徐々に体調も回復してきてやっとまっとうにオペラが楽しめるようになってきました。体は疲れてますし、昨夜はたまたま観た映画(Cast Away)を見てしまい夜更かししてしまったんですが、特に眠気にさいなまれることもなく、劇に引き込まれた3時間でした。
《カヴァレリア・ルスティカーナ》も《道化師》もヴェリズモ・オペラですので、色恋刃傷劇で、愛憎にまみれて人が男人も死ぬんですが、悲劇はカタルシスですので、心が洗われた気がします。多分。
舞台には、シチリアに遺されたローマ時代の円形劇場が設えられています。これがまたリアルすぎでした。左手にはオリーブの古樹があって、ギリシア風の円柱の残骸がいくつかころがっているという、まあアルカディアのような風景です。本当にリアリティのある舞台でした。
《カヴァレリア》も《道化師》もおなじくこの円形劇場が舞台ですが、なにか共通の趣向があるわけではありませんでした。たとえば、《カヴァレリア》事件の夜に《道化師》事件がある。あるいは、《カヴァレリア》の登場人物が《道化師》の脇役で出演する、といった繋がりがあるとまた面白いなあ、などと想像していたのですが。
《道化師》はなかなか面白い趣向です。サーカス一座の登場は、ありがちではありますが、キャストが客席から登場します。専用のビラまで配ってました。それからカニオは、殺人を犯したあとに、客席のドアから逃げ出します。これも舞台と客席がつながっていました。こういう客席と舞台の一体感は楽しいですね。この客席と舞台の融合をずっと続けるパフォーマンスがだともっといいですね。
《道化師》はよくよく考えると第四の壁を最初から取り除いているのですね。トニオが役者の心情を切々と歌い上げますが、それは劇中の役者の心情なのか、実際の歌手地自身の心情なのかが曖昧になってくる、という趣向は、これも常套ではありますが、興味深いものです。
それから、後半の劇中劇の場面も面白いですよね。劇と劇中劇が混在していきますので。劇ではネッダとシルヴィオが不倫関係に有り、劇中劇ではコロンビーナとアルルカンが不倫関係にあり、被害者はカニオということで、混乱しているカニオは、両者の区別が付けられなくなってしまう、という、ありがちですが、そうした混乱の緊張感は手に汗を握りますね。カニオの逸脱を、ネッダがなんとか元に戻そうとするあたり、とか。
ともかく、劇と劇中劇においても虚構と現実の境目が曖昧になるということは、劇と観客の境目も曖昧になっているように感じられ、観客が引き込まれやすい構造になっていました。
とりいそぎグーテナハトです。明日も書きますね。
新国立劇場《カヴァレリア・ルスティカーナ》&《道化師》その1