辻邦生『パリの手記』より『空そして永遠』を読む

先日の講演会のあと、私は最近、あまりにも時間が取れず、辻邦生をあまり読めない、ということをある方に話したところ、その方は「毎日五分読めばいいんですよ」と言われました。

確かに。

ということで、早速、「パリの手記」を読み始めました。今回は、趣向を凝らして、最後の巻「空そして永遠」から読み始めました。

この巻ら、私の大好きな「サラマンカの手帖から」のもととなるスペイン旅行記から始まります。もちろんサラマンカを訪れたときのことも。

サラマンカで泊まったホテルは、やはり、エル・アルコ。老婆、美人の奥さん、美男のポーイは、「パリの手記」にも登場しています。両替に「グラン・ホテル」に行くのも同じ。コロンブスへの言及もありました。そして、イカとエビのフライを食べたのもおそらくは実話のようです。

ここから、あのジプシーの少女がどのように登場するするのか…。興味は尽きません。

辻邦生はあとがきにこう書いており、詮索はあるいは無意味なのでしょう。

この『パリの手記』の出版はそうした作品の世界を説明したり補足したりするために行われたのではない。ある意味ではそれらと『パリの手記』とは別個の独立した世界と考えることもできる。むしろそこに一個の閉ざされた空間があると感じられた故に、私は、それを明確な形で所有したいと考えたのだ。

さて、スペイン。

私は行ったことはありませんが、この辻邦生の描く半世紀前のスペインが、私のスペインになっています。全てを放擲して、スペインへ向かうことを夢想しますが、おそらくは、辻邦生のスペインはありません。私のスペインがあるだけでしょう。

同じく、私のドイツもあれば、私のイタリアもあります。この考えが、あのポン・デ・ザールで辻邦生が得た直観なのか、と思います。それは、いわば、各々の閉ざされた空間です。そして、こうした閉ざされた空間の交わりもやはり文学の機能であり、意味なのだろう、と考えます。哲学的な間主観性とはまた違う原理です。

また長く書いてしまいました。他の仕事もあるのですが、ついつい。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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