《短信》ワーグナーの女装趣味?

これも、「ワーグナー──バイロイトの魔術師」からのネタ。
どうやらワーグナーは女装趣味だったのではないか、疑惑があるようですよ。彼は、絹でできたピンク色の肌着を着るのが趣味だったとか。。
「彼はオーダーメイドの絹の下着や、男性用というより女性用の衣服に付いていると思われるルーシュ(飾りひも)、タッセル(房飾り)、ロゼッタ(ばら型装飾)などあらゆるもので装飾された優雅な室内着を着ていた」(153ページ)
だからといって、ワーグナーの価値が下がるわけではなく、そこまで複雑なパーソナリティであった、ということがわかります。かえってプラスの要素に思えるのです。
本当に興味深いことがたくさんです。

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そうか、ビューローって実はこんな人だったんだ。

ハンス・フォン・ビューローはベルリン・フィルの初代指揮者。その葬式においてマーラーが《復活》の霊感を得たという話が有名です。

が、最も有名なのが、妻であるコジマをワーグナーに取られてしまった、ということでしょう。これは、ワーグナーの悪人ぶり(?)を示すエピソードとして取り上げられることが多いわけですが、実際のところはどうだったのか。

諸説あるようですが、悠書館からでている「ワーグナー──バイロイトの魔術師」においては、DVの可能性を上げてます。どうやら、家庭内暴力があったらしいです。ビューローは実際のところリストの娘を娶ることに恐れ多さを感じていたらしく、コジマは自分にはふさわしくない、と思っていたようです。若いころは、どうも精神的にも不安定だったようです。
ビューローの肖像画などは、実に堂々としたもので、そうしたことを微塵もないように思います。ですが、この本に載せられたビューローの若いころの肖像画を見ると、ナイーブな青年であるように思えるのです。
この本については、近々詳しくレビューする予定です。画期的な本です。
今日のNHKは、実に充実。デュダメルの《アイーダ》を聴いたあとは、新国立劇場の《コジ・ファン・トゥッテ》を見るところです。
ではグーテナハト。

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堅実なワーグナー伝──高辻知義「ワーグナー」岩波新書

1986年に刊行された高辻知義氏による「ワーグナー」。以前も一度読んだはずですが、もう一度読み直しました。

かなりまとまった緻密な一冊でした。ワーグナーを神格化することもなく、逆に誹ることもなく、中立の立場から冷静に論じていたと思います。

ただ、私は悠書館の「ワーグナー」を読んでしまっていたのです。悠書館の「ワーグナー」は最新の研究成果を取り入れた記述になっていました。ここで知った新たな事実は霹靂ものです。
ですので、私はこの高辻氏の記述の裏側に様々な事象を織り込んでいたようです。
たとえば、コジマがビューローと別れた経緯については、ワーグナーとコジマが通じたという事実と離婚という事実が記載されていただけですが、悠書館においては、ビューローが問題のある夫であったという事実が紹介されており、コジマの行動にある意味納得させられてしまうのです。私の中のビューローのイメージは、巨匠のそれですが、若き日は迷いのある日々だったようです。
さて、昨日はブログ休みました。どうにも先日の夜勤明けから、めずらしく風邪を患いました。
昨日は朦朧としながら、別件のインシデント対応を行いつつ、早めに帰宅してよく眠りましたので、今日は持ち直しました。

今日もこちらで落涙。ベン・ヘップナーは、柔和さだけでなく、雄々しさもあります。フォークトやコロにはない英雄的ヴァルターです。私の中のヴァルター像を変えなければならないかもしれません。
では、グーテナハト。

