Gustav Mahler,Symphony

なんだか、虚脱状態に陥りっぱなし。やけに忙しいぞ。
さて、今年はマーラーイヤー(生誕150年)で、来年もマーラーイヤー(没後100年)ですね。
マーラーは1860年7月7日に生まれ、1911年5月18日に亡くなっています。中学生の頃、命日の5月18日にしんみりしていたりしてましたなあ。懐かしい思い出。
というわけで、図書館にはマーラーコーナーが設営されていまして、所蔵するマーラー録音が一堂に会している状態。ですので、ちと何枚か物色しています。
この二年間、ほとんどマーラーは聞いておりませぬが、私の強烈なマーラー体験は、小学6年生に小澤征爾がジェシー・ノーマンなんかとボストン交響楽団を振った復活の最終部の映像をみてからです。
NHKでドキュメンタリーが放映されたのですね。詳しいことは覚えていないのですが、二箇所だけ覚えています。
なんだか小澤征爾が神経質な面を見せる場面があったのですが、それを見ていた父が「芸術家のこういう芸術家ぶったところが嫌いだ」と言っていたことと、小澤征爾の子供達が庭で遊ぶシーン、「復活の最終幕」です。
この「復活」の最終部を聴いてから、マーラーのエアチェックを始めたわけです。
で、苦手だったのが、交響曲第五番でした。マゼール盤を聴いていたのですが、第四楽章以外は全く理解できませんでした。ある種恐怖症状態。
ですが、その呪いを解いてくれたのが、ラトル&BPOのライヴ盤でした。映像も見ましたね。ああ、この曲はこんなに面白いのだ、と得心。第三楽章でホルン協奏曲状態になるのをみて、すげー、と感心したり。
で、今日は、ショルティ盤交響曲第五番を聴いております。
先日来、バーンスタインのマーラーを少しばかり聴いておりましたが、ショルティはスマートになんでもやってのける感じ。そこが、賛否両論があるところなのかもしれませんが、くたびれた体には、ショルティのようなすっきりとした味わいもまた格別でした。虚脱状態の私にはちょうど良いカンフル剤的状況でした。第四楽章が意外と遅いテンポで、ショルティらしくないなあ、とも思ったり。逆にその方が良いんですけれど。
さて、先だって注文していた新しいノートPCが届きました。Windows7に初めて触れましたが、なかなか好感が持てます。私は、MSの戦略にはまらぬよう、メインPCは未だにXPですが、食わず嫌いも良くないなあ、とちょっと反省しまし

Symphony

リンドグレーンの「やかまし村」

いつか書いたように、私の小学生時代はリンドグレーンの影響下にありました。しかし、全部渉猟したわけではありません。お気に入りだったのは「やかまし村」シリーズの3巻。これ、私の宝物でした。今はどこにあるのかしら? 実家の親が本好きの又従兄弟に譲ったのかしら……。
告白しますと、前にも書いたと思いますが、親に就寝を命じられながらも、豆電球でこっそり本を毎晩毎晩読んでおりました。「やかまし村」シリーズもそのうちのひとつ。読書の悦楽。
「やかまし村」は、映画化されていますね。たしか1990年代末頃。新宿で単館上映されていたので会社の振替休日だかを使って見に行った覚えがあります。DVDも買いました。

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5 子供たちの"ごく普通の"夏休み
5 私の宝物になりました
5 子供と大笑い
4 度肝を抜かれました
4 なんとものんびりしてしまう

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5 キッズ・ムーピではありません。まるで魔法の演出・撮影
5 子供にとっても大人にとっても
5 『やかまし村の子どもたち』の続編

