Photo

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GW終了ですね。
GW中、何枚か写真を取りましたが、近所ばかりです。トンネルの中に新芽が入っているような、そんなイメージ。
いくらかできないミッションはありましたが、最重要のミッションは終了しました。あ、最大のミッションは休養だったのですが、こちらはなかなかうまく行きませんでした。
昨夜はひどいもので、23時に寝たのですが、2時に置きてしまいそのまま3時間ほど眠れませんでしたから。理由は、夕方にスタバに行ってヴェンティを飲んだからと思います。夕方のカフェインは禁物です。
ではまた明日から平常へ。グーテナハトです。

Apple Music,Music

2015/09/30追記
2015/09/30現在、iTunesMatchと同じと思われるApple MusicのiCloudミュージックライブラリを使っていますが、私の環境においては、楽曲の情報が勝手に書き換えられるという事象は再現して居ないようです。

2015/09/22追記:
続報的な記事はこちらから → iTunes Matchの制限曲数は10万曲になるのか?

2015/12/13追記:
さらに続報の記事はこちら。 →  iTune Match 10万曲に! だが注意点も!

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昨夜ツイートしましたが、iTunes Matchに関する悲痛な投稿を発見してしまいました。
iTunes Match & Classical Music
この記事の一番下でpuzzlemuseという方が投稿されています。
その方がおっしゃるには、アルバム名がiTunes Storeで規定されているものにリネームされてしまったといいます。作曲家と楽曲名で整理していたのにそれが塗り替えられてしまったとか。
以下引用します。

I only listen to classical music on my iTunes, and when my spouse installed iTunes Match for me it was a bad experience

First of all all my playlists and play counts disappeared. Then, everything iTunes found a match it would rename that album to whatever it was called in the store. Well classical alb,a don’t usually have titles, so any old thing would pop up. One album came out as “featuring Vladimir Horowitz" with no indication of what the music was. I had organized my entire library by composer and piece, so this was really heart attack inducing for me.

In the end, I wasted the 25 dollars by turning it off permanently, and using my Mac time capsule to restore my library to the version before iTunes matched was installed. In my opinion it is NOT good for classical music lovers.

想像される事態は以下の様なものでしょうか。
私が持っているCDで、iTunes Store でも売られているものでMatchしてしまいそうなアルバムとして、ラトルがベルリン・フィルの音楽監督に就任した時の記念コンサートで演奏されたマーラーの交響曲第5番の音源がありあす。シュテファン・ドールが第三楽章で舞台の前に出てきて、ホルン協奏曲のように演奏したあの音源です。

どうやら、アルバム名は、「Mahler: Symphny No.5」、アーティスト名は「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団&サイモン・ラトル」、作曲者名は「グスタ
フ・マーラー」になるようです。
ですが、この調子で名前を付けられると、整理がつかなくなるということは、私がiTune を使い始めた2003年頃からわかっていたことです。アルバムによってはアーティスト名はアルファベットだったりしますし、アルバム名もアルファベットだったり、指揮者名がついたりと規則がバラバラでしたので。
私は以下のように整理をしているのです。

アーティスト名は、作曲者名とかぶりますが、作曲家の名前に統一しています。演奏者だと複数登録できないと思い込んでいるので。演奏者はアルバムタイトルに入力しています。私が曲を選ぶときは、演奏者からではなく作曲家からアクセスすることが多いからです。
冒頭に紹介した「悲痛な投稿」から類推すると、iTunes Storeの音源とMatchした音源は、Store上のタイトルに置き換わってしまうことになるのでしょう。Matchしない音源はこれまでどおり、Matchしたものは変えられてしまう。もし本当なら私もpuzzlemuseさんと同じく心臓発作で倒れることでしょう。
この類推には、iTunesの納得出来ない現仕様を思い起こさせるものです。ジャンルの置き換えの問題です。かつてのiTunesでは、アルファベットのジャンル設定ができたのですが、いつからか日本語のジャンルに勝手に置き換わるようになりました。少なくとも2008年にはそのような仕様になっていました。これまではパッチをあてて回避していましたが、iTunes 11になってからはそのパッチも聴かず、上記スクリーンショットのように不本意ながら「交響曲」というジャンルに甘んじています。
iTunes Matchを知った時のそこはかとない不安は、こうした記憶があったからでした。
やはり、私の場合、導入をためらわざるを得ません。もちろん、前述のリンク先には、そうではない意見もあります。特にご自分でアルバム名やアーティストの規則を作っておられない方は導入の価値ありと思います。
どなたか、良い情報があればお教え下さい。
となると、私の場合、来るべきiPod Classicの廃盤に向けた対策を独自に考えざるをえないということになりそうです。
ではグーテナハトです。

