第3回 ヴェルディ翁を感動させた「ラ・トスカ」──新国立劇場「トスカ」を聴こう

雨の日曜日で、いろいろ捗りました。

今日は第3回で、トスカ成立におけるヴェルディのちょっとしたエピソードです。で、このエピソードがプッチーニにやる気を与えたらしいので無視できないのですね。

ではどうぞ。

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「トスカ」の原作となったのは、劇作家であるヴィクトリアン・サルドゥによる戯曲「ラ・トスカ」である。

「ラ・トスカ」は1887年でのフランスにおける初演以来、圧倒的な成功を勝ち得ていたのだった。これは、あのサラ・ベルナールが主演を演じていたというところにもあるけれど。

この戯曲をオペラ化するに当たって、台本を担当したのはルイージ・イッリカである。イッリカは、プッチーニの出世作「マノン・レスコー」をはじめ、「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」の台本を手がけた。また、ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」も手がけている。(写真はルイージ・イッリカ)

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イッリカは台本への脚色をサルドゥと相談するためパリへ向かう。そのとき、パリには「オテロ」のパリ初演を準備するために当時81歳だったヴェルディが滞在していたのだった。ヴェルディはサルドゥと親しかったため、イッリカとサルドゥの会談に同席したのだった。

イッリカは、その場で「トスカ」の台本を朗読したのだが、第三幕のカヴァラドッシの辞世の歌に深く感銘を受けたのだった。

《私の愛は永久に消え、時は去り、私は絶望して死ぬ。今ほど人生をいとおしんだことはない》

ヴェルディは、年老いた自らに重ね合わせたに違いなかった。そして、もし自分がもうすこし若ければ、「トスカ」をオペラ化していただろう、と語ったのだった。

「オテロ」、「マクベス」など、シェークスピアの戯曲をオペラ化したヴェルディをして、そこまで感動させたこの「トスカ」とはどのような物語なのか?

次回は「「トスカ」とはどのような物語なのか?」です。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

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