NNTT:新国立劇場,Opera

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既報ですが、嬉しかったので書きます。ペーター・シュナイダーが、新国立劇場にカムバックです。2012年6月に「ローエングリン」を振ります。卒倒しそうに嬉しいですね。這ってでも行きます。私は、新国立劇場のアンケートに「ペーター・シュナイダー、ペーター・シュナイダー、ペーター・シュナイダー」と何度も何度も書き続けていたのですが、同じ意見の方がいらっしゃったということでしょう。まあ、私のアンケートは関係ないにしても、この僥倖は素直に喜びたいです。
来年1月は、いよいよ大野和士指揮で「トリスタンとイゾルデ」。早速、シュナイダーが2009年にバイロイトで振った「トリスタンとイゾルデ」を聞いています。約半年ぶりのワーグナーオペラ。楽しみで仕方がないです。

NNTT:新国立劇場,Opera

ふう、やることたくさん。頑張ればどうこうと言う問題でもないからなあ。
さて、めげずに音楽聞いています。帰りがけの電車の中で、たまたまiPodの中の映像を見ていたのですが、シュナイダー&テオリンの「トリスタンとイゾルデ」の映像が出てきました。
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どうということはないシーンのはずなのに、落涙。最近、涙もろいなあ。齢のせいか、疲れているのか。
しかし、前に書いたように、やっとオペラに感動できる体に戻ってきたというところなのです。良い兆候だ!
つい先日、新国立劇場からアンケート依頼が届きました。「より充実したサービスを手今日するとともに、さらに満足できるような劇場運営のあり方の指針とすることを目的」とするものだそうです。
というわけで、いろいろ書いてみました。ここではすべては書きませんが、設問の一つにあった「オペラファンの裾野を広げるとしたらどういうアイディアがあるか?」というもの。
これは難しいなあ。
ファンが増えたら、ますますチケット取りにくくなっちまうじゃないか。。。
なーんて。
でも、裾野を広げるにしても、間口はきわめて狭いから、なかなか容易なことではないはず。劇団四季みたいに、戦略的に広告出したり、露出を増やしたり、芸能界とタイアップしてイメージアップする、とかかなあ。嵐のメンバーから一人ぐらい、全公演招待するとか。オペラ以外の目的で集客できるかも。で、そのうち何人かにオペラに興味持ってもらうとか。
まあ、前提もなにもないなかだと戯言になりますね。
でも、本当に裾野を広げないと、予算も削られるだろうし、経営も圧迫されてくるはずで、下手をすればこの間まであった「自主公演停止」なんてことになりかねない。今が踏ん張りどころで、みんな必死なんだと思う。
いろいろ思うところはあるけれど、もっとまじめに考えて回答してみようと思います。

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指揮者のミヒャエル・ギュットラーは長身のイケメン王子様という感じ。オケが小さいので、ピットの床が高く設定されているからというのもあるのですが、かなり目立って見えました。
ギュットラーは、ドレスデン生まれの若き指揮者ですが、なかなか難しく味のあることをしてくれています。序曲はかなりの高速で、今日は、このテンポでやるのか。なかなかスタイリッシュで、若々しい演奏になりそうだな、と予想していたのですが、そのうちに、すさまじいほどの緩急のメリハリをつけ始めて、一筋縄ではいかないところを見せてくれました。
ともすれば、テンポの処理がすこし激しくて、歌手もオケモうまく追随出来ず、ハーモニーが一瞬崩れる場面もあって、ハラハラしたり。ケルビーノのアリアも、相当テンポ落としていました。ちょっと歌いにくそうな感じ。
実は似たような経験をしたことがあります。実は、2003年にウィーンで「フィガロの結婚」を聴いていますが、そのときの指揮は小澤征爾で、ケルビーノはアンゲリカ・キルヒシュラーガー。あのときも指揮と歌がかみ合わず、ハラハラしたんですが、またも同じ経験をしてしまいました。
あそこはやっぱり難しいのですかね。
やはり、いろいろな指揮を聴くと勉強になります。先日のウルフ・シルマーが素晴らしかっただけになおさら。羨ましいことにまだまだ若い方ですので。がんばってほしいです!
オケは、先日の「アラベラ」を見た直後とあって、編成の小ささが奇異に感じるほどでした。先に触れたとおり、ピットの床はグッとあげられていて、コントラバスのネックがすごく高く感じました。
これで、フィガロの結婚の話は一段落です。次は11月の「アンドレア・シェニエ」。このオペラ、プチ-二的絢爛な音楽で魅了されています。予習がんばらないと。

