Miscellaneous,Symphony

今朝も朝からアルプス交響曲。この曲、「夜」という部分で終わるのですが、終止和音が短和音なんですよね。なんだか山に登って充実してます、という感じじゃないです。山中の神韻とした雰囲気なのか、あるいは山登りも終わってまた明日から作曲かあ、みたいな惜別の念なのか。個人的な信条は後者に近いと思います。カラヤン盤は何の違和感も感じずに喉ごしの良い日本酒を飲んでいる気分。これは酔ったあとが怖いというところでしょうか。

最近、物欲大魔王に変化(へんげ)している気がしてならなくて、つまらないものばかり買っているような気がします。そろそろ、社長もご立腹になるかと。でも止まらない。仕事で相当鬱憤がたまっているらしく、なにか買わずにはいられない。エイヤとばかりに、ショッピングカートに入れて、購入手続きボタンをバチンと押しちゃうこの感動。こんな不景気な時代で先も見えないですし、給料だってかなり下がるというのに何を考えているんだろう、→オレ、みたいな。

こういうときは家を飛び出したいところ。そろそろ山登りが恋しくなってきました、というところ。 昨日のブログにも少し書きましたが、今年も富士山に登る予定もありますが、その少し前に屋久島に行く予定。私も社長もミーハーですので、縄文杉を見に行くことにして、いろいろと算段しています。

とはいえ、まずは痩せないと……。

Richard Strauss,Symphony

 小さい頃に、シュトラウスのアルプス交響曲をNHKFMのエアチェックテープで聴いていたのですが、当時で言うとSONYのHFというTypeIの品質の一番悪いテープで録ったと言うこともあり、きわめて音が悪くて楽しめませんでした。確かプレヴィンの指揮だったと思います。そんなこんなで20年もアルプス交響曲にはいいイメージを持っていなかったのですが、2,3年前にアルプス交響曲をウェブラジオで聴きまして、あれれ、こんなに凄い曲だったんだ、と感嘆し直した次第。まあ、シュトラウスのオペラが大好きになったのはこの5年以内ですので、アルプス交響曲を聴く準備が出来てきたと言うところでしょうか。

聴いているのはカラヤン盤のゴージャスな録音でして、これが実に壮大希有にして優雅なのであります。弦楽器が甘く鳴り響くと思えば、金管の咆吼が雷鳴を打ち鳴らし、ウィンドマシンがビュンビュン音を出している後ろで、パイプオルガンが剛毅な和音を響かせている。オケの表現能力を最大限に生かし切っているであろう職人芸的作曲。シュトラウスは本当に巧いと思います。まあ、巧いことと良いこととは両立しないこともままあるのですが、シュトラウスの場合はバランスよく両立できているでしょう。

この演奏、昨日から何度も何度も聞いています。これを「マクベス夫人からの逃避」と呼びます。結局「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の映像見られなかったですよ……。まあ、いろいろ理由はあるのですがいいわけはしますまい。ですが、音にはかなり親しんだはずですので、明後日の本番が楽しみです。

また今年も初夏が巡ってきましたね。山登りの季節です。私の友人達と富士山に登る計画も三年目ですが、私はまだ頂上に到達していません。今年こそはきちんと到達したいものですが、こればかりは自然相手ですので確実なことは何も言えないわけですけれど。体重が思いっきり増えていますので、これをいかに落とせるかがキーポイント。それからトレーニングもしなければ。

そう言うわけで、アルプス交響曲を聴いたと言うこともあるのです。昨年の富士登山では7合目で強烈な雷雨に見舞われましたが、アルプス交響曲の嵐の場面を聴くと、言いたいことがよく分かるのですよ。雷鳴がとどろき、稲妻が山肌を這うような経験があればこそ、アルプス交響曲の世界に少し近づけたと言えると思います。

 

Ludwig van Beethoven,Symphony

東京はすっかり春めいてきました。黄砂が訪れたかと思うと、南からの暖気に覆いつくされた感じで、昼休みの散歩も爽やかな気分。木々も花を咲かせ始めていますし、タンポポやスミレがいたるところに見られるようになりました