ああ、余りに懐かしき日々。小学生低学年の時分は、近所の図書館に行ってでっかいソファに寝そべって、本を読むのが楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
やかまし村の一員になるのがあこがれで、よく夢を見ました。やかまし村の子供達と一緒に遊んだり暮らしたりする夢でした。ラッセ、ボッセ、オッレ、リサ、アンナ、ブリギッタでしたっけ? ああ、でも今では彼らももう老人になってしまっているのか、というリアルな考えはやめましょう。
やっぱり映画だと、私の想像とずれているところがあって、そこが面白かった。
納屋があんなに大きくて赤く塗られているなんて想像できなかった。
それから、子供達が夜中にこっそり抜け出して、川に行くシーンがあるんですが、小学生の時分は真っ暗なのによく行けるなあ、と思ったのです。でも、それは誤った認識。季節は夏だったので真夜中でも明るいのですね。映画では、薄暗い感じになっていて、なんだか月夜を強調しているのか、と思ったのですが2002年にノルウェーとスウェーデンに行ったときに謎が解けた感じでした。だって、21時でもまだまだ太陽がまだまだ高いんですよ。23時にようやく太陽が地平線に沈むという感じ。ラヴ夏の高緯度。でも冬はラヴ北回帰線。

機関車トーマス

何でこんなことを書くのかというと、先日イギリス人二人にリンドグレーンのことを尋ねてみたのですが、二人とも知らないという。私の発音が悪くてリンドグレーンが伝わっていないのかも知れないけれど。リンドグレーンよりも機関車トーマスの方がメジャーらしい。
英語では、Thomas, a tank engineというそうな。
でも、彼は今年で30歳なのですが、本は読んだことがなくてテレビで観ただけらしい。私はテレビは観たことないけれど、本は全部読みました。日本語ですが。で、英語版にチャレンジしたんですがこれは意外と難しかった記憶が。
そういやあ、エドワードかトーマスといつも組んでいるアニーとクララベルっていう客車がありましたねえ。懐かしい。
彼がiPhoneでYoutubeの映像を見せてくれましたのですが、ナレーターはビートルズのリンゴ・スターなのだそうです。二重に驚き。

ニールセンの不滅

と言うわけで、北欧の作曲家を。ニールセンの交響曲第4番「不滅」をブロムシュテットがサンフランシスコフィルを振った全曲盤から。この曲は中学2年生頃にエアチェックして親しんでいました。最近まで全く聴いていなかったのですが、15年ぶりぐらいに聴いたときに、余り懐かしく、そして余りにも細部を覚えていて驚いた覚えがあります。
この曲、ともかくスタイリッシュで、わかりやすい。中学生の私は、クラシックに格好良さを求めていましたので、ビヴァ・アレグロ、アンチ・アダージョみたいな感じでしたねえ。そう言う意味ではこの曲は要所要所で極めて激しく緊迫しますから飽きずに聴いていたみたい。
でも、今は第二楽章の木管の静謐な感じも良いなあ、と思う。歳を重ねると認識範囲が広がるのでうれしいですね。第三楽章の悲壮感きわまりない弦楽器のフレーズなんて身震いしちゃう。ああ、ニールセンラヴ。最近オペラしか聴いてないから、なんだか新鮮です。

Johannes Brahms,Symphony

大好きな「名曲探偵アマデウス」でブラームス交響曲第一番が取り上げられていました。先日も触れましたが、この番組、平易に楽曲の成立史や楽曲分析を取り上げられますので、充実した気分で観ることができます。
毎回演奏映像が取り上げられますが、今回は1992年のサイトウキネンの映像でした。小澤征爾氏があまりに若くて驚きました。18年前ですか。時が過ぎるのは早すぎます。
というわけで、ブラームスの交響曲第一番を聴いてみよう、ということで選んだのがチェリビダッケ。発売は1998年頃でしょうか。私がまだ独身でまだインターネットストリーミングなんてない時代でしたので、喜び勇んでチェリビダッケボックスを買ったのでした。
私がチェリビダッケを知ったのはおそらく1998年だったと思います。何度もブログに書いていますが、渋谷のタワレコで「展覧会の絵」がかかっていたのですね。それも「キエフの大門」が。身震いするほど衝撃を受けました。いやあ、これはすごい、と。あの遅いテンポが作り出す圧倒的破壊力。
それで、チェリビダッケのCDが、生前の彼の意図に反して(まあ、息子さんのイオアン・チェリビダッケ氏の言い分──海賊版に対抗するため──というのもわかりますけれど)、次々と発売されるのを、網にかかる魚のようにどんどん買っていった次第。ブルックナー全集の巨大ケースも買いました。あはは。
それで、今日の久々のブラームス。やはり遅いのですが、それがもう感動的というか衝撃的というか。甘さなんてこれっぽっちもない厳しさ。昔、チェリビダッケがミサ曲第三番のリハで、マーガレット・プライスを詰めている恐怖の映像を思い出しました(「気を悪くしましたか?」とチェリもプライスにその後気を遣うのですけれね)。ここまで遅いのに失速しない高揚力は感動的です。なんだか若い頃を思い出してきました。
さて、週末は飛ぶように去り、また明日から仕事ですが、なかなか休憩所が見つかりません。でも、頑張ります。
ところで、本日時点の読書状況ですが、目標達成ということになりそうです。雑誌数を加算すると、雑誌一冊0.25冊換算で、ちょうど9冊を突破したというところでしょうか。明日から読む本も決まっています。楽しみ。