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昨日の公演ですごいハプニングを目撃しました。冷や汗。。
ケルビーノがバルコニーから庭に飛び降りて逃げるシーン。
ケルビーノのポケットには、軍隊の辞令が入っていて、飛び降りた先の庭で落としてしまい、庭師に拾われてしまうという設定なのですが、なんと、飛び降りる直前に、舞台に辞令と思われる冊子を落としてしまったのです! 
あっ、と思っていたら、スザンナを歌ったエレナ・ゴルシュノヴァがさっと拾って、そのままタンスの中に隠れたんですね。
ところが、あとではしごを伝って登ってくる庭師は、ケルビーノの辞令をなぜかちゃんと持っていて、伯爵に差し出していました。あれは予備ですね。
3月の「神々の黄昏」でも、指環がなくなってしまうハプニングがあったそうですが、あのときも舞台裏では大騒ぎで、なんとか予備の指環で凌いだのだそうです。
今回も、舞台の方は肝を冷やしたと思います。でも、これぞ生の舞台のよさなのでしょう。
あすは、指揮について。あえて時間をおいてます。

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行って参りました。今シーズン第二作目の「フィガロの結婚」
このプロダクションは、2003年がプレミエでした。あのときもやはり芸術監督が交代した時期でした。先々代の芸術監督であるノヴォラツスキー最初のプロダクションと言うことで、アンドレアス・ホモキの演出にウルフ・シルマーの指揮という陣容。スザンナは中嶋彰子さんでしたねえ。2007年にも上演しているようですが、私は7年ぶりでした。
2003年の「フィガロの結婚」で忘れられないのが、ケルビーノを歌ったエレナ・ツィトコーワでした。度肝を抜かれましたよ、あのときは。深みのあるメゾで、グッと来まして、この方はすごい! と直観しました。その後、新国には「コジ」(これは聴いていません)、「ばらの騎士」でオクタヴィアン、「ラインの黄金」&「ワルキューレ」でフリッカ、と何度かお目にかかりましたが、やはり2007年のオクタヴィアンは、忘れようにも忘れられません。
それで、今回のケルビーノは、ミヒャエラ・ゼーリンガー。今回も度肝を抜かれましたよ。この方はすごい。ツィトコーワと同じく深い色調のメゾ。文字通りしびれました。演技も巧いし、カッコイイし、言うことないです。案の定、レパートリーはズボン役のオクタヴィアン、作曲家(ナクソス島のアリアドネ)、オルロフスキーときますから。私はこの方のオクタヴィアンを是非にも聴きたい!
別に私がどうこうというわけではないですが、2003年に有名になる前のガランチャを新国で見て、この方は絶対にあがってくる、と思っていたら、本当にスターになってしまいましたからね。ゼーリンガーさんもそうなると良いなあ。
素晴らしかったのは、伯爵夫人を歌ったミルト・パパタナシュ。ギリシア生まれのソプラノで、お美しいだけではなく、堂々とした演技にふさわしい気品のある見事な歌で感動しました。第二幕冒頭のアリアではもううっとりするばかり。気になったのは、後にも触れますが、すごく微妙なアーティキュレーションかなあ。すごく注意しないと分かりませんでしたが。これには別の原因も絡んでくるはずです。
あとは、フィガロを歌ったアレクサンダー・ヴィノグラードフ。エッジの際だつ艶やかなバリトンでした。さすがヨーロッパ人の持つアドヴァンテージ。体格も立派。かなわないなあ。
明日に続きます。

