音楽入門―音楽鑑賞の立場 伊福部 昭 (2003/05/22) 全音楽譜出版社 |
完読していませんが、面白いので少々引用してみます。
正しい思考と、長い訓練によってのみ、はじめて感得しうるような種類の美がありますが、まず、第一に裸になって、自分の尺度を主とするところから始めなくては、決してそのような高い美しさを感得しうるようにはなり得ないと言うことを述べたいのです。
伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 12ページ
アンドレ・ジイドは「定評のあるもの、または、既に吟味し尽したものより外、美を認めようとしない人を、私は軽蔑する」と述べていますが、……
伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 13ページ
私たちが音楽作品を聴く場合に、第一に心がけねばらなぬことはこのことです。すなわち、その作品にあって、音がどのように美しく構成され、またどのような運動をするかということにかかっているのです。もっと平易に言えば、音楽は音の純粋舞踊のようなものだと考えればいいのです
伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 42ページ
観賞の立場から言えば「音楽は思想で聴くものではなく、その音を聞くべきものだ」
伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 48ページ
何はともあれ真の音の美しさを味わうためには、自己の中にある既成の音楽上の観念を一度捨てて、純な素直な心がまえで、音楽にもう一度触れてみる必要があるのです
伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 52ページ
ふうむ、音楽鑑賞をするにあたって、少し冷や水を浴びせられた感じ。もっと素直になって聴かないといけないなあ、と。そのためには、いわゆる世評が確立された録音だけではなく、その他の録音も聴かないといけなかったり、「音の純粋舞踊」
を楽しむために、音の構成や運動を理解する必要があったり、僕がまだ到達できていないところが求められているようです。
続きを読んでみてまた書いてみたいと思います。