カルロ5世かカルロ1世か。──新国立劇場《ドン・カルロ》その3

霜柱ゲット。

今朝は冷え込みました。本日撮影した霜柱です。

高校のころ、冬場にグラウンドに霜柱ができまくって、部活の練習ができず困っていたようです。朝方に立った霜柱は夕方には泥濘となりますから。

で、体育の時間に、霜予防の薬剤をまるまる一時間グラウンドに散布しました。それも何週間も何週間も。本当はバスケットをやる時間だったんですが。四回目ぐらい、さすがに生徒はキレてましたね。一回ならいいが、四回連続で部活のために体育の時間で作業をさせるのは何事だ、と。

まあ、世の中そういうものです。

カトリシズムの話の前に一つだけ。フェリペ2世の父親は、いわゆるカール5世です。ハプスブルク家最大版図を築いた王。それも戦争ではなく婚姻で、というやつです。高校時代にかじったポール・ケネディ「大国の興亡」の冒頭がカール5世だったんですが、予備知識なくして読めるわけもなく。その後高校で世界史を学んでいろいろ理解が進んだ記憶があります。


Charles V, Holy Roman Emperor by Tizian” by かつてはティツィアーノ・ヴェチェッリオ の作とされていた。. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.
で、このカール5世は、神聖ローマ帝国肯定としてはカール5世なんですが、スペイン王としてはカルロス1世なんですね。これは有名な話。

《ドン・カルロ》においては、カルロ5世とイタリア語読みとなっていました。カルロ1世でも良いはずなんですが。

原作者シラーはドイツ人ですので、カール5世としたのか。ヴェルディが活躍した頃のイタリアは、オーストリアの支配が及んでいた頃、あるいはその直後だったのでカール5世のままとしたのか。

ちなみに、ウィキペディアには、初号一覧が乗っていて、とても興味深いです。シチリア王としてはカルロ1世。オーストリア大公としてはカール1世。ブルゴーニュ公としてはシャルル2世、だそうです。

痛風に悩まされ、統治と戦争につかれたカール5世は晩年修道院に隠遁するそうです。なるほど。こういう権力者もいるということなのですね。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

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