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しかし、アラベラとマンドリカのカップル。いったいこの後どうなるんだろう、と気になって気になって仕方がありません。
あんなにマッチョで嫉妬深くプライドの高いマンドリカと、やはりプライドがあるけれど、気まぐれで、夢見心地なアラベラの結婚生活が、穏やかなものであるとは思えません。見ていて、そこがすごく気になります。
アラベラとマンドリカがおかれた歴史的背景を考えてみましょう。シュトラウスの設定では1860年ごろですので、第一次大戦とオーストリア帝国の滅亡を見たか見ないかごろに二人とも天寿を全うするでしょう。いや、アラベラは1920年ごろまで存命だったかもしれません。
ただし、ですよ。今回の演出の時代設定は1930年ごろです。ということは、ナチスがドイツの政権を握り、第二次大戦では、クロアチアやスロヴェニアはパルチザンとドイツ軍の熾烈な戦いが起こり、その後は社会主義化されてしまうわけです。当然マンドリカの土地は収奪されるでしょう。極めて過酷が運命が待ち受けているに違いありません。それを思うと切ないなあ。
さて、今回の演出では、マンドリカの領地の地図を従者が見せる場面がありました。あれ、トウキョーリングで、登場した地図にそっくりだったと思いませんか? わたしは、双眼鏡で必死に字を読みました。そこに、ギービヒの領地とか書いてないかな、と。でも、そんなことは書いておらず。
なんともかんとも、心配になる二人の行く末なのでありました。
まだ続きます。妄想と深読みのシリーズ。

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昨日の「アラベラ」公演行ってきました。
オペラで泣いたのはいつぶりだろう? 今年の4月、「神々の黄昏」@新国で泣いて、4月の「パルジファル」@上野で、号泣して。その後、なんだか気が抜けてしまった感じでした。今年の3月は、「カプリッチョ」の最終部分、聴くだけで泣いてしまうぐらいだったのですが。4月の後半以降は、本当にアンテナの感度が弱まってしまって、何を聴いてもなんだか白々しく聞こえてしまうような感じで、本当に危機的な状況だったのですよ……。やっぱり、「影のない女」@新国のショックが大きかったんだろうなあ。
それでもなんとか、いろいろ聴いていたんですが、どうにもこうにも、というところ。
で、やっとその呪縛から解放されました。
昨月、オペラトークでも、解説の田辺秀樹氏が、シュトラウスの和音をポロロン、と弾いたところで、思わず涙ぐんでいましたので、そろそろ感動できるかな、と思っていたんですが、やっぱり大丈夫でした。
リヒャルト・シュトラウス万歳!
第一幕、ブルーの色調のホテルの部屋で、まあ、占い師とアデライデが出てきて、ズデンカなんかと、会話するあたりから、なんとなく緊張してみていたのですが、アラベラのミヒャエラ・カウネが登場して、歌い出した途端に、腹筋のあたりがグッときて、落涙してしまいました。カウネの歌声、それはもうシュトラウスの数ある女主人公にぴったりな声でして、この方の元帥夫人や伯爵夫人マドレーヌを聴いてみたいと思うのでした。ズデンカのラスムッセンは、少し声量に物足りなさを感じたんですが、ピッチはよくて、なかなか良い感じ。第一幕の二重唱は素晴らしかったですよ。もっと泣けたのは、第一幕の最後のほうでアラベラがなんとも苦悩する場面。ここでの指揮者ウルフ・シルマーの牽引力は素晴らしかった。カウネとシルマーでグイグイと高みへと昇って行くのを目の当たりにして、もう感動せずには居られない。ここでも激しく落涙。すごいですよ、まったく。シルマーもカウネもすごいんだが、やっぱり一番すごいのはシュトラウスのオーケストレーションだと思うのです。
そうそう、マンドリカを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーは、昨年の「ヴォツェック」でタイトルロールを歌った方。ヴォツェックはかなりの素晴らしさで、度肝を抜かれましたが、今年のマイヤーも、マンドリカのマッチョですこしチャラい感じをよく出していました。ピッチも声質も申し分ないと思うのですが、ただ声量がちょっと、というところもありました。これは、シルマーのオケのコントロールの問題なのか、マイヤーの声量自体の問題なのか、PAの調整によるところなのかは不明。でも、それもこれも許せる。
マイヤーのマンドリカ、かなりの不良貴族ぶりで、私は首肯できたのですが、かなり際どい線を行っていましたので、気に入らない方もいるんだろうなあ、と思いました。だって、金のネックレスまでしているんですから。それから、妻屋さんのヴァルトナー伯爵の演技も、気にする人はいただろうなあ。かなりコミカル過ぎる演技でしたので。これについても私は首肯できます。とても楽しめました。ああいうセンス、妻屋さんは日本人のなかでも上を行っていると思います。もちろん、本場の欧州人の洒脱さには我々日本人はかなわないのでしょうけれど。
そういえば、マイヤーも妻屋さんも、昨年の「ヴォツェック」で協演しているんですよね。妻屋さんの医師役もコミカルだったなあ。妻屋さんって、すごく面白い方なのかしら。いやいや、舞台でコミカルな人って、意外と気むずかしかったりするもんですので、分からないなあ。でも興味ある。だって、妻屋さんがいなければ新国は成り立たないのでは、と思うぐらい、新国に出演しておられるのですから。
少し話を戻して、ミヒャエラ・カウラー。オペラトークで、田辺秀樹さんが「今回のアラベラは美人だ! 期待してください!」と言っておられましたが、確かにお美しい方。でもって、すごく大柄です。声は深みも持ち合わせるけれど、なおもまた若々しさ、瑞々しさのようなものも持っておられる。少し気になったのは、中高音近辺で、ビブラートに入るタイミングが少し遅いのでは、と思ったことぐらい。あとは、演技も良かったですよ。アラベラの気まぐれでまだ、娘娘している感じをよく出していたと思います。
ああ、あとは、衣装。面白いなあ、と思う反面、あれれ、と感じるところもありました。マンドリカの衣装は、完全に首肯しますが(好き嫌いあると思いますが)、アラベラの衣装は、ちょっといろんな意味で面白かったです。
明日は、深読みと妄想シリーズです。

