文庫で再刊された辻邦生「背教者ユリアヌス」全四巻を読み終わりました。
とにかく、最後の四巻は、ユリアヌスの死へと至る悲しいコーダのようなもので、それは、「トリスタンとイゾルデ」や「ニーベルングの指環」のような救済もなく、ほとんど「ビーター・グライムス」か「ヴォツェック」のような終幕感だなあ、と今は感じています。
辻文学を「美と滅びの感覚」と評した文章の記憶があります。まさに、「ユリアヌス」は美と滅び。史実ながら、現実に感じる無力感に通じるものがあり、悲劇的です。私の今の読み方は、あまりに悲観的で、それは、なにか現実解釈が歪んでいるからなのでしょう。終幕に至る途中の楽章で語られた美しい調べがあまりに切ないのです…。
20年ぶりに読み返しました。今は、初めて読んだ学生時代には感じることのなかった現実世界で感じる空しさを知っています。だからこそ、胸が痛みます。
そして、この読み方は、きっと間違っている、そうも思います。
今日読めたのは、仕事の帰り道で、文学作品を読むことにしようと決心したからです。どうも仕事の関連する本ばかり読んでしまう嫌いがありましたが、それを変えたいなあ、と思ったので、というのが理由です。おかげでなんとか読み終わった感じ。明日の帰宅もやはりなにか文学作品を読もう、そう思います。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。