NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

今回の公演、当初は、2007年6月の新国立劇場「ばらの騎士」で元帥夫人を歌ったカミッラ・ニールントが再び元帥夫人として登場するはずでした。2007年の元帥夫人はあまりにすばらしく、私は新国立劇場のアンケートに毎回毎回2007年のニールントがすばらしい、と書き続けていました。それが関係したのかは良く分かりませんが、ともかく異例とも言える再登場ということで、大変期待していたのです。
ところがこういう事態となってしまい、ニールントの来日はあたわず。ヨーロッパの方々の放射能アレルギーは、チェルノブイリというトラウマもあるので、日本とは比べものにならないほど。いたし方がないことだと思います。
そんな中でも、"アンナ=カタリーナ・ベーンケ":http://www.anna-katharina-behnke.com/1-1-Biography.htmlが、ニールントの変わりに来日してくださいました。
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この方、イゾルデ、サロメ、エレクトラ、ゼンタをレパートリーに持っています。どちらかというとテオリン的な激しい面も持っている。一方で、ジークリンデやグートルーネも歌える、すこしたおやかな面も持っている。元帥夫人もこちらの部類。だから、第一幕最期の決然とした元帥夫人、第三幕の毅然たる元帥夫人はとてもすばらしかったです。
ヒロインの感動的な登場といえば、蝶々夫人の登場シーンがありますが、ばらの騎士第三幕の元帥夫人登場の場面もすばらしいものがあります。あの荘重華麗な音楽に合わせて毅然として登場するシーン。ほとんど神格化されているともいえます。今回の公演では、あそこで黒いドレスを着たシックなベーンケが登場する。息を呑みました。
私は、ベーンケの姿に感動して、幕間に写真を買いました。暇のあるときに取り出して、あのときのことを思い出し、元気をもらっています。私は本当にミーハーな人間です。

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今回の公演で、私がもっとも楽しみにしていたのが、フランツ・ハヴラタ氏。
氏については、先日もブログに書きましたが、私がシュトラウス最後のオペラ「カプリッチョ」にはまるきっかけとなった映像にラ・ローシュ役で出ておられたのですね。この映像、2004年にパリのオペラ座で収録されており、指揮はウルフ・シルマー、伯爵夫人はルネ・フレミングという豪華さ。ロバート・カーセンの演出も言うことがないものでした。
フランツ・ハヴラタ氏、ラ・ローシュの遠大なモノローグを朗々と歌い上げ、すごく格好がいいんですが、その方がオックス男爵をうたうとどういうことになるのか? とても楽しみにしていたのです。
結果ですが、前回2007年のばらの騎士でオックス男爵を歌ったペーター・ローゼは、上品過ぎたのだ、ということが分かりました。
ハヴラタの演技は、それはもうすさまじいほどの田舎者っぷりで、抱腹絶倒。部屋の奥のほうでベッドに倒れこんだとき、足をハの字に広げてベッドに倒れこむのが見えるんですから。まあ、演出演技なんだろうけれど、あそこまで自然体で巧くやられてしまうと、こちらも、ためらいなく笑ってしまう。
それから、彼の目つきがまたすごい。なにかどんよりと曇っていて、覇気がないながらも、油断なく辺りを見回す抜け目のない男、という感じのオックス像を描き出していました。
歌もいいですなあ。カプリッチョの映像で聞いたハヴラタの声より、実際の声のほうがエッジが聞いていて、それに加えてつややかさもあるのですから、ちょっともうこんな声を聞いてしまうと、普通の声が聞けなくなってしまう。発声法が故なのか、体格が故なのか。
ハヴラタ、カーテンコールではもうすさまじい拍手とブラボーの嵐でした。私もちゃんとブラボーと叫びました。また大好きな歌手を見つけてしまいました。
また、会社休んで行きたいぐらいです。無理だけど。