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今日は、新国立劇場の2009年/2010年シーズンを振り返ると題して。

オテロ

 このステージの印象と言えば、イアーゴを歌ったルチオ・ガッロの素晴らしさが中心に鳴ってしまいます。。水が張られたベネツィアをイメージした舞台セットに照明が当たって、揺らめく水紋のきらめきに舞台が包まれていて、うっとり。デズデーモナのタマール・イヴェーリは、代役とはいえ、実にレベルの高い歌唱を聴かせてくれました。

魔笛

 モーツァルトオペラを苦手とするわたくしにとって、「魔笛」はある種の挑戦でした。予習で聴いたデイヴィス盤でシュライアーの歌うタミーノに心打たれたことの方が印象深いほどです。しかし、フリーメイソン的、秘儀的である種突飛なストーリーは、やはり実演に接しなければ分からなかったのは事実です。やはり、一回見ただけじゃダメですね。ザラストロの松位浩氏が良い味を出しておられました。本当に日本人離れしたバスです。

ヴォツェック

 これは凄かった! アンドレアス・クリーゲンブルクの鬼才たるゆえん。一部には水音に対する不満もあったようですが、舞台上を水で満たして、その上でパフォーマンスが進行するという実にエキサイティングな演出に興奮しっぱなしでした。ベルクの夢幻的音楽とあいまって、演出が織りなす非人間的である種のグロテスクさをも表出する舞台空間は、もう何も言うことがないほど素晴らしかったのです。ヴォツェックのトーマス・ヨハネス・マイヤーはもう完全にヴォツェックになりきっていて、歌もさることながら表情から演技まで大活躍。あとは、マリーを歌ったウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネンの素晴らしさ。私はあのマリーの子守歌のところでもうジーンと来てしまいました。NHKで二回ほど放映されたのでごらんになった方も多いと思います。

トスカ

このトスカは凄かった! トスカ役のイアーノ・タマーの美しさは、私の中で勝手にマリア・カラスに置き換わっていたぐらい。音楽の絢爛さとかシリアスさもさることながら、舞台演出の見事さのほうが印象的。実はこのプロダクションは数年前に見ているのですが、左バルコニー席だったので、第一幕の最後のテ・デウムの場面をちゃんと見られなかったのです。でも、今回は二階の正面に近い席ということもあって、テ・デウムの場面をきちんと見ることが出来て感涙。グランド・オペラ的な沸騰感を十全に満喫しました。それにしてもタマーのうまさ。スカルピアの殺害場面はものすごい緊張感と完成度。歌にも疵は感じなかったし、演技力や表現力が素晴らしかったのです。

ジークフリート

いよいよトウキョー・リングも後半戦。まずは、ジークフリート。クリスティアン・フランツの甘みのあるヘルデン・テノールぶりに、なんだか心が清らかになる気分。で、最後のブリュンヒルデの覚醒では、イレーネ・テオリンが登場し、すべてをかっさらっていく素晴らしさ。このあたりから、もう頭の中は指環でいっぱい。

