バッハ:チェンバロ協奏曲集 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 (1989/07/01) ユニバーサルクラシック |
久方ぶりにバッハのチェンバロ協奏曲を聴きました。10年以上前に聴いたきりだと思います。
憂いを帯びた弦楽合奏の音色に胸が引き裂かれるような気分になります。どうしてだろう、と考えてみました。
リヒターはモダン楽器を主に使い、ピリオド楽器は通奏低音におけるヴィオラ・ダ・ガンバのみだったそうです。このことに関してはいろいろと意見があるようですが、この弦楽合奏を聴けば、必ずしもそれが失敗だったと決めつけることは出来ないと僕は思います。ただ、この音色であれば、チェンバロの替わりにピアノを使ってみてもいいのではないか、とも思いました。確かにすこし弦楽部が前に出来てしまっているような印象があります。チェンバロの音をもう少し聞きたいな、という欲求もあります。
書いていて思ったのですが、僕はこの音の印象を持つ録音をもう一つ知っていることに気づきました。クレンペラーが振ったバッハのミサ曲ロ短調です。あの演奏もやはりモダン楽器を使った壮大な印象だったのですが、どこかに悲痛感や憂愁感を感じた録音でした。同じモダン楽器を使ったバッハということが共通点にあるのみですが、どうやらモダン楽器だから分かるバッハの憂愁感というものがあるようです。楽器の性能が良くなったが故に、バッハの真意を汲み上げることができるようになっているのかもしれません。もちろん逆にピリオド楽器でないとバッハの真意をくみ取ることが出来ないという考え方もありますけれど。