先日の講演会で以下のような話がありました。虚構かもしれませんが真実を含んだ虚構だと思いましたので、ちょっと書いてみますと、 ひとつは映画のプロットなのだそうですが、第二次大戦中の欧州戦線で、戦場に取り残された詩人の処遇の問題。指揮官である大隊長は、詩人に一個小隊をつけて後背地へと護送しようと計画しました。詩人は、私ごときに一個小隊という貴重な戦力を割いてもらうのは申し訳ない。一人で、後背地へ退きます、と大隊長に申し入れる。すると大隊長は詩人にこういう。あなたは平和な時代に欠くべからず方なのです。本来なら私は一個中隊さきたいぐらいなのです。一個小隊しかさけなくて申し訳ないと思っているのです。戦争が終わればあなたが今度は恩返ししてくれなくちゃいけません。
最後のほうは私の創作ですが、まあこういう感じのプロット。
次のプロット。
やはり戦時中ですが、舞台は日本です。空襲の危機が迫り、美術品を地方へと疎開しなければならない事態に陥りました。美術館が貨物列車の手配をお願いするのですが、軍部はにべもなく拒否する。あんた、こんな非常時に、美術品だのなんだのといっている暇はないのだ。貨物列車は、兵士を運び軍需品を運ぶことを最優先にするべきなのだ。それでもなお、貨物列車の手配を求めるのは、この時局にあって非国民的であり、言語道断である、と。
講師の先生がおっしゃるに、美術芸術文化は役に立たないかもしれないけれど、それを守れば必ず街や国は繁栄するのだ。人間が食べて寝るだけの動物であればそうしたものは必要ない。だが、人間はそれ以上のものであるべきであり、そうしたいわば人間性のようなものを保つために美術芸術文化がとても重要なのだ、と。
この言葉も私がかなり翻案してしまっています。本来おっしゃっていたこととは違うかもしれませんが、私はこう捉えてしまいました。
2つ目のプロット、これはまさに僕らの周りでいま起きていることと同じだと思います。生きることが最優先なのは確かにそのとおり。けれども、生きるだけでは人間性を保持できないわけです。人間であることをあきらめればいいのかもしれませんが、それはまるで家畜とどこが違うというのか。 けれども、現代日本においては、生きるか死ぬかのところでがんばっている方もおられるわけです。世界レベルの話をすれば、そういう方はあまりにたくさんいらっしゃるでしょうから。それを思うと、無力感というか虚脱感にさいなまれるのですが。
新国立劇場の予算が結局どうなるかは今後の注視ですが、この問題、本当に難しいです。何か戦争下にいるような空気と不安感を感じるのですが。もちろん戦時下を体験していない私には戦争がどういうものなのかわかっていないのですけれど。。。