時のうつろいゆく流れはいとおかし。
1989年に知り合った高校時代の友人とその友人たち会食。当時はまだソ連があって、ペレストロイカ真っ盛りでした。このまま行けば平和な世界がくるのではないか、と思ったのが懐かしく思えます。お互い違う道を歩いていますし、バックボーンも違うのに。なにはともあれ楽しいひと時でした。
さて、恍惚とした感じのバーンスタインの《トリスタンとイゾルデ》ですが、今週集中的に聞いています。
前にも気づいてことですが、第三幕のマルケ王のモノローグ、erwachenというところ、《パルジファル》のアンフォルタスのモノローグとそっくりなことに思い至りました。和音や旋律が《パルジファル》そっくり。《パルジファル》のほうは、erbarmenだと思いますけれど。
今日はこれ以上深堀りできません。今後研究します。
明日はお仕事が、少し夜更かし気味です。早く眠らないと。
あー、日ユ同祖論って、トンデモだけど、なんか面白い。
ではまた明日。
《トリスタンとイゾルデ》に《パルジファル》が聞こえる。
恍惚とした感じ──バーンスタインの《トリスタンとイゾルデ》
いやあ、暑い。蒸し暑い。
暑いついでに、最近googleアカウント乗っ取りが熱い。最近増えているそうです。パスワードを変えるなど、対策しました。
で、バーンスタインの《トリスタンとイゾルデ》。
バーンスタインといえば、ねっとりと歌わせる、という印象ですが、実際のところ私はこの音源を聴いてバーンスタインが分かった気がします。
とにかく、速度が違います。急激に速度を変えるようなことはしませんが、きちんと旋律やリブレットの意味を勘案した上で、速度をコントロールしています。だから、あ、こここんなに息が長くてかわいそう、という感想になります。それだけではなく、もちろん必然性を感じますので、すごくしっくり来るのです。
これは、名人芸といえると思います。
そうした境地が「恍惚」という言葉の由縁でしょう。
この「恍惚」という言葉は、吉田秀和さんが《田園》を表す時に使ったものです。小学生の頃に聴いて、「恍惚ってなんだ?」とおもった記憶があります。
今は、その言葉がよくわかります。オペラの中身を的確に映し出す演奏ですね。シュナイダーのトリスタンと双璧になるでしょうか。
今日も短めで。
宗教的感動だ。。──東京春祭「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
いや、申し訳ないですが、さすがに体力が。。
というのも、3月からの仕事の方の春祭りが絶好調で、私もほとんど祭り気分で働いているんですが、まあ、たまに週末に休むとどうしても気が抜けて、そうするとドッと疲れが出てしまう感じ。
昨日、英会話で、ジャックというイギリスの若者に「月曜日には25時間連続で働いたよ」といったら、ジャックは言葉を失いました。
「で、2時間仮眠してまた夕方の5時から11時まで働いたよ」といったら、さらに言葉を失いました。
それから、「日曜日にはオペラを見るんだけど、5時間半あるんだ」といったら、何も話さなくなってしまいました。
その後、ポツリと「日本人じゃなくてよかった。。。」とのこと。
これだけ働いて、2%給料が上がらなかったらアベノミクスを批判します。冗談です。
というわけで、本日は上野の東京文化会館にて「ニュルンベルクのマイスタージンガー」をたっぷり聞いて来ました。
過程を省いていっちゃうと、三幕第一場最後の五重唱以降は涙が止まらないですよ。カタルシス。
フォークトのヴァルターは強力過ぎます。最後のあの歌、嗚咽をこらえるのに必死。
一年ほど前にこちらのCDを紹介しましたが、もう一度紹介しておきます。ここで、聞けますよ。
フォークトについてはこんな記事を昨年書いています。
新国立劇場「ローエングリン」タイトルロール、フォークトの記事が朝日新聞夕刊に。
フォークト、確かに絶好調ではありませんでしたが、十分観客を鷲掴み。それどころか、女声合唱団の心も鷲掴みです。カーテンコールで入ってきた時、女声合唱団に投げキッスをしたんですが、とたんに女声合唱団が沸きに沸いたそうです(カミさんの目撃情報)。
ワーグナーのオペラは、5時間かかるからこそ感動するんだろうなあ、と思いました。
で、ストラヴィンスキーがバイロイトを酷評しているのを思い出しました。
この逸話、岡田暁生さんの著書「音楽の聴き方」(中公新書)で読みました。狭くて硬い座席で座って「宗教儀式」のようなオペラを聴くことのへの疑問です。
ただ、これ、宗教儀式だとしたら合理的すぎます。5時間の労苦の先にあったのは、ヴァルターの甘美な歌に酔いしれ、ハンス・ザックスのドイツ讃歌にぐっと胸を掴まれますので。
5時間の時間は、いわば悟りを開くための苦行であり、その労苦への報いが最後の感動なんだなあ、と。
それから、他にも色々発見しました。
このオペラ、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」と「ばらの騎士」だわ、みたいな妄想。
意外と、ハンス・ザックスとエファが互いに持つ変な恋心みたいなものが、興味深いですよ。これ、今回はじめて気づきました。これが、「ばらの騎士」。あとは、オペラの中で芸術論ぶってしまうところが「カプリッチョ」だなあ、というのは普通の考えです。
明日も続きます。もう少し細かく書かないと。
明日は5時半に起きなければならないのでこのへんで。
タンホイザーあれこれ。
タンホイザーあれこれ。
公開が遅れたのは、パンデミックな日々のため。毎日刺激に溢れていて、なんだかドラマを見ているような毎日。なーんちゃって。
タンホイザーですが、この物語も単なる勧善懲悪を、超えているとなあ、と。
ヴェーヌスベルクが悪で、教会が善という二元論が通常想定されるものだと思います。
ですので、カトリシズムに偏重しているという向きもあるようですが、よく考えると教皇は神の真意を見抜けなかったわけです。