。今朝の往路は英語のお勉強。ヒアリングしながら英語の文書を読む感じ。基本的に辞書はその場では引かないで、とにかく量を読んで覚えていこうという魂胆。でもあとで引くんですけれどね。

会社の昼休みは、先だってラトルの指揮で聞いたベートーヴェンの交響曲第二番をアバドが振るベルリンフィルの演奏にて。ラトル盤よりも重心が低く落ち着いているのですが、それでいて彩度も高いです。もちろん技術的な面では堅牢ですので、まったく不安感を感じさせない。音量調整もラトルほど先鋭的ではないです。アーティキュレーションが強調されていてそこがこの曲のアバドらしさといえるでしょうか。

ベートーヴェンの交響曲はこの数年間はあまり聞いてきませんでしたが、先日のペーター・シュナイダーさんの振る4番の実演に接したら、その魅力にとらわれたという感じでしょうか。古典的とはいえ、かなりアグレッシブで意表をつくフレーズが出てきたりして面白いのです。これはモーツァルトの魔笛を聞いていたときにも思っていたことです。ただ心地よいだけじゃなくて、そこにはバラの棘のように引っ掛かりがなければならない、ということなのだと思います。ブルノ・ワルターが「音楽は晴朗な地中海などではなく、黒々とした大西洋なのだ」といったようなことを言っているのですが、まさにそういうものですね。

個人的なカミングアウトですが、この2週間はそういう意味ではちょっと日和見的な音楽選択に終始していました。本当はオペラを聴かないといけないのに、フュージョン音楽を聴いていましたので。まあ懐かしかったので良かったのですけれど、昔良かったと思えた曲が、今聞くとまったく満足できなくなっているというのは、時代が進んだからなのか、私の歳のせいなのか、というところで、ちょっとさびしさを覚えた次第です。

Symphony

昨日の夕方から聴き始めたショスタコーヴィチの交響曲第八番は、実に今の僕の風情にぴったりでして、これぐらいの曲で落ち込むところまで落ち込んでいって、ぐるぐる振り回されて、ぽいと投げ捨てられるぐらいがちょうどいいのやもしれません。

この曲は、ムラヴィンスキー盤を聴いたのがはじめて。中学生のころか高校生のころか、そのころ。当時から第三楽章のトランペットが好きでしたねえ。そういえば、大学生のときNHK交響楽団でこの曲の実演に触れているのですが、記憶は定かではありません。

昨日はバルシャイの全集から、今日はロジェストヴェンスキーの全集から聴いています。ロジェストヴェンスキーのほうがなぜか洗練されていて鋭利な刃物を突きつけられているかのように思えるのに対して、バルシャイ盤はずっしりと重い足かせをはめられて沼地を歩いているような気分になります。 バルシャイ盤は録音が少し残念ですが、このリヴァーヴ感と中低音が強調されている感覚が実にショスタコーヴィチ的だなあ、と思うわけです。どうしてこれがショスタコーヴィチ的なのかは良くわかりませんが、たぶん、何らかの僕の不安感とつながっているはず。僕が良く見る悪夢の風景にぴったりのサウンドなのですよ。

この曲もやはりスネアドラムが大活躍でして、特にバルシャイ盤の第一楽章のスネアドラムの打点のタメがすごくいい。下手をしたら遅れているととられてしまうかもしれないぐらい。こういうグルーヴ感は大好きです。

最近とある趣味を復活させまして、これがめっぽう楽しい。音楽聴きながら趣味に取り組むのが幸せでしかたがなくて、辛いことも忘れられるぐらいです。まあ、時間のムダなのかもしれませんが、今のところ生きていくに必要な時間とでもいえましょうか。幸い、英語の勉強にもなりますので、実益を兼ねている次第、と自分を納得させています。

Concert,Ludwig van Beethoven,Opera,Richard Wagner,Symphony

今週はなかなか忙しい日々でしたが、ずっと「指環」を聴いていました。そのわけをカミングアウトすると、またシュナイダーさんのコンサートに行ってしまいました@サントリーホールというわけです。いや、あの日曜日(25日)の演奏を聴いたら、また行きたくなりますよ……。あれやられちゃあなあ。写真はアークヒルズのライトアップです。

