Tsuji Kunio

この「二人だけの秋」では、エマニュエルの親族が持つ城館で、深くなってゆく秋を過ごすことになりますが、時に寒くなる時期に暖炉のぬくもりが広がっていく感じが、なにかとても印象的に感じます。

エマニュエルはいつも謎めいてはいながらも深いフレーズを話します。主人公とエマニュエルの会話は、ジャズのインプロバイズのように、転調しながら続くような気もします。

この会話の感じは、同じ選集に収められている「サラマンカの手帖から」に登場する二人とよく似ています。

二人は、夫婦のようでもあり、恋人同士のようでもあり、しかし、なにか学術に関する仕事をしているようにも思います。

その二人が、スペインを旅してサラマンカに行きつきます。灼熱のスペインの荒野を走る列車に乗りながら、おそらくは冷房のない熱い車内をレモンの果汁を口に含みながら旅をして、サラマンカに行きつき、深夜の食堂で魚のフライを食べて、ジプシーの娘の踊りを見る。

それはもしかすると辻夫妻が欧州を旅した会話にもよるのではないか、とも思いますが、もちろん現実がそのまま書かれているわけでは全くなく、イマージュへと昇華し、全く別のものに鋳なおされているように思います。

「サラマンカの手帖から」の最後、主人公はこういいます

そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね。そして何かにむかってゆくのさ

この言葉、いつも感動します。しかし、私も、裸足でオレンジを齧ることができるのでしょうか。

それでは。

Tsuji Kunio

辻邦生の短篇選集を手に取りました。つまみ読みしてみました。「ある生涯の七つの馬車」から、「二人だけの秋」。主人公とエマニュエルは、秋に城館で過ごしているのですが、そこで起きる失踪事件とその背景を知ることになります。

というと、なんだかな、という感じですが、この後ろには二つの物語があるわけですね。一つはスペイン内戦にかかわる物語。もう一つは主人公とエマニュエルの物語。この短編を読むだけでは、その二つの物語はわかりませんが、100編の短編を読むとわかるようになっているはず、です。ただ、分厚い文庫本7冊を読み切るのは時間もかかりますし、記憶も薄れます。私もスペイン内戦にかかわる物語は一本の筋で見ることはできていない気がします。

しかし、主人公とエマニュエルをめぐる物語は何か一貫した筋書きのようなものが表れている気がします。この「二人だけの秋」は、100の短編の終盤に配置されているものですが、実は、主人公とエマニュエルは、一時期別生活を送っており、再会に際しての緊張感のあと、なにか関係を取り戻していく過程においての短編が「二人だけの秋」であり、そこに現れるなにか、主人公とエマニュエルの間で交わされる、美しく豊かな言葉のコミュニケーションを読むと、静謐な安堵があり、それは混沌から秩序へと移る物語構造の完成への道程を感じさせるものでもあったりします。

その安堵と構成美を感じることで、何か私も、この短篇を読んで、とても幸福な気持ちになりました。

あすもつづくかもしれません。

それでは。

Miscellaneous

早起きは継続中。

昨日は、3時に起きたのですが、さすがにきつかったので、今日は3時50分に起床し、午前中は実に生産的に仕事ができましたが、お昼前には息も絶え絶えになりました。午後は会議にいそしみ無事に一日を終えた感じ。

やはり、朝の時間は生産的です。今日もいろいろと面白い発想ができてきますが、当然発想を現実のものにするのは骨の折れることです。とかく、発想ばかりしていると批判されがち。しかし、発想しないと現実にはなりませんので、それはそれで仕方がないことです。ただし、発想する人もやはり汗をかかなければ、発想の妥当性自体が疑われますので、努力し続けることでもあり、量的な充実も必要だと思います。つまるところ、量より質、というような言説もありますが、質を生み出すためには一定の量塊が必要になります。資料をAIに作らせて、結果を出してサッと帰宅しましょう、というような考えもたまに耳にしますが、不思議なことにそうした資料には迫力がなくなるものです。なんてことを考えながら帰宅中。。