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最近、どうにもブログを書く時間が捻出できません。この一年ですっかり忙しくなってしまい、帰宅時間も遅くなり、巡り巡って夜型生活になってしまいましたので。本当なら、外出先でスマホかPCでかけると良いのですが。ここは踏ん張りどころだと思っています。
さて、昨日の新国立劇場「ばらの騎士」の話です。
えらく感動しました。泣いて、笑って、感情があっちへこっちへと揺さぶられました。もっとも、始まる前から、イタリア人歌手の旋律を思い出して泣いちゃうぐらい、昂ぶっていましたが……。
そんな状態ですと、もう序奏のホルンで陥落でした。第一幕も泣き、第二幕も泣き、第三幕も泣き……。そして、オックス男爵の立ち振る舞いに腹を抱えて笑ったり。
記録によると、私は79回オペラの実演に触れているようですが、個人的な感動具合で言うと、おそらくは5番手以上2番手以下でしょう。もちろん1番手は、2007年6月の同じく新国立劇場における「ばらの騎士」でした。あのときの贅沢なキャストとはいきませんでしたが、もう私の泣き方は、2007年とあまり変わらないかもしれない。
そういえば、10年ほど前、会社の女性の先輩に、ストレス解消の方法として、涙を流して泣く、というのがいいよ、と薦められたことがありました。カタルシスってところでしょうか。
少しずつ書きます。毎日書くのが大事だと思われるので。

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残念なニュース

 

新国立劇場4月公演の「ばらの騎士」は、出演者の変更にくわえて、初日の4月7日公演が中止となりました。

お知らせページ

 

4月7日公演のS席、A席の方のみ、13日(14時開演)、19日(18時開演)、22日(14時開演)への振替が可能ですが、B、C、D席の振替は行われないそうです。また、当然ながら10日(日)、16日(土)の休日公演は、すでに満席と思われ、振替ができないようです。

 

  • 元帥夫人 カミッラ・ニールント から アンナ=カタリーナ・ベーンケ
     
  • オクタヴィアン ダニエラ・シンドラム から 井坂 恵
  • ファニナル ペーター・エーデルマン から 小林 由樹
  • ゾフィー アニヤ=ニーナ・バーマン から 安井陽子

 

ニールントがいらっしゃらないのは本当に残念。あんなに楽しみにしていたのになあ。少し複雑なのがアルミンク。なぜ振ってくれない?? 

 

だが、フランツ・ハヴラタはそのまま出演してくれます。嬉しい限り! 

 

私はどうするのか?

当初4月10日(日)公演がアサインされていたのですが、10日は東京春音楽祭のローエングリンを聴こうと思い、新国ばらの騎士については4月7日(木)にエクスチェンジしたのでした。ところが、新国4月7日がキャンセルになってしまうと言う不運。本来なら13日、19日、22日のいずれかに変更する予定でした。いずれも平日ですので、仕事があり、厳しい状況です。

ところが、この週末に新国立劇場から電話がかかってきました。本来なら、振替申し込みは4月4日から開始のはずですが、シリーズ券を買っていたから、気を遣って電話してくれたのだと思われます。それで、ダメもとで、エクスチェンジ権を使って4月10日公演に変えられませんか? と聴いてみました。10日のローエングリンも中止になっているからです。すると、なんと1席だけ空いていると言うではありませんか。というわけで、滑り込みで10日(日)に行けることになりました。胸をなで下ろした次第。

 

エクスチェンジ権:シリーズ券を買うと、自動的に日程がアサインされますが、どうしても都合が悪い場合は、年間3回のみ、エクスチェンジ権を行使し、同一演目の他日程に振り返られます。

 

こんなご時世でオペラというのも気が引けますが、自粛ばかりしていては先すぼみになってしまいますので、あえて行ってきます。

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今朝は7時頃起床し、8時半に所用のため新宿へ。午前中で仕事を済ませて、久方ぶりにジュンク堂に行ってみたのですが、あれだけたくさんの本を前にすると、幸福感と焦燥感、双方とも激しく亢進してしまいました。何冊かお目当ての本があったのですが、どれも分厚いので今回はパスしました。

東京の空は真っ白で、昨日までの快晴つづきも一休み。でもすごく寒い。立春を過ぎているから、もう春なのだし、どうやら各地の梅も咲き始めているようで、じわりと春の足音が聞こえ始めているけれど、春ほど憂鬱な塵芥に包まれる季節もありません。