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音楽書を読んだ方が音楽が楽しくなるのか。

帰宅の電車。人身事故で、1時間立ち往生しまして、その電車の中で書いています。
しかし最近はずいぶんと良くなって、事故現場の様子を(タイムリーでもなく、正しいとも言えないのでしょうが)きちんと放送で伝え、運転開始時間の目処もきちんと伝えてくれます。何も知らされずにイライラすることもありません。これもホスピタリティの一環なんでしょうね。
さて、ワーグナー本をいくつか読んで、ずいぶんと理解が進みました。
というわけで、三年前にDVDから音源に落としていたブーレーズが振ったバイロイトでのリングの音源を聞いています。
この時の演出は、パトリス・シェローで、リブレットを拡大解釈して、リングの物語を19世紀以降の資本主義批判の物語に読み替えた、というのは周知の通りです。
当時のバイロイトにおいては画期的あるいは革命的な演出だったようです。
今からこの映像をみると、何が斬新なのかわからず、戸惑うことがあります。
確かに、我々はもうシェローのリング以上のリングを見ているわけですから、そこには新奇さを求めることはできなくなりました。
資本主義批判としての演出は、サヴァリッシュがバイエルン国立歌劇場で振ったレーンホフ演出のラインの黄金でも感じましたし。
あるいは、シェローの演出自体を多義的な解釈で咀嚼していく、とか、そういう見方になるのでしょうか。
っつうか、もっと映像も見ないと。
今週末は徹夜仕事です。
というわけでグーテナハト。

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多面的なワーグナー

先日から読んでいる、バリー・ミリントンのワーグナー本、面白いです。

ワーグナーの、幾分か悪意をもって語られる要素について冷静に検証されていると思います。

ですが、現代からはかりしれない当時の状況や、数字、文献などから別の可能性を見出す試みは刺激的です。

明日も読みます。

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独仏間のかつての深淵 その二

過ごしやすくなった今日このごろ。嬉しい限りです。
先日の続きを書きます。夜更かしですが。。

ヴァーグナー大事典における記述


ドイツを焦土とした三十年戦争が終わったのは1648年のウェストファリア条約です。ここで国際法や国家の概念が現れたというのは世界史における必須問題です。
その後ルイ14世ものとで絶対王政を確立し、強大となったフランスは、帝国主義的領土拡張政策をとり、1681年にストラスブールというかシュトラスブルクを武力占領し、1689年にプファルツ継承戦争でプファルツへの侵攻を開始します。ドイツ諸邦は対抗し、失敗に終わるかと思いました。
が、フランス政府は近世史上初めて、一地域を全て無人の地と化すことを決意しました。フランスに対して中立を宣言し、フランス軍を友好的に招き入れた、神聖ローマ帝国直轄歳のシュパイヤー、ヴォルムス、オッペンハイムは、フランス軍によって焼き払われました。大聖堂は爆破され、歴代ドイツ皇帝の墓所は暴かれて略奪され、住民は放逐されました。その後、ハイデルベルクなどのフランス国境からライン川の間に位置する数十の都市と数千の村が襲われ、組織的に壊滅させられ、住民は根絶やしにされました。
この焦土作戦は、ドイツ国民に深い心理的ショックを与え、長期にわたって、道徳的退廃を産み出し、社会心理を荒廃させたのです。
これ以来、ドイツとフランスは宿敵どうしとなり、その後の歴史や文化において通奏低音のように、ドイツにフランスへの敵対心を与え続けることになるのです。

裏取り


こうした見方を、私は(恥ずかしながら)知りませんでした。私は、ドイツのフランスへの敵対心はナポレオン戦争によるものと思っていたからです。ですが、それよりももっと古く根が深いものだったということなのでしょう。
この部分はコンラート・ブントというドイツ人の歴史学者による原稿です。被害者側の記述なので、いささか感情的なのかもしれません。
手元にあった山川出版社の世界歴史大系ドイツ史第二巻における記述では、「プファルツの焦土化」という言葉が取り上げられていますが、文化史的な背景については語られていません。
確かになにかしら非人道的な事実があったのでしょう。
ただ、そうした史実と思われる出来事をどう解釈するかは、その後の捉え方です。先日書いたように叙述された歴史は恣意性を帯びるのです。真実などはありません。あるのは解釈だけです。
当時のフランスは、武力に物を言わせて、言いがかりをつけては隣国を侵略するという侵略国家だったようですね。とくにマザランからルイ14世による親政になってからのことだと書かれていました。絶対王政、王権神授説。諸芸術のパトロンであり、自身もバレエを嗜んだルイ14世ですが、こうした一面も持っているのですね。独裁者は芸術を愛するということなんでしょうか。

