先日の話の繰り返し。
老ギタリストの会話で最も感銘を受けたのは以下のような会話。
「モーツァルトは生まれながらにして技術を持っていて無意識界にコネクトすることが出来た。シンフォニー全体(whole)を頭の中に細部に至るまで保持することが出来たのだ」
「それはどうしてなのでしょう?」
「それは、彼がその人生の前のいくつもの人生において研鑽を積んでいたからだ。人間に出来ることは有限だ。人生は短い。にもかかわらず、それが出来るのは、前世において研鑽を積んでいたからにほかならない」
途方もない怪しい考えかもしれませんが、天賦の才とか、生まれながらにして、という能力を合理的に説明する方法は、実はこれしかないのかもしれないなあ、などと。
偉大な才能と触れる機会が多ければ多いほど、こうした直観に行き着く可能性が高いのかもしれません。
だとすると、来世があるから、何歳になっても努力する意味があるということになります。死を目前にした老人となってもなお向上するためには、現世を超えたものを想定するのは、方法論的にはまっとうです。
人生は経過点に過ぎない、ということなんでしょう。
私も、ずいぶんものごとを諦めましたが、そうそう諦めることもないのかもしれません。
次の世界で生きるかもしれませんからね。
未来のわたしをもっと大切にした方がいいなあ、と思います。
これ、仏教思想では常識なのかもしれませんが、恥ずかしながらそちらのほうは不勉強ですねえ。反省。
今日は振替休日で、たまった作業を順次片付け中。
それでは。