Symphony,Wolfgang Amadeus Mozart

GW二日目。
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近所の畑で撮りました。この赤い花はなんでしょうか。。なんか東京近郊ばなれした風情です。
今朝は、会議をすっぽかし、重要情報を誤って持ち出し、はてどうしたものか思案する、という悪夢?に苛まれながら目覚めました。
昨日で仕事は名実共に休止したはずなんですがね。
GW中は、この数ヶ月の疲れを癒しつつ、とあるプロジェクトを進めるために専心しており、毎日22時には就寝し、6時半に起きる、という生活を実践しようとしています。もちろん時間割も作って。今のところ、今朝の悪夢のようなすっぽかしは発生していませんけれど。
音楽もよく聴いていて、チェリビダッケのハフナーにいたく感動しています。シュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナー集に含まれているものです。

ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調
シュトゥットガルト放送交響楽団
ポリドール (2000-04-01)
売り上げランキング: 102,351

いつもはジェフリー・テイトの全集版でモーツァルトの交響曲を楽しんでいますが、テイトのそれより、チェリビダッケのハフナーのほうが、湧き立つような典雅さを感じるのですね。これを聴くと、テイトの演奏がどこか機械的なものに感じてしまうぐらいです。
チェリビダッケといえば、重厚長大な式をするイメージが有りますが、モーツァルトやベートーヴェンは驚くほど軽やかに演奏します。この演奏もそうした方向に変わりはありません。
明日も早起きをしたいものです。
というわけで、本日はこれにて。グーテナハトです。

Book

黒田如水
黒田如水

posted with amazlet at 14.05.03
(2013-10-22)

吉川英治「黒田如水」読みました。黒田如水は黒田官兵衛のことです。今年の大河ドラマですので、いきおい盛り上がりました。
Kindleは無料ですので、みなさまもよろしければ是非。
吉川英治を読むのは高校以来かもしれません。講談調ともいえる古風な歴史小説の趣が息づいていて、なんとも懐かしく、そして「感動」しました。
白眉は、織田信長が自分の過ちに気づくシーンでしょうか。
黒田官兵衛が信長に謀叛した荒木村重に囚われる場面。
信長は、黒田官兵衛が荒木村重に加担したと誤解し、人質にとっていた官兵衛の息子松千代を手打ちにするよう命じるわけです。松千代を預かっていたのが竹中半兵衛ですが、もとより松千代を手打ちにするつもりなどなく、偽首を信長に届けてお茶を濁すわけです。
結局、荒木村重は敗北し、官兵衛は加担どころか、一年にも渡って監禁されており、満身創痍で信長に面会するわけです。信長は、残忍な処罰を下しますが、そうした処罰は常に正しい判断に基づいていたという自負がありました。ですが、今回は官兵衛が寝返ったものと早合点してしまったわけです。
信長が、官兵衛に松千代を手打ちにしたことを知らせるところで、竹中半兵衛と若武者が登場します。この若武者が松千代。のちの黒田長政。竹中半兵衛は、信長に、自分は主君の命に背き、松千代を手打ちにしていなかったと告白し、ここで腹を切る、というわけです。
それを聞いた官兵衛は、松千代に、親同然の竹中半兵衛が、お前のために命を落とすのだから、お前もここで武士らしく腹を切れ、と命じます。
ここに至り、信長は、半兵衛を許し、自らの過ちを認めることになります。
という、この小説のクライマックス。ここで、いくばくかの感動を覚えてしまいました。感動をしたのは、信長が後悔する、という部分についてなのですが。
やはり、日本人はこういう忠君物語が大好きです。
高校生の頃には、純然たる歴史小説としか読めないのですが、会社組織を知った身にとっては、完全なまでな組織のメタファーになっています。
日本人は昔から変わらなかったのか、吉川英治が当時の日本人を歴史に投影したからか、吉川英治をはじめとした歴史小説のパースペクティブが日本人を形成したからなのか。
少なくとも、ここに描かれるのは、現代日本組織におけるごくごく普通の人間模様でした。ここに描かれているような忠君模様が、いまの日本を支えているのかもしれません。
ちなみにこの小説が発表されたのは1943年1月から8月です。太平洋戦争真っ只中で、例えば1943年4月には山本五十六が戦死するなど、敗色が濃くなる時期にあたります。
随所に見られる、天下統一の大業のためなら我が子の命など仕方が無い、という台詞は、もちろん執筆当時の状況を反映しているでしょう。この小説を読んだ「父親」は何人もいたはずです。
いろいろと考えることの多い一冊でした。
ではグーテナハト(?)です。

