ピーター・グライムスの境涯は?──新国立劇場の「ピーター・グライムス」が感動的な件 その4

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なんだか引っ張りまくっていますが、今日もピーター・グライムスについて。

ピーター・グライムスの子供時代

先日から、ピータ・グライムスはどういう境涯だったんでしょう、などと考えることしきりでした。

ピーター・グライムス、きっと親に暴行されながら育ったんだろうなあ。

自分はそうされたくないんだけれど、そうしか出来ないんでしょうね。育てられたようにしか育てられないのが普通です。

で、そうした自分が本当に許せない状態。自己分裂しているわけです。

ピーター・グライムスの夢

そうしたことをすべて解決するのが、漁をして金を稼ぎ、村人を見返す、という、ほとんど無理な夢である、というのもあまりにリアルで怖いです。

こういう人って結構居るんじゃないかな。

今居るところで、がんばって見返してやる、みたいな。

でも、体制的あるいはシステム的に無理なんだけど、みたいな。パースペクティブを変えなければ実現しないのだが、パースペクティブを変えられない、あるいは変えられるという視点を持っていない、という状態なんでしょう。

家への憧憬

あとは、「家」に対する憧憬が端々でみられました。

おそらくは不幸な子供時代で両親から十分に愛されることはなかったはず。だから、自分の本当の両親が別のところにいるはずで、その「家」を常に追い求めているはずです。決して辿り着くことの出来ない「家」を探し求めるわけです。

女性の最も偉大なことは、女性の存在は「家」となることです。ピーター・グライムスにとっては、エレンとの結婚が大きな目標ですが、それは「家」を探し求める過程にあるはずです。

たどり着けない目的地

しかし、きっと、エレンと結婚しても、破局は免れないでしょう。ピーターの理想は高すぎる。現実を受容することが出来ないほど。

そうした理想を徒弟にも求めるから、乱暴するわけですね。。

必死に生きているんですが、生きれば生きるほど空回りして、周りから浮き上がっていくような感じです。

 

結局、今週末も仕事になりました。また行きたいのですが、無理ですかね。。忙しすぎですが、「海猿」の対策本部のような仕事状況になっています。

 

それでは、フォースとともにあらんことを。