NNTT:新国立劇場,Opera

「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術~イタリアの工房から~」というイベントが、5月28日(土)に東京初台の新国立劇場の地下2階リハーサル室で開催されました。新国立劇場のウェブサイトにニュースが出たのが4月27日のこと。私はウェブを見ていましたので、そこですぐさまエントリーしました。
当初は、新国立劇場5階のビデオシアターで開催する予定だったそうですが、予想以上の申込者が会ったとのことで、急遽リハーサル室に会場を変更したのだそうです。おかげで、リハーサル室に潜入(?)する機会をいただきました。運が良かったです。
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この写真がリハーサル室の入り口。ちょっと画質が悪くてごめんなさい。
地下の初台駅から階段を上ると、小劇場の入り口がありますが、その右斜め前方にあるのが楽屋口です。少し緊張して入り口に向かうと、守衛さんに用件を聴かれました。一人一人にちゃんと確認をとっているようです。どうやらそれが決まりらしい。で、用向きを伝えると中に通していただけました。
楽屋の入り口を入って真っ先に目に入ったのが神棚でした。神棚の下にはお酒が供えられています。DANCE to the Future 2011の出演者一同からのお供えものでした。5月28日が初日だったのですね。
その横には食堂があります。アルコールもおいてあるのですね。なるほど。
その先には地上から地下二階へと貫く吹き抜けがあって、地下とはいえ自然光を取り込むことが出来るようになっています。階段を下った地下二階が19室のリハーサル室があるフロアです。微かに歌手の方が発声練習をしているのが聞こえてきました。
会場はリハーサル室Bという部屋で、バレエやダンスのリハに使う部屋だそうです。2009年の冬でしたか、NHK教育のイタリア語会話で、新国で上演された「トゥーランドット」のリハーサルの様子が少し紹介されたことがありましたし、会報誌「ジ・アトレ」の写真などで、何となく雰囲気は分かっていましたが、中に入ると、なかなか広々としていましたし、天井も高く、壁面には音響を考慮したと思われる凹凸が設えられていたりと、新鮮です。
入り口には、今回の「コジ・ファン・トゥッテ」のセットと思われる舞台の模型などがおいてあったりして、否応なく気分が高まります。
明日に続きます。

NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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新国立劇場の写真。通い始めてもう8年近くになりますが、建築的にも大好きです。幾何学的な構造美もありますし、随所に日本的意匠が凝らされているということもあり、いつぞやかは、朝早く、6時半頃に新国に出かけて夢中で写真を撮ったことがありました。
さて、 すっかり頓挫していたオペラトークの模様の最後の回。本日が初日でしたので、かなり遅れてしまいました。仕事にもっとスピード感を持たせないと、と思う今日この頃。

演出に際してのト書きの扱い

演出をする上での発想は、セリフと音楽から考え、ト書きは重要視しません。画家は白いキャンパスを使うが、演出家としても、やはり白いキャンパスを使いたいからです。音楽と台詞は、どこで上演しようとも同じものを使うことになるから、そこから出来るだけ自由な発想を得たいのです。
確かに台詞の真意や意味合いが変わってしまうと言う恐れはあります。ただ、ト書きにただ沿っていくのは、目隠しをした馬に道を示して山を単に登る、ということです。それではおもしろみがありません。山に自由な道を使って登れば違った楽しみを見いだすことが出来るでしょう。

モーツァルトの醍醐味

モーツァルトの醍醐味は、ドラマの構造にあります。対立する複数のドラマが並立して描かれています。とかく人生というものはそう言うものであり、観客誰しもの人生もまたそうなのです。朝起きて悲しいことがあったとしても、夜になれば楽しくなることだってある。
これこそが現実なのです。これが、ダ・ポンテやモーツァルトを現代的たらしめているものなのです。なぜなら、彼らはすでに我々自身のことを書いているのですから。

見えない内面を描き出す素晴らしい演出

アリアやデュエットの時間をクリエイティブなものにするためには、その時々の心情をビジュアル化していくことが重要なのです。たとえば、化粧を濃くしたり、服を変えたりすることで、台詞とは逆の方向を見せたりします。

オペラを見るということは?

