はじめに
我々日本人は知識として知っているだけで、体感することが難しい概念に「国民意識」や「自由の渇望」というものがあるのではないか。
この考えは、特に目新しい考えではありません。19世紀まで鎖国をしていましたので、国家間戦争の体験が少ないということや、西欧帝国主義への対抗措置としての富国強兵や、第二次大戦後の占領といった外圧によって、フランスが勝ち得た自由主義というものを与えられた、など、西欧諸国と異なった歴史をたどったのが日本という国です。
ですので、オペラを観るに際しても、あるいは西洋音楽を聞く場合に際しても、日本という場所を超えて、当時の西欧諸国の状況を思案しなければならない場合もあると考えています。
マクベスにおける反体制運動
マクベスにおいて、原作にはない合唱が挿入されている箇所があります。第四幕の第一場のスコットランド難民の合唱「虐げられた祖国」です。
コンヴィチュニーの演出においては、合唱団が歌い始めると客席の照明が付けられます。ありがちな演出なのだそうですが、これは合唱の内容は、観客にとってもアクチュアルな問題なのである、という事を気づかせるための仕掛けです。
日本も敗戦であったり震災であったりと、国土が荒廃することがあるのです。のうのうと劇場の座席に座っているわけには行かないのではないか、そう思わせる瞬間です。
この部分、原作にはないにもかかわらずなぜヴェルディは挿入したのかは、よく知られているように、当時のイタリア統一運動に端を発していると考えられます。
合唱は民衆の代弁です。こうやって、世論を汲み取り、芸術へ昇華し、政治への働きかけを試みているといえます。
イタリア統一とヴェルディ
**※ 本件については異論あります。(2013年5月18日追記)別稿「ヴェルディがイタリア統一で果たした役割の謎 」シリーズに記載しておりますのでそちらもあわせてどうぞ。**
ヴェルディがイタリア統一運動において特別な立ち位置にあったことは周知のとおりです。
Vittorio Emanuele Re D’Italia イタリア王、ヴィットリオ・エマヌエーレ の頭文字を取るとヴェルディになったため、民衆は、しょっぴかれることなくヴェルディ万歳!と連呼したというのは有名なエピソードです。当時のミラノはオーストリア領でイタリア統一運動は反体制運動でしたので。ヴェルディは時代にも愛されたのでしょう。
若いころは、イタリア統一を意識したオペラを作曲していましたが、実際の政治に関わりたくなかったという側面もあるようで、統一後のイタリアで国会議員になりましたが、あまり身を入れることはなかったようです。
終わりに
この本もヴェルディの項目を読み終え、ワーグナーの項目に入りましたが、言説はオーソドックながらも、考えをまとめるのに恰好な一冊です。
というわけで、連休も終わりに近づいています。3日も5日も会社に行きましたので、休んだ気がしません。まあ、人生「仕事」なんで仕方ないですね。