Symphony

今日は昨日より調子がよいです。仕事も進み出したし会議でのプレゼンも終わりましたので。ですが、人が集まればいがみ合い憎みあうのは仕方がない。人間の感情は実に興味深く奥深い。そもそも自分の感情の動きもおもしろいのですから。

さて、こういうちと疲れたときにはなにを聞くべきか。

今日の答えはブロムシュテットのブルックナー交響曲第八番です。

実は、2005年にブロムシュテットがゲヴァントハウスを率いて来日したときにブルックナー交響曲第五番の実演に接していたりしております。あのときのブルックナーはそうそう忘れられるものではありませんでした。座席がかなり前だったこともあって、オケのピアノからフォルテまでを十全に味わい尽くしました。ブルックナーとはこんなにも力強く雄々しく咆吼する獅子のごとき自然の計り知れぬ力を秘めたものだったとは。こればかりはCDで聞いていただけではわからないことです。

ブルックナーについて語ることほど難しいものはありません。有名な評論家の方ご意見があったり、ブルックナーにのめり込み一家言を持つ方がたくさんいらっしゃる。ノヴァーク版やハース版といった違いも勘案せねばならず、多くの大指揮者が名盤を残していて、それらをすべて網羅し理解しなければなにをも語る資格はないのではないか、という悲壮な状況に陥るのが関の山なのです。

それでも、私はチェリビダッケ、ジュリーニ、シュリーヒトなどを聞いていた時代がありましたね。もう十年以上前のこと。それ以降はすこしブルックナーから遠ざかっていたのです。オペラに開眼したという理由もありますけれど。

そして今日、私がiPodのホイールを回してたどり着いたのがブロムシュテットが振るブルックナー交響曲第八番というわけです。 昨日ぼろ切れのようになって電車に乗っていたのですが、ブロムシュテットのモーツァルトに叩き直されましたので、今日もブロムシュテットにカツを入れてもらおうと思った次第。

これがまたすばらしい演奏。シュターツカペレ・ドレスデンとはちがうライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の中音域の豊かな伸びやかさ。そしてなによりブロムシュテットのデュナミークの巧みさ。

実演で聴いた五番では、あまりのダイナミクスレンジに驚かされました。もちろんそうした驚愕をiPodとBOSEのクワイエット・コンフォートの組み合わせで期待するのは筋違いでしょう。けれども実演を聴いた私には、ブロムシュテットがなにをやりたいのかが分かるな気がするのです。CDではPAである程度のサウンドの調整が行われていますのでピアノとフォルテの差違は気をつけないと惰性に流されるままになる恐れもあります。けれども、ここでブロムシュテットがどういう音を出そうとしているのかが一瞬頭の中に光が通り過ぎるような感覚があるのです。

ブロムシュテットの音楽ですがやはり「まめやか」でありながらも、そこに抒情性といったロマンティシズムがくっきりと現れています。テンポはそうは目立たないもののここでは微妙に動かしているのが分かります。ピアノの部分で低速飛行をしてみせる様は失速すれすれで技を披露するアクロバティカルなものといってもいいのではないでしょうか。

さて、今日もだいぶ書きすぎました。おかげで本を読めておりません。そちらも頑張らねば。

Symphony

 なんだか頭がすっきりしない一日でした。必死にパルジファルを聞こうとするのですが、なんとも心が落ち着きません。

こういうときはなにを聞くべきか? 