オペラに行くということは、知っていること、知っているはずのこと見に行くということです。
ですが、本当に知っているか? という疑いを持って、心を空っぽにしてプロダクションに行って欲しいのです。
オペラは考える装置なのです。

まとめ

ミキエレット氏は、怜悧な頭脳を持った若きやり手演出家、という印象でした。ジーンズに白いシャツというすっきりとした出で立ちで登場して、冷静に話しておられました。このファッションセンスは、私らが若い頃のものではないかなあ。
ダミアーノ・ミキエレット氏は、昨日のワークショップで話をうかがった舞台美術のパオロ・ファンティン氏とタッグを組んで欧州オペラ界に衝撃を与えているようですが、昨日この二人の手による演出の映像を少し見ることができました。
めちゃくちゃカッコイイですよ。水が張られた舞台に、燃えさかる紙を落とすと、一気に火が広がったり、巨大な鏡を舞台奥に斜めに置いて、観客が舞台を上から見ることができるとか。
たとえば、こちらに写真があります。
“http://www.scenesmagazine.com/spip.php?article1970":http://www.scenesmagazine.com/spip.php?article1970
“http://colleghi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-23":http://colleghi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-23
本当に本当に楽しみです。
「コジ・ファン・トゥッテ」。まだ間に合いますよ → チケットぴあ

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東京も入梅しました。ご覧のようにオペラシティの高層階部分は雲の中に入りかかっています。
今日、新国立劇場にて開催された「「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術~イタリアの工房から~ 」に行ってきました! 今回のコジの舞台美術を担当されたパオロ・ファンティンさんと、舞台美術コーディネーターを勤めておられる白石恵子さんのお話をうかがう充実の2時間半でした。
前半の一時間はパオロ・ファンティンさんが今回のコジ・ファン・トゥッテの舞台美術の意図を説明してくださり、後半の一時間は、白石恵子さんが、今回の舞台の大道具をモデナで作ってこられたエピソードなどを話してくださいました。
もう、興味深いことや目から鱗が落ちることがたくさんで、充実しすぎです。しかも無料ですから。これはもう素晴らしいの一言に尽きます。今後もこうしたイベントが開催されるようです。なぜなら今回のタイトルは「国際連携プロジェクトⅠ」なんですから。きっとⅡとかⅢもあるはず。
今日はさわりだけ。もう、書かねばならないことがたくさんあります。またシリーズがふえてしまう。。
ともかく、20年前に、こんな世界があることを知っていたら人生変わっていただろうなあ。

NNTT:新国立劇場,Opera

新企画「数字で見る新国立劇場」。いままでの数ある企画は終わっていませんが、かなり前から調べたいことでしたので、今回アップいたします。
新国立劇場がオープンしたのは1997年10月10日の「建・TAKERU」ですので、はや14年が経とうとしています。私が新国に行き始めたのは2002年ですが、演目の傾向などをまとめたら面白いだろうな、と準備を進めていました。最近やっとデータの確保が出来ましたので、今後徐々に分析していきます(最近、仕事でこういう作業が多い。。。)
第一回は、どんな作曲家が取り上げられているのか、について。
1 ヴェルディ  26回
2 プッチーニ     19回
3 モーツァルト 15回
4 ワーグナー 13回
5 リヒャルト・シュトラウス 12回
6 ロッシーニ 6回
7 ビゼー 5回
8 團伊玖磨 3回
9 マスネ 3回
10 ヨハン・シュトラウス二世 3回
11 以外 34回
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1位、2位は、イタリアの両巨頭であるヴェルディとプッチーニが占めています。これは、これまでの新国立劇場の本公演139回のうち、おおよそ45%を占めるという高占有率です。なるほど。やはり、日本にとってのオペラというものは、イタリアオペラの比重が高いと言うことでしょう。あとで国別でも集計してみます。
つづいて、3位から5位までは、ドイツ=オーストリア系の作曲家であるモーツァルト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスが占めています。オペラと言えばワーグナー、という向きもあると思いますので、それはまったくうべなうことが出来ます。
シュトラウスファンとしては、ワーグナーに1本次いでリヒャルト・シュトラウスが続いていると言うのがうれしいです。リヒャルト・シュトラウスの上演回数は12回。第6位のロッシーニが6回です。なるほど。
※ データは、1998年から2010・2011シーズンまでを、新国立劇場のウェブサイトの「過去の公演から」を参照して、分析してみました。
つづきます。