その後

この延長線上にあるのが、ワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》にあるフランスへの敵対心であり、1871年の普仏戦争であり、第一次大戦であり、ナチスのフランス侵攻なのでしょう。
そしてようやく、最初の「焦土化」から300年近くたった第二次世界大戦後、欧州議会の本部をストラスブールに置くということに象徴されるように、ようやくドイツとフランスはお互いを許しあったかのように見えます。
そうです。300年もかかるのです。こうした問題は、それぐらい腰を据えなければならないということなのです。

なんとか後記

やっとかけました。
それにしても、叙述されたことの難しさ、というものを感じます。歴史なんて、だれかが書いた一言で簡単に代わるものです。誰かが新聞に書けばそれが事実になってしまうということなのですね。
音楽評論もまさにそうなのでしょう。書いたことと音楽自体はまったくリンクしませんし、検証不可能です。当然ですが歴史よりも恣意性は高いです。大学の先生が音楽評論の妥当性について批判していたのを思い出しました。
逆に言うと、歴史も音楽評論ぐらいのものだということも言えるのでしょうね。
まったく世界は難しいです。
ではグーテナハト。

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これは画期的だ!──「ワーグナー バイロイトの魔術師」


これは、素晴らしい著作です。
バリー・ミリントンはこれまでの「ヴァーグナー大事典」や「ワーグナーの上演空間」といった、ワーグナー関連の研究書の監修をしていましたが、この「ワーグナー バイロイトの魔術師」は、最新の研究成果を取り入れた画期的なワーグナー本ですね。
ワーグナーはなにかしら悪意をもって批判される向きもあるわけですが、そうした批判を見直す良い機会をもらいました。
歴史というものは、後世の研究、もっといえば様々な意図で塗り替えられるものです。普遍的妥当性などというものは歴史には全く存在しません。全ての歴史は叙述された時点で恣意的に塗り替えられます。したがって、我々が信じている歴史的事実というものは、誰かの意図によってねじ曲げられていることが多々あるということです。
私は、それをヴェルディがリソルジメントで果たした役割を検討した際に嫌というほど思い知りました。
ワーグナーもしかり。これまで喧伝されてきたワーグナー像というものも、何かにねじ曲げられている可能性もそうでない可能性もあるということです。さらに言えば、ワーグナーほど後世に利用された作曲家もいないはず。それは音楽だけではなく、オペラのリブレットを創ったことで思想をも創ったからですね。
止まらなくなりましたので、この辺りで一旦ストップしますが、昨今つとに思う歴史的真実を考える上でも、この本は刺激的です。
まだ全てを精読したわけではありませんが、この本については近日中にきちんとまとめる予定です。

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ジョージ・バーナード・ショーのワーグナー本、読書中


えーっと、読むのが遅すぎましたね。
ジョージ・バーナード・ショーの手による《ニーベルングの指環》の解説本(?)です。
ジョージ・バーナード・ショーは、御存知の通り社会主義に同情的で、フェビアン協会の会員でした。ですので、《ニーベルングの指環》を資本主義批判として読み解いています。
こうした「読み替え」は、パトリス・シェローのバイロイトでの読み替えなどが知られていて、特段おどろくべきことではありません。というより、この本がその読替えの元ネタである、というところなのでしょう。
これまで読んでなかったのが失敗でした。重要な資料なので、引き続き読みます。
明日は家にこもって仕事?
取り急ぎグーテナハト。

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《パルジファル》解説書

2010年の東京春祭で限定発売された解説書。リブレットの両サイドに楽曲解説とリブレット解説が書かれている秀逸な資料です。
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聴きながら、あるいは見ながらチェックすると勉強になるはず。今週末がチャンスです。

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《短信》アバドのパルジファル

正規盤ではないようですが、アバドのパルジファルを見つけました。

http://www.operapassion.com/cdpaabsa20.html

放送録音で、三幕に欠落があるようです。いまも手にはいるかどうか。継続調査中。

取り急ぎ。遅れているけれど。

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