私はモーツァルトをえらびました。ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデン(SKD)を振った交響曲第40番と41番のカップリングCDです。

しかし、SKDの音は素晴らしい。それは甘さではありません。冷徹で真摯で厳格な様式美としてのモーツァルトを支える堅牢な美しさです。もちろんブロムシュテットの、構築美を際だたせる厳しく精緻な棒がそれを支えているのは間違いありません。

私はある種の癒しをもとめてiPodのホイールを回したのですが、癒されるどころかカツを入れられた気分です。背筋がのびて頭もすっきりとして、文章を書けるほどに精神的復旧を成し遂げました。

テンポの設定は中庸かそれより少し遅いぐらい。過剰なアゴーギク、テンポ・ルバートは用いていません。それがなお謹厳な性格を際だたせています。 昨今の演奏(といっても新国中心ですが)はこのアゴーギク的な要素が極めて目立つように思います。私が指揮者でもやはりそうすると思います。

しかしながら、おそらくはこのCDにおいては以下の二つの理由により、イン・テンポが肯定されるべきでしょう。

まずはそれがモーツァルトであるということ。もちろんバロック音楽のようにイン・テンポの必然性を強くは持ちませんが、それでもなお過剰なアゴーギクは聞くものにとってあまりに過剰な刺激となる恐れがあります。モーツァルはプッチーニでもシュトラウスでもありません。ましてや松田聖子でもありませんので。モーツァルトの持つなかば明快で爽快ともいえる和声はを際だたせるのにテンポの変化による拡大、マグニファイアは過剰な装飾なのです。

もう一点あるとすれば、それはやはりブロムシュテットの音楽性とかセンスとでもいうべきものでしょう。私が昨年感涙に溺れる思いをしたペーター・シュナイダーが41番を振ったときのことを思い出したのです。シュナイダーの指揮は透き通る軽やかな舞踏のようなサウンドでして、このブロムシュテット盤とは多少違うものがあります。ですが共通しているのは、おそらくは両者ともほぼイン・テンポの演奏だったのです。あのワーグナーやシュトラウスで音をためにためて一気に感興を放出するようなシュナイダーが、です。

おそらくはモーツァルトをイン・テンポで振るセンスというものが、私の中で確固たるものとして確立されているのだと思うのです。私は、このブロムシュテット盤やペーター・シュナイの指揮に「まめやか」という形容詞を使いたくて仕方がないのです。この言葉、たしかゲーテの「ファウスト」最終部でファウストが語る言葉でしたが、その言葉がぴったりとくる演奏でした。

申し添えますと、デュナミークはきちんと使っておられておりまして、それは見事なものです。

Richard Strauss,Symphony

いやはや、ご無沙汰しております。色々ありまして、Twitterしか書けなかったのですが、なんだかやはり何か書いていないと落ち着かないようです。

今週はYellowjacketsばかり。今日になってようやく、マゼールのシュトラウスに戻ってきました。

アルプス交響曲は、マゼールのボックスセットに入っていたものです。マゼールって、こんなに大きな演奏をするのですね。 確かに単純に言えばテンポが緩いということもいえましょうが、緩いだけではなく、やっぱりきちんと制御された緩行性なわけでして、ちゃんとギアは入れ替えてます。カラヤン盤でもハイティンク盤よりも、聞いていく中で大きさに意識が向きます。テヌート感とかフェルマータ感が良く伝わってきますです。

それから、なんというか官能性のようなものも感じますね。弦楽器のうねりに加えられたしなだれかかるような感じ。ばらの騎士的とも思えますが、なぜかマーラーに感じられる女性的なものへの憧憬にも似た感情を感じます。

しかし登り道(トラック3)のところの舞台裏金管群はすごいです。舞台裏の金管の味をはじめて知ったのはマーラーの復活でした。あとはトリスタンの二幕にもありますね。私はこの三つがつながっているような気がしてならないです。 マゼールのボックスセット、少々お高めでしたが、買ってよかったです。マゼールのことも見直すことが出来ましたし。

Symphony

 