Miscellaneous

昨日はインドの方と話す機会がありました。インドの人口は14億を超えています。日本の10倍ですので、すごい方々もやはり10倍いらっしゃることになるので、目が眩む思いをします。いつも何か親近感を覚えてしまうのは、なぜなのでしょうか。インドに昨年行った時に、日本との類似をたくさん見つけました。ひな祭り、祇園祭、埴輪。家の作りも、沖縄のそれと似ていたなあ、と。世界は古代から繋がっていたんだな、と実感しています。

こちらは昼食に食べたビリヤニ。おいしかった。

それでは。

Miscellaneous

セザンヌ風、人生は波。GPT作。

オリンピックで盛り上がっていますが、割と気にしないようにしています。が、今週はさすがに盛り上がったようで、私も、ニュースをいくらか見ました。あれ、もう、今週で終わりなんですかね。。早いものです。浮き沈みがあるのはどんな人生でも変わらないようですが、なぜなのか? もしかしたら、本当に星の運行と関係があるのかも、などと思ったり。しかしながら、言えることは、レジリエンスとオプティミズム、そして、無邪気でしょうか。

それでは。

Jazz

結局、起きたのは、3:17でしたが、なんとか生産的な活動?をして、7時前には仕事場へ到達。午前の会議前に、いろいろと考えごとを済ませました。割と、いいサイクルだと思いますが、なるべく続けられるといいな、と思います。

午後は、会議や会話を詰めて帰宅。なかなか面白い1日。

ロバート・グラスパーの2012年のアルバム。空間のなかに、装飾のようなピアノのインプロバイズ的な色彩が踊る感じは、なかなか素晴らしいものがあります。しかし、これも、もう13年前ですね。。世界は動いていく感じがしました。

ロバート・グラスパーは、辻邦生文脈でも語られたことがありました。懐かしい。

しかし、人生は波であり、流転であります。どうなることやら。

では。

Miscellaneous

この歳になって、午後に考えごとができないなあ、と。そんなことを思いながら、最近は、20時とか21時には仕事場を出て早々に眠り、翌朝4時前に起きることを心がけています。前にも書いた通りですが、いよいよ、仕事が回らないので、今までよりさらに早く仕事場に行って見ようと、今日は早めに帰宅しました。雨が降っていましたが、まあ快適。

今日聞いたのは、ロバート・グラスパー。大学の先輩に久々にあって、グラスパーいいよな!、と話したのは、もつ8年も前のことかもしれません。やれやれ。

明日は、早起きできるかな?

Art,European Art

東京で最も素敵な場所の一つですかね。。私の大好きな国立西洋美術館でやっていたオルセー美術館所蔵作品の展覧会、本日が最終日でしたが、ぎりぎりで行ってきました。9時24分に列に並び始めたのですが(本当です)、割と長い列ができていましたが、印象としては、あまり待たされたというような気持ちも抱くことなく、順調に国立西洋美術館地下の企画展会場に到達し、素晴らしい時間を過ごすことができました。

印象派のうち、セザンヌ、ピサロ、ルノワールなどは、松方さんの大変な尽力で、国立西洋美術館の常設展でも見れますが、せっかくのチャンスですので、ということで。マラルメやエミール・ゾラの姿を絵の向こう側に見るというのは、本当にかけがえのない体験でした。

企画展のあとは、もちろん常設展! 国立西洋美術館が所蔵する素晴らしい絵画軍に出会って、おそらくは四半世紀以上経っていますが、こうした絵画を、いつでも思い立ったら見ることができる幸せというのは、日本人としては筆舌に尽くしがたいものがあります。普通であれば、数十万円の費用をかけて欧州でしか見ることができなはずなのですが、あれ、なんでこんな素晴らしい絵が東京にあるんだっけ、という驚きを毎回毎回覚えます。

2025年にもすごい絵が所蔵されてまして、あー、これ、私がルーブルで大昔に見たベロネーゼを見た時の感動を新たに思い越すぐらい緻密で素晴らしでだなあ、という絵画を発見したり。

