生きるに値する生とは──辻邦生「地中海幻想の旅に」から

私には旅の絵はがき以上に一冊の時間表が汽車の旅をまざまざと呼びおこす。ああ、今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう。

辻邦生の『地中海幻想の旅から」を読んでいる。昨年末に中公文庫から出版されたもの。もとは1990年にレグルス文庫から出版されていた。私はこのレグルス文庫版を1993年1月に神戸の書店で入手したはずだ。

受験を控え知恵熱か風邪熱か分からない高熱に苛まれながら、おそらくは人生でもっとも充実した勉学の時期を過ごしていて、有名講師の現代文の講義があるからと言うことで、当時住んでいた北大阪の街から電車を乗り継ぎ神戸に向かったはずで、当時習慣のように、新刊書店古書店があれば店内に入、タ行の作家が並ぶ場所に辻邦生の著作が並んでいないか確認し、持っていない著作を見つけては購入するという生活を送っていたはずだ。

それにしても、辻邦生の筆致はあまりに美しい。ギリシア彫刻の描写は絶品だし、そこに描かれた欧州の空気は、半世紀の時を超えていまここに現前しているかのようで、その場の空気の匂いまで感じ取れるようだ。

この本には、辻邦生が鉄道の旅を描写するエッセイが納められている。「ヨーロッパの汽車旅」と題されたそのエッセイは、辻邦生が初めての留学で、マルセイユからパリへ向かう汽車旅で感じる横溢する幸福感に圧倒されたり、寝台列車や食堂車の高揚が描かれている。

私も、かつてひとりドイツを旅したときに、ドイツ版新幹線であるICEに乗り込んだ。

それは若い時期の冒険だったのだろう。フランクフルトからひとりライプツィヒ、ワイマールを経てドレスデンへと向かったあの旅は二度と戻ってこない。あまりの緊張に微熱を出しながらも、ジャーマン・レイル・パスをバリデートし、フランクフルトの広壮な中央駅から白い車体に赤いラインのICEのプラットホームを探しだした。

あの、車窓に広がる雪をかぶった丘陵地帯、飴色の夕陽に輝く河の滔々たる流れ、鄙びた農村の無人駅。

ああした風景は二度と還らないのではないか。

もはや、欧州を鉄道で旅することなど出来ないのではないか。

その寂寥感はあまりあるものだ。

辻邦生が描く鉄道への郷愁は、私にそうした残酷な諦観を強いるものだった。冒頭に引用した一文、「ああ今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう」を読んだ途端に、こみ上げる寂寥の思いとともに、嗚咽と涙が止まらなくなったのは、この果てしない喪失感のためだったのだ。

果たして、この寂寥が、現実なのか仮象なのか、私にはまだ分からない。

続くエッセイ「恋のかたみ」にはこんな一節がある。

一瞬のうちに愛の真実を生きた人にとって、その結果がどうあろうと、ともかく生きるに値した生があったのである。私たちの多くは、会社員となり、人妻となり、財産や地位に依存しながらも、一生かかって、結局、生に値するものを見いだせないのが普通なのだ。

ここで述べられている「愛の真実」は、S**さんという女性が過去の愛人にむけるひたむきな愛情のことを指している。だが、「愛の真実」とは「生の真実」でもある。

「生の真実」を生きれば、はたしてまた外国の鉄道に乗りゆく未来があるのだろうか。車窓に広がる異国の風景と、人々の息づく姿を眼前に観る機会を恢復できるのだろうか。生きるに値する生となるだろうか。

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