Music

でましたね、iTunes Match。

でましたね、iTunes Match。

iTunesで買った音楽はもちろん、自分が持っている音楽もクラウドに上げることができるというわけです。
iPodのコンセプトが、音楽を全て持ち歩くということであれば、iPodに入りきららない音源があったとしても、それはクラウドに載せていれば、ネットが繋がっていればどこでも聴くことができるようになる、という事になります。
年間3980円というのも、考えようによっては高いとも言えません。iPod Classicalは、カカクコムによれば25000円程度です。iPhone8GBモデルを持っていた場合、6年間使えばペイするわけで、リーズナブルと思います。
つまり、これはすでにうわさにあがっていたiPod Classicの終焉を意味するものと思います。別に大きいハードディスクを積まなくても、クラウドに上げておいていつでも必要なときにダウンロードして使えばいいよね、ということなのです。
iPhoneの8GBさえ持っていれば、事足りる、ということなのです。ですから、もう昔ながらのあのiPod Classicの終焉が近づいている、と予感してしまいます。

気になる制限事項

気になる制限事項。iTunesストアで買った曲以外については、2万5000曲が限度である、とされています。
コレが問題です。特にオペラリスナーにとっては。
ポップス、ジャズなどは、いいですよ。1曲で完結しますから。
ですが、オペラのCDでは一曲あるいは一幕が幾つものトラックにわかれていて、それぞれが1曲として計算されてしまいます。
たとえば、ばらの騎士の場合、ハイティンク盤は、62曲から構成されています。カラヤン盤は48曲から構成されています。
私は、iPod Classicを2台持ちしていまして、クラシック音楽とジャズ系音楽をそれぞれわけています。昔はひとつでしたが、入りきらなくなりましたので。
変な写真ですが、うちの二台のiPod ClassicとiPod touchです。
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私の場合、クラシックを入れているiPod Classicは21,210曲、ジャズを入れているiPod Classicは、8,368曲ですので、あわせて、25,000曲をゆうに超えます。従って、私はこのiTunes Matchの利点を享受することはできません。

もう一つの懸念点

もう一つの懸念点。クラシックの場合、iTunes Matchでただしい曲と紐付くのでしょうか。ポップスやジャズと違い、特にアルバム名の付け方が揃わないケースが多いでしょう。いまでもアルバムアートワークが正しくひもつかないことも多いのです。
(逆に思いもよらない曲が紐ついてきて、得してしまうケースもあるかもしれないですが)
というわけで、私にとっては興味深くはあるものの、デメリットも少なくないように思えてならないiTunes Matchです。もう少し眺めましょうか、と思います。なにかよい情報やアイディアがあれば教えていただければと思います。
ではグーテナハト。

Book

いまさら感あり、なかなか恥ずかしさもありますが、以下の本を読んでみました。寝ながらは学べないので、電車の中でKindleで読んでいました。

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 1,483

構造主義の先駆としてのマルクス、フロイトを取り上げ、その後構造主義四銃士として、フーコー、レヴィ・ストロース、ロラン・バルト、ラカンを取り上げた入門書です。入門書ならではの深みと面白さというものがあり、今回読んでとても楽しかったです。
現在の相対主義的価値観が、どのように生じたのか、ということがよく理解できます。
私は、構造主義とは兎にも角にも主体が失われ、普遍的妥当性と客観的必然性が形式以外のところで失われる過程と捉えました。それは、まさに現代のあり方を捉えています。あるいは、構造主義が現代を作ることに加担した、ということなのだと考えました。
そういう文脈でとらえると、ロシアのクリミアへの勢力伸長や、中国の南シナ海や東シナ海での勢力拡大といった、力による現状変更も、国際秩序というある種の相対的価値観に囚われることなく、別の論理で説明のできるものだ、と思いました。
また、齢を重ねてから再びこういった哲学関連書を読むというのは実に興味深いものが有りました。特にラカンのオイディプスコンプレクスのあたりは、世の中を渡り歩くためには極めて重要な実践的概念だと思います。
ちなみに、同僚に構造主義を知っている人はあまりおらず、さすがに一般には知られていない概念なのだなあ、ということを再確認しました。こういう乖離も、舞台と客席の乖離につながるものだと思い、難しさを感じることがよく有ります。
今日の音楽はこちら。ディーリアスのフロリダ組曲。なにか落ち着く一曲。

ではグーテナハト。