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午前11時前の新国立劇場のエントランスにて。入った途端にこの風景で、感動です。こんな光の入り方をするなんて知りませんでした。この季節のこの時間だからこその風景かもしれません。
昨日に続いて、「コジ・ファン・トゥッテ」のオペラトークにて、ミキエレット氏がお話しした内容を、個人的にまとめてみます。ネタバレありますのでご注意ください。

人間の理性について

 最終部の台詞に「理性に従って行動できる人間は幸いである」という台詞がある。理性的であればどのような困難も克服できるという18世紀的な理性偏重のモラリストの考え方ですが、これは偽善的な台詞でしょう。端的に言うと、この台詞で安心を得ているともいえましょう。我々は人間とは何か、という問いに恐怖を抱くのです。それは、見たくないものが見えてしまうからです。我々の本能的な部分、動物的な部分が見えてしまうのです。こういう見たくないものに蓋をしまてしまおう、というのがこの「理性に従って~」という台詞であり、このフィナーレなのです。

演出に際してのト書きの扱い

演出をする上での発想は、セリフと音楽から考え、ト書きは重要視しません。画家は白いキャンパスを使うが、演出家としても、やはり白いキャンパスを使いたいからである。音楽と台詞は、どこで上演しようとも同じものを使うことになるから、そこから出来るだけ自由な発想を得たいのです。確かに台詞の真意や意味合いが変わってしまうと言う恐れはあります。ただ、ト書きにただ沿っていくのは、目隠しをした馬に道を示して山を単に登る、ということになるのです。それではおもしろみがありません。山に自由な道を使って登れば違った楽しみを見いだすことが出来るでしょう。
つづく
あと2回ほどで終わる予定です。5月29日が初日の「コジ・ファン・トゥッテ」。まだ間に合いますよ → チケットぴあ

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行って参りました。新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」ですが、本日の11時よりオペラトークにて、演出のダミアーノ・ミキエレット氏のお話を聞いてきました。ネタバレありですが、オペラトークの模様を2回に分けて報告いたします。なお、私の主観で再構成してお届けします。

念のためあらすじ

 二人の士官と、二人の姉妹の恋愛模様。士官フェルランドはフィオルリージ、士官グリエルモはドラベッラと婚約している。フェルランドもグリエルモも自分の恋人の貞操を疑わない。だが哲学者アルフォンソはそんなことはない、と言い張り、賭をすることになる。フェルランドもグリエルモも変奏をして、互いの恋人を好感してくどき始める。最初はフィオルリージもドラベッラもはねのけるのだが、最恋人を捨てて新たな恋に身を任せてしまう。結局、すべてが露呈するが、互いに許し合うのだった。

演出の方針 

 舞台設定は現代イタリアのキャンプ場になっています。これは以下の理由によります。
ストーリー自身はシンプルであるが、フィナーレを考えると実はシンプルではありません。含みを持たせた最後と言うことであり、恋や愛を信じられなくなった若者四人がこれからどうなるのか、という疑問が残るのです。
演出家として様々な選択を重ねて作品を作り上げていきますが、現代のキャンプ場に場を移したのは、理由はただ一つであり、舞台上の登場人物に現実味を与えるためです。最も重要なのはわかりやすさである。誰にでも分かると言うこと。素養があろうと亡かろうと分かるものを作りたいのです。その上で、そこに、通の人に分かるような趣向を凝らす、そういう二層構造になります。
グリエルモもフェルランドもドラベッラもフィオルリージは学生で、一週間のキャンプで自然に囲まれたところでキャンプ場で楽しもうというのです。ですが、男性は二人キャンプ場から去ってしまいます。バカンスのキャンプ場には誘惑がたくさん存在しています。(独身男性もたくさん来ているでしょうから)
もう一つ重要な要素は自然に囲まれていると言うことです。自然の中では人間社会を離れているのです。また、舞台の時間設定は、第一幕は昼間から夕暮れ、第二幕は夜となります。夜であれば、自然の中で人間は本能を見いだすのではないでしょうか。アルフォンソのセリフに「社会的枠組みを外れると本能に立ち戻る」というものがありあますが、この森の中でそれがあらわになるのです。動物的で本能的な者に目覚めると言うことなのです。

デスピーナとアルフォンソは?