「夕鶴」、昨日から二度ほど通しで聴いていますが、素直に読めばどうしたってキャピタリズムへの批判となってしまいます。それを超える読み替えは可能なのか、としばし考えてみたり。これをファンタジーとして捉えるのは、よっぽど心配がないか、よっぽど脳天気か、のどちらかであろう、などと、少々不遜な考えもよぎるぐらいです。

  • つう:腰越満美(ソプラノ)
  • 与ひょう:小原啓楼(テノール)
  • 指揮:高関健
  • 管弦楽:東京交響楽団

 腰越さんは、昨年の「鹿鳴館」で聴いたので、今回が聴くのが二回目でした。ピッチはもちろん豊かさも併せ持つ方。「鹿鳴館」は中劇場でしたが、今回はオペラパレスですので、声の感じが少し違って聞こえました。やや中高音域が鋭く聞こえました。 与ひょうの小原さんも立派でした。

演出は栗山民也で、新国のオペラでは「蝶々夫人」の演出も手がけています。がゆえに、今回の「夕鶴」の舞台演出には既視感がありました。家は舞台の手前に土台が設えてあることで表現され、舞台の奥からぐるりと回るようにして登場人物が登場します。「蝶々夫人」ではピンク色の桜吹雪が舞台を覆いましたが「夕鶴」では吹雪が舞台を覆い尽くしていました。舞台奥のスクリーンがモティーフとして使われているのも同じで、「蝶々夫人」では星条旗が掲げられていましたが、「夕鶴」ではつうの昇天がライティングで表現されていました。

ストーリー的には、「蝶々夫人」でしょうか。辻作品で言うと「時の扉」。いずれも男の体たらくが女性を裏切り傷つけ死に至らせしむというもの。悲痛です。

しかし、つうの嘆きは、与ひょうへの嫉妬なのか、与ひょうが経済至上主義へと絡め取られていくことへの反抗なのか。秀逸な仕掛けは、つうは、金儲けの言葉を理解できない、という仕掛け。これは面白いです。経済至上主義が悪いとは言いませんが、良いとも言えない。、たまにはこういう作品を見て、振り返ってみるのも良いかもしれません。ただ、つう側のことを、最近は負け組と言うらしいですよ。なんて。

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相当周回遅れですが、2011年/2012年新国立劇場ラインナップをまとめてみました。

2011年

10月:イル・トロヴァトーレ(新制作)

10月:サロメ ★

11月:ルサルカ(新制作) ★

12月:こうもり ★

2012年

1月:ラ・ボエーム

2月:沈黙(新制作)

3月:さまよえるオランダ人 ★

4月:オテロ

4月:ドン・ジョヴァンニ

6月:ローエングリン(新制作) ★

 

★は、私的に楽しみなものたち。やはり、ドイツ系になってしまう。

新制作は2010年/2011年シーズンと変わらない4作品ですが、なぜか少しさびしい気がいたします。私の大好きなリヒャルト・シュトラウスは1本、ワーグナーは2本とこちらも少しさびしい。再演のラインナップもすこしサイクルが早い気がします。ドン・ジョヴァンニもオテロもこうもりもついこのあいだ見た気がします。

