辻邦生「天草の雅歌」
また、辻邦生を読んでいます。今度は「天草の雅歌」です。三回目です。
一回目はなんだか話しの面白さにぐいぐいと引っ張られて、最後まであっという間に読んだ記憶があります。15年ほど前でしょうか。その後もう一度読んでいるはず。10年以内だと思われます。少なくとも2006年以前だと思います。
この小説は、辻邦生初の三人称小説です。それまでは、すべて一人称小説だったわけですが、ここが一つの転機になったとのこと。私は辻邦生的な一人称小説が大好きですので、この「天草の雅歌」を読んでいて、パースペクティブが変わるようなところでドキドキしてしまいます。やはり少し勝手が違うところがあるかもしれません。
とはいえ、物語としても大変素晴らしい作品。江戸時代初期、まだ鎖国体制が確立していなかった頃の長崎を舞台にした、外国貿易を取り巻く血なまぐさい政争と、それに巻き込まれていく混血の美少女のコルネリアと長崎奉行所通辞の上田与志の物語。こう書いているだけで胸がときめきます。当時の政治経済の情勢が手に取るように分かる歴史小説でして、この物語がフィクションであることを知りながらも、それでもなお、物語世界が実在として迫ってくる力強さがあります。
当時の日本は、鎖国が成立していませんので、外国貿易を推し進めようとする勢力と、それに抗う勢力の争いは絶え間ないものでした。それにくわえて、キリシタンの問題がありましたので、ますます事態は複雑化しているわけです。そうした問題は、おそらくは天草島原の乱が最大の分水嶺となって、鎖国への道を駆け下りることになるわけですが、そこに至るまで、思いのほか饒舌な歴史が眠っているということがよく分かります。
もちろんこの物語はフィクションですし、歴史小説とは、史実と付かず離れずで成立しているものですので、そのまま史実とは言えますまい。ですが、辻邦生の他の作品と同じく、フィクションとはいえ、極めてリアルな真実在とも言えるような、なにか手を触れることの出来る実体のようなものを伴ったものですので、きっと長崎に行けば、上田与志やコルネリアの姿が見えることでしょう。
先日読んでいた「嵯峨野明月記」でもそうでしたが、細部に至る細かい描写が手に取るように感じられて、通勤電車の中にいながらも、気分はすでに当時の長崎に居るかのような思いを感じます。個々の描写は実にビジュアル的で、映画を見ているようにも思います。辻邦生師は、映画もお好きだったのですが、小説のシーンを、映画のワンシーンのように切り取ってビジュアル化するところは実に巧みだと思います。
今年の旅行はどこにしようかと思っていたのですが、長崎が候補に挙がっています。というのも、全集で「嵯峨野明月記」を読み終わって、解題を読んでいたときに、辻邦生が「天草の海の色は素晴らしい」と書いていることを知ったからです。残念ながら、長崎には行ったことがありませんので、本当に興味深いのです。また、長崎の教会に行けば、少しは西欧に近づけるかもしれない、という思いもあります。本当に行けるといいのですが。
ディスカッション
今日は。過去記事に書き込み失礼いたします。
先月ようやく「嵯峨野明月記」を読了いたしました。圧倒的な感銘を受けましたが、何から申し上げたらいいのやら、キーを叩きながら迷ってしまいます。辻作品、特に嵯峨野や西行は、上川様は、(私などから見ると)研究し尽くしておられるように見えますし…まず上川さんが哲学専攻でらっしゃることを羨ましく思います。私は、哲学的・論理的思考が全くできないダメ文学士ですから…一応英文ですけれど…ニーチェとかシェーペンハウアーとか西田幾多郎とか名前聞いただけで頭が痛くなります(笑)。辻先生は、希代のストーリー・テラーであると同時に哲学小説家でもあったと思いますので、そういう観点から辻作品を楽しめる貴殿が羨ましい限りなのです。私なぞは、「なんてストーリーが面白いんだ」「なんて描写が情景も心理もうまくて美しいんだ!」「なんて女性キャラクターが魅力的なんだ!」といったミーハー的な観点からしかこの天才作家の作品を楽しめないダメ読者ですので…
嵯峨野は、内的独白の手法の使い方が、矢張り見事だなと改めて思いました。プルーストなんかの手法を自家薬籠中のものにしてますよね。ストーリー的な面では、土岐の女と光悦がああいう関係になるのが少し意外でした。光悦の淡い初恋か何かで終わると思っておりましたので…それとこれはツイッターでも書きましたが、学問の世界と実業の世界に引き裂かれた与一が安らぎを求めて死病の上臈と交わるのが、辻先生が尊敬してやまなかったT・マンの「ファウスト博士」や「ヴェニスに死す」を思わせるものがあって興味深かったです。ただ、くどいようですけれど、論理的思考力がないのでマンも小説は、ほぼ全部読んでおりますが、「非政治的人間の考察」などは手も足も出ないです。それと光悦・宗達・与一の三人とも辻先生の分身なのでしょうね。大学時代の先生でシェイクスピアのことを「百万人の顔を持った沙翁」といった方がおられましたが、これって絶対辻先生にも言えるよなーと思ったりしました。
いつもコメントありがとうございます!
嵯峨野明月記は辻邦生の最高傑作ではないか、と思います。現実と芸術の間での苦悩に満たされながらも、それを超克しようとする意図が感じられ、本当に素晴らしいものに仕上がっています。私も、この数年読んでいませんでしたが、また読まないと、と思います。
プルーストやマンとの関連のご指摘はさすがですね。わたしはそちらがなかなか難航していて、勉強になりました。越後のオックスさんは英文科でいらっしゃるのですね。わたしは、英語もシェークスピアもからっきしです。辻邦生もやはり中に様々な人格をかかえておられたようです。そうでないとあんな書き方はできないのですが、それはそれできっと苦しいことでもあったのでは、と想像しています。