主体の中に沈潜していく。研ぎ澄まされた主観はあるとき全体を把捉しうるアノニムで普遍的な主観へと昇華していく。そこにおいて普遍性を獲得するのである、という論調だったと思います。こうしたアノニムで普遍的な主観へと純化していく方向は、カントで言えば超越論的認識であったり(これは科学の普遍性を獲得するための方法論ですが)、ルソーで言う内面への転回であると思いますし、禅の悟りの境地や、キリスト教で言う神の啓示といった境地をさしているのだと思います。
ランキング参加中です。よろしければ応援してください。
クリック→
皆様のおかげで、まだ10位以内に入っております。ありがとうございます!