いつも愛読しているyokochanさんの「さまよえる歌人日記」でもこの演奏会のことを取り上げられていらっしゃいます。素晴らしいレポです。

幸いというか何というか、家族の用事で午後に都内に出たのですが、その用事を済ませて慌てて溜池山王から地下トンネルを走ってサントリーホールへ。間に合いました。サントリーホールは、昨年、ティーレマン&ミュンヘンフィルでブルックナーを聴いて以来。ホールの中に入ると、あれ、こんなに小さかったっけ、みたいな。新国ばかり行っているからでしょうか……。

最初はベートーヴェンの交響曲第四番。これがまた良いのですよ。日曜日の「ジュピター」のような繊細で端正で良心ある演奏とでもいいましょうか。東フィルを室内楽的な繊細さで鳴らしています。これがまめやかな演奏というのですね。しかも、ベートーヴェンがこんなに面白くて、複雑怪奇で、緊張と弛緩の波を乗り越えていくとは思いませんでした。そうした構造をより際だたせる指揮だったのだと思います。

先だって、ラトルが振る二番を聴いたときもかなり眼から鱗が落ちましたが、シュナイダーさんの指揮でもまたベートーヴェンをよりいっそう理解できた気がします。

それにしても、四番の演奏は特に音が良いと感じました。四楽章で弦楽器がフレーズをバトンしていくところがあるのですが、あのあたりの音が移動していくニュアンスは安いオーディオセットではなかなか再現できないのではないでしょうか。サントリーホールの残響音も柔らかく少し長めのリヴァーヴで、心地よかったです。    

15分の休憩のあと、いよいよリングです。これはオランダの作曲家であるヘンク・デ・ヴリーガーが1991年に編曲したもので、主要部分をオケ版に編曲したもの。つなぎに多少違和感がありましたけれど、おいしいところは詰め込んだ大のごちそうです。

個人的には、「ジークフリート牧歌」のフレーズをブリュンヒルデが歌う部分が盛り込まれなかったので残念だったのですが、十二分に楽しめました。

ホルンがジークフリートの角笛を吹くところも良かったですし、神々の黄昏のブリュンヒルデの愛のテーマのあたり、ヴァイオリンの高揚感がすさまじくて、涙が出そうになりました。凄いなあ、本当に。シュナイダーさんの指揮は、決して熱血的ではないのですが、指環の構造を熟知した上で抑制した棒振りのなかで十二分にオケの音を引き出している感じでした。

でもやっぱり最終部分の悲しみと寂しさを併せ持ったところに到達すると本当に寂しくなってしまいます。60分で指環を駆け足で回ってきて、ああ、これで終わったのか、という安堵感とともに寂寥感。あの何とも言えない気分は、指環を回った最後だからこそなのだと思います。

演奏が終わるとブラボーの嵐。私も叫ぼうかと思いましたが、ちょっと気恥ずかしかった。でも叫べば良かったなあ。日頃練習しないと。シュナイダーさんは何度も何度も拍手に呼び戻されていました。楽団員もシュナイダーさんに賛辞を浴びせていました。楽団員も演奏後は充実した顔をしていたように思えました。

ちょっと、しばらくは指環を聴けそうにありません。シュナイダーさんの演奏を出来るだけ長く記憶にとどめておきたいので。それで、頭の中は神々の黄昏の最終部分がぐるぐる回っている感じです。

またまたで大変恐縮ですが、明日は新国で「こうもり」を鑑賞予定。なんだかこの一ヶ月はコンサートばかりだった気がするなあ。良い一ヶ月でした。

やっぱり生のコンサートは凄いです。CDを聴いているだけでは分からないことがたくさんあります。けれども、時間と経済の制約がなければ良いのですが、それを望むのは無理というもの。ともかく日頃はせっせとCDで音楽を聴いて、時にコンサートに行くという感じになりそうです。

