どうにもやることがたくさんあるのですが、それでも毎日音楽を聴くようにしています。前にも書いたかも知れませんが、音楽聴いていないコンプレックスを持っていまして、他の方々よりも聴いている量が半端なく少ないので、こつこつ聴かないといけません。
何でこんなに聴けていないのかなあ、と思ったのですが、高校二年頃からジャズ・フュージョンを聴くようになってしまった、というのが大きな要因かなあ、と。高校の頃何をやっていたのか覚えていないのですが、実は音楽を聴いてデジタルホーンを吹きまくっていたのでした。おかげで大学ではジャズ研究会に入ることが出来ました。当然のように挫折したのですが。
というわけで、取り戻すためにも、毎日頑張って音楽を聴いています。
今日は、コジ・ファントゥテを少々。モーツァルトのオペラは勉強不足ですので。
聴いている音楽の偏り
それで思ったのですが、私の音楽に対する感覚というのは、結構偏っているかも、というところ。特に、この7年ぐらいオペラを聴き始めてからずいぶん感覚が変わってきている、と言うことに気づいたのです。
音楽を構成する要素
音楽を構成する要素は、音色、音階、拍節だと思います。音階と拍節によって旋律が成立します。それから、旋律の速度とか、音量などの要素が入ってきます。あとは和声と対位法というとらえ方もありましょうか。
(メロディ=旋律、リズム=拍節、ハーモニー=和声 が音楽の構成要素と言われることがあるようですけれど)
デジャヴとバリエーション
それでですね、和声と対位法とか、旋律などはもうだいぶんと使い尽くされているのでは、ということ。旋律なんかだと、J-POPあたりになると常にデジャヴとともにあるような感じもします。
商業音楽の話しになると少々ずれるので、強引にクラシックに話を戻すと、クラシック音楽はほとんど過去の曲を再生産しているイメージです。新たな旋律や和声が組み込まれる機会は極めて少ないです。
それで、何で勝負しているのかというと、1)音量とそのバランスとか、2)旋律の速度など、それから3)音色=サウンドというところになりましょうか。他にも言葉では説明できないグルーヴ感のようなものもありますが、それはおそらく1)と2)の組み合わせなのかなあ、と。
サウンドへの感覚
私の場合、以前だと、1)とか2)に重きを置いていた気がするのですが、オペラを聴き始めてから途端に3)の要素に敏感になってきた気がします。歌手の声というのは、楽器のそれと違い個体差が極めて大きいですよね。同じ旋律であっても全く印象が異なります。その違いを何とか説明しようとすると、声色=音色=サウンドへの注意力が増した気がします。ヤノヴィッツとポップの違いを言葉でどうあらわすべきか、とか、実演に触れた際に、歌手の声質をどうやって伝えるべきか、などなど。
歌手の声質もそうですが、それに加えて録音場所とか録音への感覚も昔よりついてきた気がします。これはもうルカ教会との出逢いが一番大きい気がいたします。昨日書いたように、同じルカ教会でオケも同じなのに音が違うというのは、指揮者の影響なのかエンジニアの影響なのか、というような話しになって、ワクワクします。
この続きもあるのですが、それはまた明日。