瞬間の光が人生の意味か。

2017-02-22

昨今、喜ばしいことが、そのまま喜ばしいとは思えない、という感じ。逆にいうと、忌まわしいことも、そのまま忌まわしい思わずにすむ、という感じでもあります。

あらゆるものには、表裏があります。ポジティブシンカーは、悪い出来事にもプラスの価値を見出します。ということはその逆も可能。どうも、歳を重ねて。両方できるようになってしまったらしく、そうなると、あらゆることに喜怒哀楽がなくなってしまう、という状況なのかも。いや、喜怒哀楽は起きたとしても、それをカッコでくくってしまうということなのかも。だから、世の中は透明で平坦だと思うわけです。

資本主義の世界では、一応、経済は発展するので、景気の波はあれど、長期的には発展していくことになっています。こういう平坦な気分も、上・下の波を均して見た結果なのですが、それが、資本主義経済のように上昇基調だと良いですね。

きょうもやはりブルックナーの7番。ティントナー。

Bruckner: Symphony no 7 / Tintner, Royal Scottish National Orchestra
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平坦な気持ちで仕事場を出ましたが、ブルックナーが本当に心に染み込んできました。別の指揮者のブル7も聞きましたが、それはドイツロマン派の文脈でした。しかし、ティントナーのブル7は多分ドイツロマン派の文脈ではなく、やはり何かイタリア的な明るさが含まれているような感じで、このままこの世界に没頭したいという気持ち。無人島に持っていく一枚は、このティントナーのブル7かもしれない、という気持ち。

このティントナーを聞いた幸せな気分は平坦な気持ちではありませんでした。こういう、はたから見るとささやかな「上向く気持ち」の積み重ねが、波を均したときに、総体で上へ向くことになるということなのかも。つまり、生きることのほとんどは均された平坦なものなのですが、ほんの少しの「上向き」のために、せっせと波を均して、時々訪れる「上向き」を待って少しずつ上向かせているのかも。「上向き」の機会を注意深く補足していかないと。

それは、まるでニュートリノの光芒、あるいは超新星の輝きを探るのと似ているのかもしれず、そうしたほんの少しの瞬間の光だけが人生の意味なのかもしれない、などと思います。

明日もまた仕事場で頑張らないと。ただ、仕事場だけで頑張るのも問題ですけれど。

まだ少し寒い日が続くようです。みなさま、お体にお気をつけてお過ごしください。おやすみなさい。グーテナハトです。