Ludwig van Beethoven,Symphony

早いものでもう1月も終わりですね。先週の土日の初台疲れで、今週はなんだか調子が今一つ。ブログ書けずじまいでした。

今週から夏目漱石を読み始めました。水村美苗さんが書かれた「日本語が亡びるとき」を読んでインスパイアされた感じ。「日本語が亡びるとき」では、日本近代文学の興隆が奇跡的出来事であるという風に語られていて、まあ、鴎外とか漱石といった日本近代文学を大事にせねばならぬということが視点のひとつとして取り上げられていたので、というところ。

ともかく、漱石は10年ほど前に集中的に読んだ記憶がありますが、十全には読めていない気分ですので。とりあえず本棚にあった「行人」から。漱石節炸裂で懐かしい。古い時代の高等遊民的能天気とでもいいましょうか。あるいは、その高等遊民的な斜に構えて事物を見るあたりが、面白いです。ほとんど浮遊霊的な視点を持つ主人公の心情描写。ストーリー的にはこれから面白くなっていくんでしょうけれど、まずは語り口的にすごいなあ、と思います。

さて、尊敬する方からインスパイアされて、ベートーヴェンの交響曲第二番をラトル指揮VPOにて聴いております。 第一楽章には、マエストーソな感じのアダージョで、この入り方、モーツァルトの38番とクリソツだな、と思って確認してみるとみると、入りの和音はまったく同じ。というか、僕には同じ和音にしか聞こえない。スコアをあたってみると、やっぱり。同じだ。って、有名な話しですかね。

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.2,_Op.36_(Beethoven,_Ludwig_van)

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.38_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)

アレグロ・コンブリオの快速な旋律に突入すると、すでにラトル節で、小気味よいフレーズ回しと、羽毛ほどに柔らかい音量調整が心地よいです。音量のダイナミクスがすばらしいのがラトルの指揮のなかでも気に入っている要素でして、この曲の第一楽章はいいところが全開という感じ。

全体ですが、リズムに多少の瑕が感じられるところはありますが、リズムはカチカチと固まっていて安心。ロック音楽のようにリズムが派手に聞こえる。ほぼインテンポな感じだからでしょう。

そう考えると、ラトルはそんなにテンポをいじらないですね。テンポを動かして いるのを聴いて、すごい! と思った記憶がないです。 もう10回ぐらい聴いていますが、なかなか飽きが来ないです。

ほかの方はどういう風に振っておられるのだろう?手持ちをiPodに入れてみます、という感じです。

Symphony

疲れたときは、やっぱりシベリウス、という感じになっています。シベリウスは昨年末から本格的に聞き始めていて、まだまだ聞き込みは十分とはいえませんが、個人的にはとても楽しめますし、この曲のおかげでなんとか英気を養うことが出来ている感じです。

第一楽章は、少しおどけた低音のフレーズから始まりますが、ひととき盛り上がったあとに、弦楽器の切ない旋律が現れますが、長和音と短和音が入り乱れていきます。第二楽章は静かな楽章。北国の白樺林が見えますよ、これは。いくばくかの悲しみを保っていて、長和音が登場してもその色は覆い隠すことが出来ません。フルートに先導される叙情的な旋律が印象的。二拍三連のベースラインも気持ちいいです。第三楽章の前半は切迫感のある旋律、後半はチェロが威儀を正してコラール風の旋律を始めます。旋律が長調や短調に変奏して連なり、弦楽、木管、金管がおのおの呼応をはじめて高揚感を高めていき、弦楽器の波動の上を管楽器が華々しい終端へと到達します。 1907年完成。シベリウス42歳のときの作品です。

最近になってようやくシベリウスのすばらしさがわかってきて、交響曲を少しずつ聴くことができるようになってきました。最近私が思っているのは、シベリウスは聞き手を決して安心させることはないのでは、ということです。きわめて単純化した言い方ですが、調性が複雑に絡み合っていて、たとえば、長調だと思ったとたんに、短調に戻り、また長調へ、という具合です。ベルクの場合はフレーズ自体に調がないわけですが、シベリウスの場合は、個々のフレーズは調をきちんと持っています。実にロマン派的な優美で雄弁な旋律が現れてうっとりする訳ですが、次の瞬間に調が変わって、おやおや、という風になる。親しみやすい旋律に取りすがろうとした途端にあれよあれよとすり抜けて逃げてしまう。ですが、個々のフレーズを楽しみつつ、めまぐるしく変わる調性の万華鏡の美しさに開眼して、ジェットコースタに乗ったときのように無心に変幻に身を任せることを覚えてから、ようやくとシベリウスを楽しめるようになったというところです。

