Opera,Richard Wagner


人物相関図の回にもすこし触れましたが、オルトルートのセリフの中に、ヴォータンとフライアの名前が登場します。両者とも「ラインの黄金」に神々の一員として登場するわけですが、特にヴォータンは神々の長として、主人公といってもいいほど重要なキャラクターです。

オルトルートは、キリスト教化後にあってもまだ古い神々への信仰を持っているようです。妖術使いとも魔法使いともいえるキリスト教社会における異端的な存在です。

先日見た1997年の新国立劇場における映像では、最後の場面に登場するオルトロートは、いかにも「異教徒」的な装飾品を身につけていました。

オルトロートはどう見ても悪役です。が、彼女が、旧来からの神々を信仰するとしたら、彼女は侵略を受けた被害者と言うことになるでしょう。

どうも、ローエングリンにおいては、無反省に受容するとキリスト教的史観に身を委ねてしまいがちです。ローエングリンやエルザこそが正義であると。実のところ、それは一方からしか眺めているだけなのでしょう。

旧来の信仰と新たな信仰のせめぎ合いは、昔読んだ手塚治虫の火の鳥太陽編を思い出します。あそこでは、神道の神々と仏教の神々の生々しい対立が描かれていました。両者が並立していることに慣れた中学生だった私には目から鱗が落ちる思いでした。

当然同じような生々しい出来事が古代ヨーロッパにもあったでしょう。

ニーベルングの指環の神々のあとの時代とはなにか、という問いかけけですが、私は貴族階級から中産階級への権力移行がモデルである、と考えていました。

ですが、先日の予習で、神々のあとにきたのは、キリスト教世界であったとも言えるでしょう。素直に考えるやり方もあります。

この辺りの議論は、とかく不毛になりがちです。すべての議論は正しく、そして誤りであるという状況です。