神々の黄昏

みんな凄かった。でもイレーネ・テオリンが一番凄かった。それしか記憶を再構成できないぐらいです。あのパワフルな声量には舌を巻いてしまいます。テオリンのちょっと強めのビブラートは、ロケット・ブースターのようなもの。もう圧倒的なパフォーマンスで、私はもうふらふら。で、そのあとバックステージツアーに当選して、初めて新国立劇場の舞台裏に参りました。私の人生観が変わった一日。

愛の妙薬

私の2010年前半はワーグナー漬け。新国で「ジークフリート」と「神々の黄昏」を見て、4月9日は上野でシルマーが振った「パルジファル」を聴いたのですから。それに4月に入って、新年度となり、仕事がえらく忙しくなったのです。それでで、かなり体調は悪かったのですが、何とか行った「愛の妙薬」は、ワーグナー的な真剣さとは取って代わって、軽妙なオペラで、かなり勝手が違いました。当初は凄く違和感を覚えたほどです。このたぐいの楽しいオペラは、昨年見た「チェネレントラ」以来でしたので。でもとても楽しめたし、いろいろ面白い解釈可能性を思いついて、個人的には満足です。主役のふたりは素晴らしくとくにプリマのタチアナ・リスニックは巧いし美しいし、言うことなし。それから、狂言回し的なキーマンであるドゥルカマーラを歌ったブルーノ・デ・シモーネも! 彼のような方がいらっしゃるからこそ、オペラの伝統が受け継がれていくのですから。

影のない女

このシーズンで、リングと同じように期待していた「影のない女」リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールが作り出した幽玄と現実の混交。しかしながら、どうしたことか。やはり演出にあと一歩何かが足りなかった。でも、歌唱陣、特に、皇后、バラクの妻、乳母の三女声陣は素晴らしかった。バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデを聴くのは三回目だったけれど、今回が一番よかった気がします。パワーと安定。皇后のエミリー・マギーだって凄かった。この方はリリックですこし冷たさの混じった瑞々しい声。乳母のジェーン・ヘンシェルは、2002年のパリで聴いた(?)「影のない女」でも乳母役を歌っていたから、7年半ぶりの再会。

カルメン

カルメンは、ドレスデンで見たことがあるぐらいでお恥ずかしい限り。しかし、カルメン役のキルスティン・シャベスは生まれときからカルメンであっただろうアメリカ人。奔放なカルメンのペルソナを巧く演じていて感動。ジョン・ヴェーグナーが元気がなかったのが気になったぐらい。あとは、ミカエラを歌った浜田理恵さんの素晴らしさ。2008年のトゥーランドットに続いての登場。ミカエラもリュウも似た境遇ですね。ああ、浜田さんが歌う「ペレアストメリザンド」を聴いておきたかった。。。。

鹿鳴館

池辺晋一郎氏の最新作オペラの世界初演。三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」のオペラ化で、故若杉弘芸術監督のアイディアで始まったという作品。若杉さんが亡くなって、池辺さんは途方に暮れたそうですが、このオペラの完成こそが若杉さんの望んだことだ、ということで、今年の春に完成したとのこと。音楽的には、様々な要素が絡まり合うユニークな作品。厳密に、なになに的な、というような形容は出来ないです。でも、池辺晋一郎氏が多作家であり、映画音楽やドラマ音楽を手がけていることから分かるように、標題音楽的な料理がなされた作品であることがよく分かる、良い作品でした。鵜山さんの演出もよかった。鹿鳴館時代の背伸びをしている日本人のけなげさとか滑稽さが巧く表現されていました。

総括

どうしても、このシーズンは、「ジークフリート」と「神々の黄昏」にその中心が置かれてしまうのは否めないです。あんなに感動して、あんなにインスパイアされた経験はありません。私の2月と3月はワーグナー一色だったと思います。期待していた「影のない女」は十全なできとは言えませんでしたが、音楽的には立派で素晴らしかったんですから。
あと、今年痛切に感じたのは、オペラトークがあれば、必ず行くべきだ、ということ。私は、音楽を聴くには予習が必要だと思っていますので、パフォーマンス前には集中して聞き込みをしますが、演出家や指揮者の方が肉声で語るオペラの魅力や演出の狙いなどを聴くと、よりいっそう作品への理解が深まります。次のシーズンもアンテナを張って、がんばっていきます。
この記事、もう少しリファインして、ウェブページに衣替えするつもりです。リンクはったりする予定。それは追々やっていこう。まずはエントリーが大事。
次は、2010年2011年シーズンに期待すること、を書いてみたいと思いますが、おそらくは週末になる見込み。
さて、そろりとバイロイトの録音準備に入らないと。ウェブラジオのまとめをしないとイカンですね。