さて、いろいろとやることが重なっていて、今月は忙しいです。今週末はオペラを2つ(「じゃじゃ馬馴らし」、「蝶々夫人」)、来週末はシュナイダーさんを聞きに行きます。次の週は「こうもり」。仕事の方も、開発期間をぐりぐりと調整していたり、納期の厳しい検討事項をやっつけなければならないとか。もっとも、まだ忙しさを楽しむことができているようなので、大丈夫なのですが。

Anton Bruckner,Symphony

 でも書いちゃいます。だって、そうでないと、いつまで経っても書けないままでしょうから。

ブルックナー好きの方は誰しも一家言お持ちだと思います。それが自分にあるのか、と問われると答えに窮してしまう。10年ほど前に狂ったようにブルックナーを聴いていた頃ならまだ語れたかもしれません。それでも不完全燃焼感がありました。 今の状態はといえば、オペラのほうに時間を割いてしまっていて、ブルックナーを語るほど聞き込めていない。しかし、いつ聞き込むのか? いつ語れるのか? とはいえ、語れないからといって沈黙を続けるのは逃避だといえましょう。ここは果敢に書いてみましょう。

書こうと思ったのは、昨日のお昼休みに、急に交響曲第9番の旋律が頭に浮かんできて離れてくれないからです。

とりあえずは、昨日はiPodでチェリビダッケ=ミュンヘンフィル盤を聴いて家に帰りました。家では、ブロムシュテット=ゲヴァントハウス管盤を聴きました。今日の昼休み、バーンスタイン=ウィーンフィル盤を聴いて、ジュリーニ=ウィーンフィル盤を帰宅時に聴いた次第。

チェリビダッケ盤がテンポを抑えることは有名です。発売当時のレコ芸で、レビューした音楽評論家の方でさえ「この暑さの中、チェリビダッケの演奏を聴くのは辛い」とこぼしておられたほどですから。ですが、失速寸前までテンポを落として歌い上げるところは見事としかいえないです。それでもやはり指揮に楽器がついてこれないところもあったりするのですが、ご愛嬌でしょうか。

家で聴いたブロムシュテットは、少々ながらで聴いていましたが、ダイナミックレンジの大きさに感嘆しました。第二楽章のマッチョな感覚もすごい。

昼休みに聞いたのはバーンスタイン盤の第三楽章。ゆったりしていますが、チェリビダッケ盤ほどではない。甘くて耽美的。ですが、思ったより個性が感じられないです。これはちょっと意外。

今日の帰宅時に聴いたのがジュリーニ=ウィーンフィル盤。これは絶品です。第三楽章を中心に聴いているのですが、テンポもチェリビダッケほどは遅くないですが、それでも歌うに十二分なため方です。華麗に歌い上げるところも実に感動的。冒頭の弦楽器のポルタメントも実に艶やかです。バランスでいうとジュリーニ盤が一歩リードでしょうか。

いずれにしても、音楽についてなにを語り得るのか。考えることしきり。まあ、悩んでいたら語り続けよ、というところだと思うのですが。がんばりましょう。

Symphony

ぐんぐん寒くなる毎日。自宅を朝6時過ぎに出ているのですが、この時期はまだ日が昇りきっておらず、暗い藍色の光が空から落ちてきているだけです。夜明け前の寒さはまだ耐えることができますが、きっと1月や2月になるともっと冷え込むでしょう。うがった見方ですが、少し楽しみです。ただ、少し雪が降っただけで止まってしまう最寄の鉄道はどうにかしてほしいですが。