やはり、新制作となると経済面できついのでしょう。でも、せっかくソフトもハードもよくなってきたのだから、なんとか冒険をしてほしいものです。

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1月10日の新国立劇場公演、テオリンのことしか書いていませんでした。その他のことも書かなければ。
まずは指揮のこと。ダイナミックでシャープな指揮は、大野さんの意図が良く伝わってくるもので、とにかく高揚する場面での統率振りは見事で、ここまでのレベルまでオケ全体を押し上げるのは相当大変だったはず。あの爆発的なパワーは、なかなかお目にかかれないです。バーンスタインのような陶酔と恍惚でもなく、シュナイダーのような玄妙でもなく。あえて言えばシルマーの「エレクトラ」を新国立劇場で聴いたときと良く似ているかもしれない。
昨日も書いたとおり、私はどうやら大変な体験をしていたようですので、それも大野さんのおかげだと思います。
ただ、場面によっては疲れからか、指揮が単調になる場面も数箇所ほどあった気がします。たしかに、大野さんの顔はやつれきっていて、大丈夫かいな、と心配するほど。顔色も良くないし、スマイルサービスにも力がありませんでした。それから、オケの機能的問題についてはここで詳しくは触れません。
ブランゲーネを歌った期待のツィトコーワは、テオリンと一緒に演技をするとほとんど別世界の人間と思えるぐらい、小柄で痛々しささえ感じてしまう。演出上でも、なんだか虐げられている設定で、イゾルデから怒鳴られ、クルヴェナールにいじめられ、船員には揶揄される始末。第二幕では、せっかくイゾルデに進言しているのに冷たく跳ね除けられてしまう。常に何かにおびえているブランゲーネで、イゾルデにも冷たくあしらわれている。最終部分も、体育すわりをしてしまって、ほとんど引きこもり状態。そんないじめられ役的なブランゲーネを演じていました。
しかし、あの小さい体格で、テオリンに肉薄する声の太さを持つというのは驚嘆に値します。それにしてもカーテンコールでテオリンとツィトコーワが目をぜんぜん合わせていないように見えました。演出上もイゾルデとブランゲーネの間に冷たい主従関係を見て取れただけに、なんだか怖い。なぜ、ブランゲーネはああまで虐げられるのか? 所詮は昼の世界にしか生きられないということなのか。
最期のカーテンコールもすごかった。8年ほど新国に来ていますが、終了のアナウンスを覆して幕を開けさせたのは今回が初めてだったと思います。ブーイングもブラボーが入り乱れましたが、これがいわゆる「よいカーテンコール」というものなはず。新国にも桜がいるのかもしれませんが。

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引き続き「トリスタンとイゾルデ」。
全三幕ありますが、それぞれの幕にお気に入りの場があります。月並みながら、第一幕なら杯を飲み終わった後。第三幕ならイゾルデの愛の詩。第二幕ならマルケ王のモノローグ。そしてなにより私がもっとも感動するのは第二幕第二場でしょう。
夜の狩猟が罠とは知らずに、あるいは罠と知っていても、それを顧慮することを放棄せしめるほどに強い愛情がゆえ、トリスタンとイゾルデは背徳の逢瀬を敢行してしまう。ブランゲーネの進言をも讒言として取り合わないぐらいに。それほど盲目的な強い愛情の力は引き合う磁力よりも何よりも強い。
この逢瀬は夜にだけ許されるもの。昼においては、トリスタンは廷臣としての勤めを果たし、イゾルデは貞淑な妻を演じるのだが、本当の彼らになれるのは夜だけなのだった。
トリスタンがここで執拗なまでに昼と夜についての考察を歌い上げるのだが、そこには真の自分を求めるがゆえに昼の世界を侵害するという背徳感が同衾していて、この背徳感は、直接聴いているものの胸の中に直接入り込んでくることになる。
というのも、人間にはだれしもこうした背徳感を感じる経験があるはずで、もちろん下敷きになっているのはヴァーグナーの個人的経験なのだが、それをも普遍化し美の高みへと押し上げることで、トリスタンとイゾルデの逢瀬は普遍的客観的な理念へと昇華する。
テオリンとグールドの歌う、イゾルデとトリスタンは、ただただひたすら、難解にも思える愛情とうつせみの関係について語り合っている。圧倒的なパワーで。それだけで涙が溢れ、体は嗚咽に波打ち、頬に熱く涙が伝わる。
それで、僕は、どうやら、このとき、とある事態に相対していたと言うことに、ついさっき気がついたのでした。どうやら、これは辻邦生がよく語っている「至高経験」に似たものだったようで、もちろん、こういうたぐいの体験は、証明したり十全に説明できることではないわけですから、ここで語ることが出来るのかどうか。
だが、これは決定的な体験だったのではないか、と思うのです。
とりあえず、メモはとったので、詳しくは明日書けるはず。。。
日本中でタイガーマスクな日々が続いている今日この頃。まだ捨てたものではないですね。

