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土曜日に、重い腰を上げてなんとかwindows 10を導入してみました。
なんなんでしょうね。この感覚は。なんとも言えない寂しさというか虚しさのようなものは。
私が初めて使ったWindowsは、3.1でした。Windowsというだけあって、Windowが何枚も格子状に敷き詰められたデザインになんだか圧倒されたものです。
初めてバイト代はたいてかったPCもやはりWindows3.1でした。あれは本当に嬉しかったですね。安いモデムを大学から譲ってもらって、ガーガーならして電話に繋いで、という感じでした。
あの頃は、まだWindowsにも未開の地があって、若い人もワクワクしながら使っていた記憶があります。
Microsoft WordもMicrosoft Excelも、なんだか新しくて、これからは、ロータスではなくMSOfficeだ!みたいな、盛り上がりがあった記憶があります。
ですが、あれから20年が経って、なんだかMicrosoftはビジネス向けの製品ばかりで、なんだか面白くないなあ、という感じです。
フォントも新味に欠けるし、操作性も全く変わりません。Windows8で、あまりに操作性を変えて大不評だったからということもありますが、なんにも変わっていないのです。
先日、とあるIT企業のセミナーに出席する機会がありましたが、Microsoftのプレゼンテーションは、組織で働くものとしては大変魅力的でした。これまで20年間にわたって蓄積されているOfficeファイルが引き続き使えるわけです。こうした今の資産の活用のなかで、新たな使い方、例えば、クラウドを利用したり、テレビ会議などのコミュニケーションをアップデートしていくという考え方です。
組織の一員として、これは、現在の有形無形の資産を活かしつつ、新しい物を取り入れることができる素晴らしいオプションであると感じたのです。
ですが、FacebookやLINEやYoutubeを知っている身にとっては、あれ、だから何?という感じになってしまうわけです。
こうしたことはコンシューマ向けサービスでは、無料かそれに近い金額で行うことができているものです。それを、わざわざ企業向けにプレゼンをしているということに違和感を感じてしまうわけです。
企業向けのコンピューティングにおいては、サービスレベルやセキュリティといった、コンシューマ向けにはない要素があるのはわかっています。また、IT部門が実際にはコンシューマ向けITリテラシーを理解するのが難しい状況ということもわかっています。
ですが、そうはいっても、5年ほど前から分かっていることを、Windows10とかOffice2016を通して、企業のエグゼクティブな担当者に説明しているということに虚しさを感じたのですね。
時代はその先を行っているのに、組織や企業は10年以上前の旧態依然としたコンピューティングが残っていて、その面倒を見ているのがWindowsである、という状況。
やたらとセキュリティを重視するあまり、逆に不自由になるほどの統制をかけてしまうという状況。
なんだか、ITの先にはバラ色の未来があるように錯覚していた20年前に比べると、現在の世界は完全に統制され管理された、まるで「1984」のような世界が広がっているという状況。
うーん、なんだかなあ、という感じです。
Micorosoftの担当者の方は「新しいMicrosoft製品で生産性を上げましょう!」と言っていました。ですが、別の会社の人は「生産性も大事ですが、創造性が大切です!」と言っていました。
これもなんだか端的にMicrosoftの立ち位置を表しているように思えてならないのです。
これも、先日も書いたかもしれませんが、フランス革命のあと、ウィーン会議における反動に落胆し失望する感覚と似ているのかも、と思いながら過ごしています。
次のイノベーションはいつ来るんだろう?
昔に比べると、グローバル化が進み、時代の動きが加速している昨今ですので、次のイノベーションもそう遠くない未来に待っているかもしれません。
そこでは、人々が幸福になっているといいのですが。
今日は字ばっかりのエントリーですね。しかもコンピュータ。でもこれも一つの文化批評だと思いますので、あえて。
それでは、みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。