今日はこのワインを。Cannonau di Sardegna。サルジニアの赤ワインでして、香りがよく、喉ごしに甘みを感じるおいしさでした。

本日は2時に目を覚ましまして、いろいろと作業をしておりましたが、なかなか気分がすぐれない感じ。

Twitterを読んでいると、尊敬するとあるブロガーの方が、オーストラリアのABCラジオでTHE CLASSIC 100 SYMOHONIESというのがある、と発言しておられて調べました。ページはこちら。

http://www.abc.net.au/classic/classic100/

 すでにwikiにも掲載されています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Classic_100_Symphony_(ABC)

 

私は、クラヲタに憧れていますが、まだまだだと言うことがはっきり分かりました。76しか聴けていません。。ショックだなあ。

Composer 曲数 聴数 Rate
Mahler 9 9 100%
Mozart 8 8 100%
Beethoven 8 8 100%
Sibelius 7 7 100%
Tchaikovsky 6 6 100%
Shostakovich 5 5 100%
Vaughan Williams 5 4 80%
Bruckner 4 4 100%
Brahms 4 4 100%
Schubert 3 3 100%
Mendelssohn 4 3 75%
Schumann 2 2 100%
Prokofiev 2 2 100%
Nielsen 2 2 100%
Berlioz 2 2 100%
Strauss, R. 1 1 100%
Saint-Saëns 1 1 100%
Rachmaninoff 4 1 25%
Messiaen 1 1 100%
Franck 1 1 100%
Dvořák 5 1 20%
Bizet 1 1 100%
Walton 1 0 0%
Stravinsky 1 0 0%
O’Boyle, Sean 1 0 0%
Haydn 5 0 0%
Górecki 1 0 0%
Glass 1 0 0%
Elgar 2 0 0%
Edwards, Ross 1 0 0%
Bračanin, Philip 1 0 0%
Borodin 1 0 0%
総計 100 76 76%

お恥ずかしい限り。意外と、ドボルザークを聴けていないと言

Symphony

昨夜は少々ワインを。メリーニという赤のキャンティワイン。それに、賞味期限ギリギリセールで買ったブレッセ・ブルーを一緒に食べると、これがまたすてきにコラボレーションで、えもいわれぬ甘みとねっとりとしたうまみが口の中に広がりました。これもまた幸せ。

さて、ハイティンクを聴くシリーズですが、今回はシューマン交響曲第一番「春」です。やはりハイティンクらしい絶妙なテンポ取りで、比較的遅めなのですが、それでいて持ったりした感覚はない鋭敏でさわやかな演奏。私はもう幸せでありました。Twitterにも書きましたが、これまで聴いていた、セルやサヴァリッシュの演奏では全く違う和声が聞こえます。トランペットの裏旋律が表に出てきたり、非常にオリジナルな感じでした。それから、第一楽章ではトライアングルが大活躍で、ミキシングの調整が実に斬新というか、珍妙というか。これはハイティンクのセンスなのでしょうか?

全体的に、いわゆるハイティンクらしい響きに包まれていて、聴いていて安心できました。

そうそう、今日はハイティンクのブル8も聴いたのですが、これはまた後日。

Symphony

先日からなかばハイティンクのとりこになっている気がしますが、今日もハイティンクで驚きました。ハイティンクのDSCHは、13番でおなじみでしたが、今回は5番を聴きました。これも本当ならばとうに聴いていなければならない音源だったのかもしれません。

第一楽章のテンポがあまりに緩やかなのがきわめて新鮮でして、私にとっての5番はムラヴィンスキーでしたが、こんなに静謐だったかしら、と驚く感じです。第二楽章は三拍子のレントラーですが、マーラー的でもあります。

第三楽章の弦楽合奏にも幻惑されます。静かな怒りを伴う苦悩。この悲哀に満ちた旋律はきっと青白い月光に照らされているはずです。ハイティンクの指揮はこんなにも静寂を表現できるのですね。中盤フルートの裏でヴァイオリンが微かに震える場面がありますが、この静寂感には心打たれます。技術面でも感情面でも。後半にかけての静かな高まりも胸をわしづかみにされた気分になります。

第四楽章はのっけから堂堂たるもので、冒頭部のテンポは緩やかでありながら、巨人の行進のような重量感があります。あるいは戦車部隊か。ともかく、テンポは終始威風を保っています。この重厚感は凄いなあ。