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今日は本当に湿っぽい一日でした。もう夏です。昨年の今頃は屋久島に行っていたなあ、なんて。
早速、本日見てきた池辺先生の「鹿鳴館」のことを。

中劇場といういつもより小降りの箱で、凄く一体感のあるパフォーマンスでした。

男の論理と女の論理

この作品、影山伯爵と伯爵夫人朝子の対立軸が一つのポイントとなっていると思います。すべて憎悪が政治を動かすのである、という極めて現実主義的権力主義的影山と、我が子を守ろうとする朝子が知らず知らずのうちに対決しているという構図。最後はもちろん朝子は敗れ去ります。影山には何らの傷もつかない。朝子は、影山と別れて、影山の政敵である清原の元へ向かうことを示唆しますが、劇の最終部の銃声で、清原の死が暗示されています。男の論理の完全勝利。
だが、どうにもこれには釈然としないのです。本当に影山は完全勝利を得たのか? やはり朝子を失ったことは疵ではないのか? 影山は、朝子と清原に関係があったことを知って、嫉妬があると吐露しますが、影山が感情らしいところを出したのはあの場面だけ。あとは、淡々と政敵を追い詰め、さらには嫉妬を覚えた清原や久雄を始末するという結末。勝利はしたけれど、おそらくはむなしさも覚えていているのではないか、とも思えます。どうしようとも朝子との関係修復は無理でしょうから。
けれども、男の論理ではそんなことはどうでもいいのかもしれません。けれど、なぜか悔しさを覚える。朝子の敗戦が気の毒に思えるからなのか。

演奏について

歌手の方々で言うと、影山夫妻を歌ったお二方が大変素晴らしかったです。ソプラノの腰越満美さんの朝子は、実に気品溢れる演技で、歌の方もピッチの狂いも感じられず、特に伸びやかな高音域は素晴らしかったです。そうか、イタリアに留学された方でしたか。この方、実は「ばらの騎士」の元帥夫人とか、「カプリッチョ」の伯爵夫人を歌えるフレミングタイプのソプラノの方ではないか、と思いました。
影山伯爵の与那城敬さんも素晴らしかった。落ち着き払った演技で、巧かったですし、歌唱も善かった。
で、思ったのですが、やはり、日本語の歌詞を日本人が歌われると実にしっくり来るのですよ。ごくたまに感じる物足りなさなんて微塵もない。やっぱり日本語の歌詞は日本人のためにあるのだなあ、と。なんだか偏狭なナショナリスト的言動ですが、正直な感想です。ドイツ人のネイティブスピーカーがドイツ語を歌う日本人を聴いてどう感じているのか、ちょっと分かった気がします。
音楽は、もうなんというか、いろいろな要素がミクスチャされたもの。調性はめまぐるしく変わりますし、鹿鳴館の舞踏シーンのシニカルな音楽は、鵜山仁さんの、これまたシニックな演出と相まって、鹿鳴館時代の日本の一生懸命さを皮肉っぽく表現していました。
今の日本のオペラも、鹿鳴館時代と同じなのかもしれない。そうした批判意識があるのでは、とも深読みしてしまいました。
それから、飛田をセリフなしにしたのは第正解。怪しさ満点で、政治の裏でなされているダーティーな仕事を示唆していて効果的でした。飛猿みたい。

まとめ

実に刺激的な一日。三島の文学と、池辺さんの音楽に、鵜山さんの演出が混ざり合って一つの大きな価値が生み出された瞬間に立ち会えたという幸福な一日でした。
カーテンコールの最後、舞台奥に故若杉弘さんの写真が映し出されました。カーテンコールを受けていた演奏者や池辺さんも後ろを振り返って、若杉さんの遺影に拍手を送りました。
これで、若杉さんが企画した2009年/2010年シーズンは終了です。明日はちょっと今シーズンを振り返ってみたいと思います。