懐かしい曲をiPodに入れました。カール・ニールセンの交響曲第四番「不滅」です。 この曲は、中学生の頃にNHK-FMでエアチェックしたものを良く聞いていました。この20年間は一度か二度聴いたぐらいでしたので、昨日から今日にかけて3、4回ほど聴いてみると、中学生の頃のことが思い起こされてなりません。本当なら吹奏楽部に入りたかったのになぜか入らなかったこと、などなど。

ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を振った全集版。かなりビビッドな演奏で、リズムが揺らぎなくきっちりとそろったメカニカルな演奏で、聴けば聴くほど爽快感が高まります。管楽器セクションも弦楽器セクションも巧いです。弦楽部の音がいつも聴いている欧州系のオーケストラと明らかに違います。これは気に入りました。

第三楽章の弦楽器の切迫感がすばらしい。後ろで鳴り響くティンパニーの打擲が意味ありげで、これは次の楽章のティンパニーソロを導く糸口でしょう。第三楽章の中後半部には壮大なフーガ的変奏。弦楽器群がユニゾンで激しく歌います。金管楽器も絡んでくると、荘厳な世界へと導かれる。これは本当にすごい。 第三楽章最終部、チェロとコントラバスが激しくユニゾンして、第四楽章に突入するあたりは、この曲の聴き所のひとつですね。第四楽章は、ティンパニーの壮絶なソロ部分があります。ここも聴き所。

しかし、弦楽器巧いなあ。弦楽器の音が個性的で、もしかしたらこの音を気に入らない方もいらっしゃるかもしれません。そう思えるぐらいユニークです。 アメリカのオケのすばらしさは、諸先輩のブログなどでも知ってはいましたので、今後はより一層聴いていきたいものです。

それにしても、若い頃に聴いた音楽はほとんど忘れないですね。最近になって聴き始めた曲は覚えにくくて仕方がないです。というか、覚えようとしているのがワーグナー、プロコフィエフ、ベルク、シベリウスだったりするので、それはそれでハードル高いとは思いますが。 やはり、若いうちにいろいろな音楽をたくさん聴いておくのが良いですね。こればかりは今悔やんでもどうしようもありませんので、ともかく、聴き倒すしかないと思います。がんばります。

Symphony

昨日書いたローマ紀行。紀行文としては、一日目が終わったか終わらないか、というところ。記憶も薄れているので、早いところ終わらせたいと思っているのですが、なかなか。気合入れて最後まで完成させます。

さて、先だってのシベリウス交響曲第二番に引き続き、交響曲第七番を聴いています。この曲は短いので、もう10回ぐらい聴いてしまいました。聴いても聴いても面白いです。 楽章の切れ目がありませんので、全体を支配する空気をつかもうとしています。第二交響曲のときにも書きましたが、チェロやコントラバスの使い方が面白くて、旋律を下支えしていて安定感を感じます。

第一楽章は、ゆったりとしたテンポで若干憂いをも感じる曲想。ブルックナー的な気宇壮大な感じです。第二楽章は、オーボエの導く動機にヴァイオリンが応えながら始まっていきます。ここでも弦が波もように揺らめいています。後半は速いパッセージで、木管と弦が互いに呼び合います。

第三楽章は切迫感のある弦楽器群のアルペジオから始まります。少し暗澹とした気分のうねり。管楽器がアルペジオに寄り添いながら少し憂えも感じられる演奏。

第四楽章の冒頭がすばらしい。アルペジオで波打つ弦楽器の上を管楽器が飛翔しています。ブルックナー的、マーラー的とでも言いましょうか。壮大です。なんでいままで気づかなかったのでしょう。これがあるのでクラシックはやめられない。しばし休息をとった後のフィナーレも良いですね。三度と六度に音が当たって、一度に収斂していく感じ。

演奏はヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団。指揮はパーヴォ・ベルグルンド。録音は1984年。All Saints church, Tooting, Londonにて録音。教会なのでリヴァーヴ感が気持ちいいのかもしれません。録音的にはとても好みです。

指揮のベルグルンドはシベリウスの専門家で、交響曲全集を三度も完成させているのだそうです。凄い!