昔、ハイティンクの演奏を「抑制された」という言葉を使って表現しておられた評論家の方がいらしたのですが、その意味が分かりました。「抑制」というと、少々ネガティブなイメージを感じていたのですが、そうじゃないですね。激しくはないが内なる炎の強さはぬきんでたものがあります。眠れる獅子。

それから、コンセルトヘボウの音のすばらしさ。オケもホールもどちらとも。少し中低音が強調されているリヴァーヴ感がたまらないです。弦楽器の厚みがすばらしいのですが、以前聞いたところでは、今ではもうこの古きよき響きは失われてしまったとか。

いずれにせよ、この演奏が聴けたことに感謝しています。

さて、どうでも良いことですが、本日は早めに帰宅しました。午後から強い倦怠感が出始めて、脂汗が出てくる。なんだか熱がある雰囲気で、これは、インフルエンザか? というところです。帰宅してすぐに熱を測ると36度でして、なんだ、仮病じゃん、みたいな。ところが、もう一度はかってみると、37度を超えました。ありゃりゃ、これはもしかして新型インフル?

答えは、明日に。。

Richard Strauss,Symphony

 今日の関東地方は、昨日の涼しさが一転し蒸し暑い一日。最近ジムに通い始めました。週末だけですが。90分ほど汗をかきました。心地よい疲労感。ですが、体重が0.5キロ増えてしまいショックです。

さて、昨日から、ハイティンクの「アルプス交響曲」を聴いています。

ハイティンクを初めて聴いたのは中学生の頃でしたでしょうか。ショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」を買って、どエライ音楽があるんだなあ、とかなり驚いたのを覚えています。その後、10年ほど前にマーラーを聴いたのですが、当時は、どこか気に入らないところがあって、少々苦手意識を覚えていました。ところが、昨年、「指環」を聴いたところ、これが滅法素晴らしくて、ハイティンクを聴いてみよう、という気持ちが強くなりました。

と言うわけで、先日の小澤盤に続いて、ハイティンク盤を聴いている次第です。

ハイティンクの指揮は、実に鮮明で清々しさを感じます。きわめてクリアな印象。小澤盤のようなねっとりとしたものは感じません。実は結構テンポを動かしていて、疾走感とか、重厚感がきちんと伝わってきます。過剰に抑制した指揮だったような昔の記憶が残っているのですが、そんなことないです。歳とともに感じることが変わってきているのでしょうか。これは愛聴盤になりそうな予感。

アルプス交響曲、実はこの二三年で聴くようになった曲です。中学生の頃にプレヴィン指揮の音源をエアチェックしたのですが、音質が良くなくて印象が悪いままでした。シュトラウスのオペラをよく聴くようになってから、ウェブラジオで聴いて、開眼したような格好です。作曲されたのは1914年から1915年にかけて。「ばらの騎士」を終えて、「ナクソス島のアリアドネ」を作曲していたころと時間が重なるでしょうか。カラヤン盤、ケンペ盤、小澤盤、そして今回のハイティンク盤程度しか聴いていませんが、この数年で好きになった曲の一つです。

それにしても、シュトラスの描写力は凄いです。水の流れや、頂上から眺める景色や、風の音から、鳥の声、牧場の風景、稲妻、何でも聞こえてきますので。

私も、少々ハイキング程度の山登りはしますが、アルプスぐらい急峻な山に登るのは気分が違うでしょうね。私はせいぜい丹沢をかじったぐらいですので。まあ富士山は運が良ければ誰でも登ることができるでしょうけれど。

そう言えば、半年ほど前に、私の家内の友人で、クラシックが好きな方とお話をしたのですが、私が「昔はマーラーが好きでしたが、最近はシュトラウスですねえ」と言うと、「普通逆じゃないですか?」と笑われました。私にしてみると、まあ現実というものは、えてして不条理ですので、せめて音楽を聴くときぐらいは、酔わせて欲しいのだ、というところなのです。なんていいつつ、「ヴォツェック」とか「ルル」も好きですが。そういえば、この半年はマーラー聴いていないなあ……。