タンホイザーを教皇は許さなかったのですが、神は奇跡を起こし、タンホイザーを赦しましたから。
権威に、エリーザベトの愛が勝ったのですかね。
エリーザベトの自己犠牲と教会の権威が、イエス・キリストの受難とユダヤ王やパリサイジンといった権威の対立関係に対応しているというの読み過ぎでなければ、これは教会批判になるのですね。
無責任妄想ですが面白いです。
そうそう。何かを思いついたとしても、私より前に六億人がすでに思いついているのである、という名言を読みました。これももちろんその類。その先に進まないとなあ、と思う今日この頃。微速前進しているんですがね。
《短信》新国立劇場タンホイザー と 日々つれづれ
昨日、2月2日に新国立劇場で「タンホイザー」を見て来ました。
今日は夜遅くなってしまいましたので、これからすこしずつ深堀りしますが、いままでの「タンホイザー観」が変わってしまいました。
全体的にはそんなにドラスティックに変わったわけではないのですが、演出一つで物語が大きく変質することに改めて驚きました。
まあ、ヴェーヌスにおける、リンダ・ワトソンとエレナ・ツィトコーワの違いなんですけどね。
画像は、私の参考CDであるハイティンク盤。こればかり聴き過ぎたのかもしれません。ルチア・ポップがエリーザベトを歌うのですが、巧すぎて巧すぎて、かえってエリーザベトっぽくなく思えるようになりました。
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昨夜は、大学生時代の音楽サークルの先輩後輩と久々に。とある方とは15年ぶりに飲んだのですが、全く変わっていなくて、タイムスリップした観があります。若返りの飲み会。
過剰な追憶モードは慎みたいものですが、たまには過去を振り返って自分の今の立ち位置を確認するのもいいものだと思いました。
そういう意味では、ブレブレな人生だなあ。
そうそう。今日もあのバークレー出身のギタリストと会話を。
こっちもとても面白かったです。
ではまた明日。
《短信》今晩いよいよパルジファル放送!+おまけ
いよいよ今晩放送です。
http://www.nhk.or.jp/bs/premium/
<追伸>
ついでに、これはBILD誌の画像。メルケル首相は、4年前と同じドレスでバロイトに来たらしいです。カミさんに聴いていたんですが、たまたま画像を見つけましたのでご紹介。
《短信》フィシャー=ディースカウのアンフォルタスが凄い件
Polygram Records (1990-10-25)
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パルジファル放送まであと4日
毎年恒例になってしまったNHKのバイロイト音楽祭放送ですが、本年は8月26日深夜(8月27日未明)のBSプレミアム枠で放送されます。
2010年はティーレマンの「ワルキューレ」、2011年はネルソンスの「ローエングリン」でしたが、今年はヨルダンの「パルジファル」と言うことになります。
今年は生中継ではなく、録画のようですね。8月11日の公演の放送だそうです。
http://www.nhk.or.jp/bs/premium/
バイロイトのパルジファルの演出は、ナチス治世化のドイツをモティーフにしたもので、バイロイトのたどった歴史的経緯も相まってとても興味深く楽しみですね。
私は、先だってBR Klassikで放送された音源で予習しましたが、まとまりのある充実した演奏だと感じました。奇を衒うようなことはないですし、テンポを激しく動かしたり、レヴァインのように遅めたりしない印象です。ですが、劇的な部分は激しく闊達です。若さ故のキレがあるといいましょうか。
キャストを以下の通りまとめておきます。
- アンフォルタス:デトレフ・ロート
- ティトレル:ディオゲンス・ランデス
- グルネマンツ:ヨン・クワンチュル
- パルジファル:ブルクハルト・フリッツ
- クリングゾル:トーマス・イェザトコ
- クンドリ:スーザン・マクリーン
楽しみでなりませんねえ。
というわけで、今日も予習中です。
ディースカウのアンフォルタス
パルジファル、今度はショルティ盤を聴いています。
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ウィーン国立歌劇場での録音で、パルジファルはルネ・コロ、クンドリはクリスタ・ルートヴィヒ。そして、アンフォルタスはフィッシャー=ディースカウです。
しかし、フィッシャー=ディースカウが歌うと何でもかっこよくなってしまうですよねえ(笑)。
「ローエングリン」のテルラムントでも、悪役なのにカッコイイので、あれれ、と思いました。これはもちろん凄いと思っているのです。
アンフォルタスは悪役ではありませんが、やられキャラです。なのにこのカッコ良さ。第一幕でティトレルの前で独白する場面、メチャいいです。
今日もパルジファルばかり
今日もパルジファルばかり。
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ほんとうに、カッコイイ曲なんです。
聴けば聴くほど体になじんできて、一つ一つの音が隅々まで行き渡る感じです。
この曲で感動する場面がいくつかあるんですが、今日はその中の一つ、第二幕でパルジファルが「アンフォールタース!!」と絶叫するところ。
聖なる槍を取り戻そうとグルネマンツの城へ辿り着いたパルジファルですが、色仕掛けに惑わされて、堕落してしまいそうになります。
クンドリにキスをされた瞬間に、パルジファルは我に返り、同じくにクンドリに籠絡されたアンフォルタスの苦悩に気づくのです。
そこで叫ぶ「アンフォールタース!!」は、パルジファルの生まれ変わりの証左です。
2010年4月に東京の春音楽祭で「パルジファル」の演奏会形式を聴いた時、ここで感動しまくって、ザーっと涙が流れたのを思い出します。
では、フォースとともにあらんことを。