この絵、本当にやばいです。ジョルダーノの「マギの礼拝」

https://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_7_detail.php

この情報量、実際にこんなこと起きたわけはないんですが、この情報量と質感は、実際に起きたか起きなかったは関係なく、現実を超えた新実在としてここに実在するという感覚があります。私はこのような力のある絵を見るにつけ、芸術の力は果てしなく現実を変えるだろう、と思います。美が現実を支える、という言葉は、人によっては、能天気な言葉だと思うかもしれません。しかし、会社の仕事でもビジョンを示さなければ人は動かず価値は生まれません。それと同じく、美というものが、現実を動かす北極星となり、現実を変えていくこともあるだろうということは強く思います。例えばあらゆる政治家もやはり多くの小説を読むでしょう。そこからそこに示された何らかの価値を持って、世界を動かすということはあり得るのですから。

このような絵を、日本で見ることができるというのは、本当にありがたいこと。川崎重工の創業者、松方幸次郎さんには感謝しかありません。ありがとうございます。

明日からまた実業の仕事ですが、頑張らないとなあ。。

それでは。

Tsuji Kunio

いやー、しかし素晴らしい展覧会だったなあ、と思います。2月8日(日)ですので一週間前となりましたが、辻邦生さんと佐保子さんの足跡をたどる素晴らしい展覧会でした。

2時間ぐらいたっぷりとみることができてとても感激でした。

この美術館は、濃尾平野のど真ん中、五条川のそばにあります。モダンで素晴らしい空間。美術館につくと雪が降っていました。

館内では写真OKでしたが、個人で利用するためということですので、こちらには載せられませんが、本当に充実した展示だったと思います。

特に印象的だったのは、辻邦生さんと佐保子さんがやり取りしたはがきがたくさん展示されていました。お二人が本当に仲良くされていたということがとてもよくわかりました。今でなら、電話やメール、LINEでやり取りするのでしょうけれど、当時ははがきを使っていたということなのでしょう。はがきでも毎日書けば、海外であっても時間差で毎日相手には届くので、という話を昔聴いたことがあります。現代と当時のコミュニケーションのありからの変化というのは、意外と、思考の在り方や文化と関係しているのかもしれないと思います。

いろいろと印象的な展示が多かったですが、大きなクマのぬいぐるみも印象的でしたし、「背教者ユリアヌス」の執筆の時に見ていたという旧制中学から使っていた地図帳など、執筆に大きく関係する展示品も多くありました。

宮脇愛子さんの作品の「うつろひ」に寄せた辻さんのエッセイ「萬象を移りゆくもの」の全文が展示されていました。これがもう、本当に辻さんの文章の神髄みたいな調子が表れていて、読んでいて本当に懐かしいというか、なんというか、という感じでした。仮定と否定と断定の織り成す複層的な構成と、そこに織り込まれた幾つもの輝く形容詞が放つ光、という感じです。

今、私は文章のイメージとして「仮定と否定と断定の織り成す複層的な構成」と書いてしまったわけですが、これは、たぶんドイツ弁証法的な思考が文章に表れているのかもしれないなあ、などと妄想してしまいました。それは、若い頃に読んだ哲学の影響なのか、あるいは、トーマス・マンなどのドイツ文学の影響なのか、などと少し思いを巡らせてしまいました。

そのほか語りつくせないですが、まずはここまで。。

清須市はるひ美術館の様子。吹き抜けで曲線が生かされた構造で、美しい建物です。

このような展示に行くことができたのも、大変すばらしいご縁があったからだとおもいます。本当にありがとうございました。

それでは。

Miscellaneous

こちらの絵もGOTに書いてもらいましたが、今日は、千葉のインド料理店に行きました。会社関連のインドの方たちと。この絵もやはり、GPTにかいてもらいました。

とにかく、いつもとは違う食材、味付けでとても美味しいかったです。

もちろん日本食もおいしいのですが、たまにはこうした別の文化圏の方と交流したり、食事を食べたりするのはとてもありがたいことですね。こうしたところで、お互いの意思疎通を図ることが、中長期的に良いことになるのではないか、と思います。

しかし、GPTに書いてもらった絵、食材にあふれていますね。。ノーマン・ロックウェル風で、ということで書いてもらいましたけれど、米国的解釈のインド料理店はこういう感じなのかな、ととても興味深く思います。

ということで、また。