いろいろと仕事がバタバタとしていて、なかなかここまで到達しません。が、3連休の最終日にようやく少しだけ心の余裕ができた感じ。
このところ聴いていた音楽は、なんだかんだいって、内田光子のシューベルトが多くて、その合間に、マゼールのリヒャルト・シュトラウスを聞いたり、ハイティンクのマーラーを聴いたり、あるいはパーヴォ・ヤルヴィのブルックナー全集を聞いたり。
ですが、なんだかこの記事を書くためにいろいろ調べていたら、やはりアバドに戻って来てしまいました。なぜ、こんなに気分にフィットするのか、アバドは。。
品があり、端麗で、奇をてらうことのない柔和な美しさ。
それはブラームスを聴いても、ブルックナーを聴いても、マーラーを聴いても、ベルクを聴いても、モーツァルトを聴いても思うことだなあ、と。
小学生の頃に買ってもらったカセットテープ版四季は、アバドとクレーメルだった。
ブラームスはこのところもことあるごとに聞きかえし、危機を乗り越えた感覚がある。
シュトラウスの四つの最後の歌を聴いても、シュトラウスらしい優美さがあふれている。
そして、ベルクのルル組曲は、美と退廃のせめぎ合うギリギリの感覚。
振り返ると、アバドの周りをぐるりと回りながら過ごしてきた感があります。
このエントリーを書くまで、こんなことを書くとは思いもよらず。
残された音源だけでアバドを語ること葉できるわけはなく、願わくば、ウィーンやベルリン時代のアバドの演奏を実際に聴いてみたかったです。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督をやっていた時代もあったが、あまり録音は残っていないようで、リンク先のボックスセットの中身を見たのですが、だいたい聴いたことがある記憶。
https://tower.jp/article/feature_item/2019/12/11/1111
(オペラ見に行きたい。もう6年も見ていない。。)
それではみなさま、おやすみなさい。