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

なんだかiPodの調子がおかしい。いやな予感。。。HDD160GB積んでいること自体に無理があるのかもしれません。SSDはまだ高いので仕方がないんですけれど。
今朝は、マノン・レスコーを。
いま、追っかけで「男と女はトメラレナイ」を見ています。リアルのほうは、人形浄瑠璃を取り上げています。うーむ、オペラだけが対象ではなかったのか。。。残念。
で、「男と女はトメラレナイ」での「マノン・レスコー」の回は、マノンは「魔性の女」である、という観点から、トークが繰り広げられていて、実に面白い。
デ・グリューと愛を誓いながらも、やっぱり金持ちじゃないとイヤ、というわんばかりに、金持ちの老人ジェロンテの屋敷に転がり込み贅沢三昧。けれども、デ・グリューが現れると、やっぱり心変わり。やっぱり年寄りじゃいやなの、みたいな。デ・グリューも人がよすぎる。「魔性の女」マノンに完全にイカレテしまっている。姦通罪で有罪になったマノンを追っかけて、辺境の地、ルイジアナまでいってしまうんですから。
しかし、「魔性の女」、いますよねえ。被害者を何人か知っていますが。。。「男と女はトメラレナイ」では、鴻上尚史さんがゲストだったのですが、一度「魔性の女」に引っかかってしまい、あまりの辛さに、仕事を入れまくって、しのいだそうです。なるほど。仕事入れればいいのか。
今日の魔性の女、マノンを歌うのはマリア・カラスです。古いモノラル録音ですが、音質はかなりいいです。指揮はセラフィン。デ・グリューはジュゼッペ・ディ・ステファノ。この方は激烈な人生を送っておられる。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8E":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8E
マリア・カラスの声は、私には硬質に思えます。むしろ、ちょっと硬すぎるのかもしれない、と思うぐらい。ピッチも微妙な部分があるかもしれない。でも存在感はすごい。きっと、実演だとものすごいことになるんでしょうけれど。私のデフォルト盤は、シノポリ&ドミンゴ&フレーニ盤です。フレーニの柔らかみを帯びた声のほうが好みかもしれない。今は、ですが。
「マノン・レスコー」は、新国立劇場でも次シーズンで上演が予定されています。
私は、一度だけ実演に触れています。2003年にミュンヘンでアンドレアス・ホモキの演出で見ました。
これは、2004年にミュンヘン行ったときの写真。ちと威張って立ってみました。まだリーマン・ショックを知らない時代。

ミュンヘンの「マノン・レスコー」の読み替えは凄烈でした。もちろん、会場はバイエルン・シュターツ・オーパーなんですが、幕が開くと、舞台も、同じシュターツオーパーで、客席に座るわれわれの頭上にぶら下がる巨大なシャンデリアがそのまま舞台上にも現れたんですから。合唱は正装したオペラ観客に扮していて、みんなプログラムなんかを持っているんですよ。警官役は歌劇場の守衛の制服を着ているんです。マノンが捕らえられるシーン、あそこは、マノンが覚せい剤を持っていたという設定になっていて、警官役がマノンのハンドバッグを取り上げると、中から白い粉が舞台にばら撒かれるという仕掛け。リアリティが刺激的過ぎる。
これが、くだんのシャンデリア

当日は、全四幕を連続して2時間休みなしで演奏。指揮は誰だったんだろう。当時のリブレットにはファビオ・ルイジの名前が書かれているのですが、絶対に違う。もっと年配の職人気質的指揮者だった記憶が。ちょっと探してみないと。。
ともかく、演奏者も、客席も、私も、強烈な集中力のなかで舞台は進行していって、あっと今の2時間。あれほど集中したオペラはそうそうありません。私は舞台に向かって一番左端の一番前という席で、目の前がオケピットでした。インテルメッツォの恍惚感が忘れられません。昨日のことのようだ。
ホモキ氏って、1960年生まれなんですね。若いのにすごい。ホモキ氏は、新国立劇場でも「フィガロの結婚」、「西部の娘」を演出しています。「フィガロ」のほうも斬新な読み替えでエキサイティングしたおぼえがあります。これも2003年のこと。「西部の娘」は2007年でした。ダンボールを巧く使った演出で、現代アメリカに読み替えていました。
来シーズン、「フィガロの結婚」が再演されますので、こちらでアンドレアス・ホモキ氏のアグレッシブな演出を楽しめます。私も観るのは二度目になりそうですが、楽しみですね。同演出異歌手に巡り会えるのも新国立劇場がしっかりしてくれているからこそ、ですから。