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あああ、またやられてしまいました。涙なしには観ていられぬ6時間でした。
というか、この三日間ほど風邪で微熱が続いていてあまり体調は良くなかったんですが、そんなもの吹き飛んでしまうほど強力なパフォーマンスでした。しっかり元を取った感じ。
やはり期待を裏切らないテオリン。
のっけから、強烈な歌声に痺れてしまう。少し強めのビブラートが強力なブースターとなって、劇場内に響き渡るイゾルデの怨嗟や歓喜は、胸のうちに直接差し込まれる赤く熱した鏝(こて)のようで、理屈抜きに直接心臓を揺り動かすもの。
テオリンについて言えば、まずは、第一幕の冒頭で、イゾルデが怒りをぶちまける場面ですさまじいパワーに涙がでてきました。おそらくは音圧に圧倒されたのでしょう。いわゆる崇高を感じた瞬間。
次は、第二幕で「一緒に死にましょう」とトリスタンと歌う二重唱のところ。あそこもすごかった。グールドもテオリンも譲らず、高いところで戦っている感じ。あそこは泣けます。もちろんワーグナーの偉大さもあってのことではありますが。あの台詞はきっとワーグナーが自分のことを書いているはず。天才のカミングアウトというのは本当にすごいものです。そして、それを時間を超えて伝えるテオリン、グールド、大野さんの素晴らしさ。
あとは、最終部分、イゾルデの愛の死のところ。テオリンも少し疲れが見えるが、それでもあの厳粛な場面で実に凛々しい女傑的イゾルデで、もうひれ伏すのみでした。
明日も続きます。しばらく続くかもしれません。

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11月21日、つまり、ヴォルテールの誕生日ですが、新国立劇場にて「アンドレア・シェニエ」を見て参りました。いやいや、本格イタリアオペラという感じで、三時間弱堪能しました。
まずは、ノルマ・ファンティーニの素晴らしさ。ずいぶん前から新国立劇場にいらしてますが、私は初めて聴きました。本当なら昨年の「オテロ」に出演の予定だったと記憶していますが、残念ながら昨年は降板なされましたので。まずはもうお姿が美しいと言うのが第一印象なのですが、歌も抜群に良かったです。声量、性質も抜群でした。こういう方が世界レベルなんだろうなあ。
それから、シェニエを歌ったアガフォノフもなかなかの方。低い音域でのピッチの揺れが少し気になりましたが、ここぞというところのロングトーンののびは素晴らしいです。声質は硬質な感じですが、これはロシア的と言えるのでしょうかね。昔、パリで「トゥーランドット」を見たときに、カラフを歌ったロシアの方と性質がよく似ています。ドミンゴのような甘みはないんですが、これはこれで気に入りました。
あとは、ジェラールを歌ったガザーレも素晴らしい。冒頭、従僕として登場するジェラールの第一声を聴いた途端にやっぱり引き込まれてしまいました。
演出もすごく面白かったです。もちろん、フィルップ・アルローの手になるもの。この方の青い照明は本当に素晴らしい。払暁の東の空を思わせる群青色が実に印象的。群青大好き。
色々面白い趣向が凝らされていて、各幕の最後は、フラッシュが瞬き、舞台上の登場人物達がスローモーションで動いているように見えるんですが、すべて人々が殺されるシーンになっていました。貴族達が殺され、ジロンド派が殺され、死刑囚達が殺され……。
あとは、第一幕と第二幕の間に出てきたギロチンのCGが面白かったです。小太鼓が刻む陰鬱なビート音が徐々に大きくなるにつれて、CGで描かれたギロチンが何度も何度も刃を落とし、CGのギロチンが細胞分裂のように数を増やしていく。フランス革命の陰惨な恐怖を視覚と聴覚に訴えているようなパフォーマンス。なんだか、こうも執拗に小太鼓のビートが繰り返されるのはミニマルミュージックを聴いているような感覚でした。
最後のシーンで、舞台上の登場人物達は全員殺されて、舞台上に身を横たえるのですが、子供達だけが生き残っていて、舞台奥に駆け込んで、銃を持って三色旗を振り回していました。このシーンは希望を現している、というむきもありますが、私には絶望に感じられました。結局、子供達も大人になれば同じことをするのだ、とい示唆なんでしょう。
フランス革命の残虐性は、次の世代に受け継がれ、人類がある限り永遠に繰り返されるのである、というテーゼ。うーむ、人間というものは悪行を繰り返し、決して進歩しない。弁証法は幻想である。悲しみ。