 もともとは、フィオルリージとデスピーナの小間使いであるデスピーナは、キャンプ場のバーの店員という設定です。そして、哲学者アルフォンソは、キャンプ場のオーナーという設定です。アルフォンソは、若者達をキャンプ場に招き入れているわけですが、そうしたことで、アルフォンソは若者達を自分の手のひらの内で動かしているよというような意味合いがあり、歌手達の演技もそれに基づいた者になります。

ドン・アルフォンソはなぜこうした賭をするのか?

 オペラの解釈をする上で一番大切なことは、すぐに答えを得ようとするのではなく、あらゆることに疑問を持つと言うことなのです。この答えを求めようとするプロセスが重要です。こうしたオペラの解釈には答えがたくさんあるわけであり、だからこそ一つのオペラに複数の演出あるのです。
 そうしたなかでアルフォンソの台詞にこだわりを持つことにしたのです。なぜ、アルフォンソは若者四人を動かして,互いの恋人の貞操
をぶちこわして、若者達の幻想を打ち砕いたのか? 
 この作品のテーマは愛や恋といったもので、台本のダ・ポンテやモーツァルトがこのオペラに込めたテーマなのです。恋愛の法則や原因を考えることがテーマなのです。アルフォンソもこうした愛やら恋やらに疑問を持っているのではないか、と考えたのです。たとえば、アルフォンソは過去に辛い恋愛体験があって、それがゆえに、若者達の幻想を砕くようなことをしているのではないでしょうか? したがって、今回の演出では、最終部においてはある種悲劇的な結末となります。結局は孤独や悲しみに行き着くのではないかということなのです。
つづく
ちなみに、今朝時点ではまだ席が空いているようです。まだ間に合いますよ → チケットぴあ

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

本日、新国からメールが届きました。新国立劇場の「コジ」関連のイベント紹介でした。
コジは5月29日が初日で6月11日までです。
コジの次の公演は「蝶々夫人」で、6月6日から6月18日までです。蝶々夫人も直ぐそこに迫っている。。。
ということで、本日の通勤リゾートでは「蝶々夫人」の第一幕を堪能したんですが、これがすごかった。聴いたのはシノポリ盤でしたが、シノポリってすごいんですねえ。
ゆらゆらとテンポが揺れるんですが、それがものすごく的確で、聴いているだけでグイグイと引っ張られ、心を揺さぶられます。もう興奮しっぱなしでした。フレーニも強烈な存在感ですし、カレーラスの牽引力もすごい。第一幕だけでもうおなかが一杯です。私は第一幕最終部に向けて、ピンカートンと蝶々夫人がやりとりするところが大好きです。あのBimba Bimbaと始まると、ぞくっとくるたち。あそこだけは二回聞き直して、ますます良い気分です。
(あの歌い出しはパヴァロッティが絶妙ですね)
録音は若干荒っぽいですが、中低音が充実していて、迫力があります。残響も中低音にピークがある感じです。こういうサウンドも大好き。
*  ミレッラ・フレーニ
*  ホセ・カレーラス
*  テレサ・ベルガンサ
*  ホアン・ポンス、他
*  フィルハーモニア管弦楽団
*  アンブロジアン・オペラ・コーラス
*  ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
やっぱり、3年前も感動していたようで、以下のようなことを書いております。
“https://museum.projectmnh.com/2008/07/28230018.php":https://museum.projectmnh.com/2008/07/28230018.php

