Ludwig van Beethoven,Symphony

東京はすっかり春めいてきました。黄砂が訪れたかと思うと、南からの暖気に覆いつくされた感じで、昼休みの散歩も爽やかな気分。木々も花を咲かせ始めていますし、タンポポやスミレがいたるところに見られるようになりました

。今朝の往路は英語のお勉強。ヒアリングしながら英語の文書を読む感じ。基本的に辞書はその場では引かないで、とにかく量を読んで覚えていこうという魂胆。でもあとで引くんですけれどね。

会社の昼休みは、先だってラトルの指揮で聞いたベートーヴェンの交響曲第二番をアバドが振るベルリンフィルの演奏にて。ラトル盤よりも重心が低く落ち着いているのですが、それでいて彩度も高いです。もちろん技術的な面では堅牢ですので、まったく不安感を感じさせない。音量調整もラトルほど先鋭的ではないです。アーティキュレーションが強調されていてそこがこの曲のアバドらしさといえるでしょうか。

ベートーヴェンの交響曲はこの数年間はあまり聞いてきませんでしたが、先日のペーター・シュナイダーさんの振る4番の実演に接したら、その魅力にとらわれたという感じでしょうか。古典的とはいえ、かなりアグレッシブで意表をつくフレーズが出てきたりして面白いのです。これはモーツァルトの魔笛を聞いていたときにも思っていたことです。ただ心地よいだけじゃなくて、そこにはバラの棘のように引っ掛かりがなければならない、ということなのだと思います。ブルノ・ワルターが「音楽は晴朗な地中海などではなく、黒々とした大西洋なのだ」といったようなことを言っているのですが、まさにそういうものですね。

個人的なカミングアウトですが、この2週間はそういう意味ではちょっと日和見的な音楽選択に終始していました。本当はオペラを聴かないといけないのに、フュージョン音楽を聴いていましたので。まあ懐かしかったので良かったのですけれど、昔良かったと思えた曲が、今聞くとまったく満足できなくなっているというのは、時代が進んだからなのか、私の歳のせいなのか、というところで、ちょっとさびしさを覚えた次第です。