テンポが激しく操作されていて、実に楽しい。ここでこのテンポ? みたいな驚きの連続。でもそれでいてしっくり来るテンポ。僕のデフォルト盤であるカラヤン盤がそんなにテンポを動かさないので、そう思うのかもしれませんが。個人的にはテンポを動かす演奏が好きですので、いたく気に入りました。
シノポリのプッチーニといえば、「マノン・レスコー」を聞いたことがありますが、こんなにテンポ動かしていたかなあ、と思ったり。
ちなみに、ピンカートンを歌うホセ・カレーラスがすばらしすぎる。パヴァロッティのようなあらぶれたところもなく、ドミンゴのような甘さもないけれど、なんだか直情的で真摯に歌う感じですね。不品行なピンカートンには少し似合わないかも(そういう意味ではパヴァロッティはピンカートンにぴったりですが……)。でも好きなんですね、こういう声。ここまで一生懸命歌われるとこちらも心が動きます。ピンカートンのカレーラスは当たりです。

新国立劇場の蝶々夫人特設ページはこちら。
“http://www.atre.jp/11butterfly/":http://www.atre.jp/11butterfly/
新国立劇場の「コジ」関連のリンクはこちら。
“カバー歌手による演奏会形式の「コジ・ファン・トゥッテ」":http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000470_opera.html
“演出のダミアーノ・ミキエレットが出演するオペラトーク":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001363.html

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取り急ぎ。さきほどメールが届きました。すでに稽古は始まっているようですが、あたらしい出演者の方には感謝の気持ちとともに、期待したいと思います。ありがとう!

このたびの東日本大震災によって被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
新国立劇場2010/2011シーズンオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」
(ダミアーノ・ミキエレット演出 新制作)公演は、大震災後の原子力災害による
自身の健康への懸念から、現在の日本に長期滞在することが困難であると決断した3名
(P.カリニャーニ、A.サムイル、D.コルチャック)及び体調不良者1名(E.ツァラゴワ)が
降板を申し出たため、指揮者及び出演者を以下の通り変更して上演いたします。
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます
◆ 「コジ・ファン・トゥッテ」新出演者 ◆
【指揮】
パオロ・カリニャーニ → ミゲル・A.ゴメス=マルティネス
【フィオルディリージ】
アンナ・サムイル → マリア・ルイジア・ボルシ
【デスピーナ】
エレナ・ツァラゴワ → タリア・オール
【フェルランド】
ディミトリー・コルチャック → グレゴリー・ウォーレン
【変更なし】
ドラベッラ役ダニエラ・ピーニ
グリエルモ役アドリアン・エレート
ドン・アルフォンソ役ローマン・トレーケル

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おー、これは素晴らしい。私は早速申し込みました。
5月29日が初日の新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術についてのイベントです。
“http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001454.html":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001454.html
今回の「コジ」は周辺イベントが充実しているなあ。
# オペラトーク(5月15日)
# カバー歌手による演奏会形式「コジ・ファン・トゥッテ」演奏会(5月15日)
# 舞台美術イベント(5月28日)
本当は、演奏会形式の「コジ」も行きたかったのですが、別の演奏会のチケットを譲っていただいていたので、やむなく見送り。それが残念。オペラは準備をすればするほど楽しめます。凄くたのしみ。

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幼い頃からの夢ないしは目標は、おそらくはこの長大なオペラを聴くことにあったと思います。
19世紀後半以降のクラシック音楽の趨勢を決めた天才作曲家のリヒャルト・ワーグナー。彼の作曲した数あるオペラの中でも、記念碑的な作品である「ニーベルンクの指環」は、4つのオペラを組み合わせた長大なもので、上演に4日間かかるという大作です。作曲には26年の長い期間が費やされ、1867年に、ワーグナー専用のオペラハウスであるバイロイト祝祭劇場で初演されました。
私は、幸いにも、2009年3月から2010年3月にかけて、東京初台の新国立劇場で上演された「ニーベルンクの指環」の実演に触れる機会を持つことが出来ました。そのときの驚きは、当時書いていたウェブログにまとめられていて、今でも時折読み返して、当時の感動と興奮を追体験しています。
ウェブログの過去文書は、そのままでは振り返ることが難しいです。ここでは、ヴァルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏の3曲に絞ってまとめ直し、新国立劇場での公演を振りかえってみたいと思います。
つづく