今日は辻邦生の誕生日です。9月24日生まれなので、くにお、と名付けられたということだそうです。そして、今年は生誕90年の節目にもあたります。
それにしても、時代はどんどん変わります。世界も変わりますし、私も変わります。辻先生も人生において変転を重ねたものと思います。
ただ、変わらないのは、人間が人間であることを守る、ということぐらいでしょう。辻先生的に言うと、「美が世界を支える」ということだと思います(これも出典が怪しくなってきています)。
これは、実に難しいことです。実践することは果てしなく困難で、ほとんど徒労感に近いものがあります。ある意味、時代おくれとも思えます。
フランス革命で成し遂げたものの大きさは、とてつもないものでしたが、それすら瓦解していくのでしょうか。
賛否はあるにせよ、それは、先日のシリア難民の子供が溺れたシーンすら風刺してしまうということと関係があるでしょう。つまり、これは、ユークリッド幾何学や形式論理などを乗り越えたことで、自らをも疑う西欧の姿なのだと思います。
あるいは、多元世界において、西欧の言う人間という概念すら揺らいでいる、ということもあるでしょう。これもまたポスト・モダンの議論です。
我々は、西欧の外から、こうした事案を見ています。あるいは、西欧を借りて、自ら当事者となって歴史を生きてきました。が故に、さらに事態は複雑なのではないか、と思うのです。
西欧は不変ではなく、少しずつ姿を変えています。西欧をとりまく世界も変わります。
それでもなお西欧の光を浴びることができるのでしょうか。それが、今もなお最善であることは信じることはできるのですが、それがなお世界で生き続けるにはどうすればよいのでしょうか。
などということを考えながらも、それでもなお、やはり辻文学を読み続けるということなのだと思いました。
辻邦生の言葉のなかから、一つ選んでみました。
平和とは美の創造と同じなのだ。そこに新しい見方、考え方を地上につくることであり、ただ戦力を使わないことではないのだから。
辻邦生 千手堂の消失と心の荒廃 辻邦生がみた20世紀末 信濃毎日新聞社 391
この引用だけだと、解釈が難しく、あたかも戦力を使うことを肯定しているだけのようにも思えます。
ですが、そうではないでしょう。
この前後で論じられているのが、フランス、インド、パキスタンの核実験についての論評で、それ自体については否定的であるにはせよ、そこにはリアリズムへの眼差しがあって、「世界戦略の難しさ、奇妙さ」という言葉が綴られているのですから。
戦力を持つとか戦力を持たないとか、そういう議論をさらに飛び越えたものを想定しているということなのだと思いました。
それは、今年の1月に引用した「春の風駆けて」の一文にも通じるような気がします。
https://museum.projectmnh.com/2015/01/15235917.php
私は、別にそれは、ある一定の主義を肯定するようなものではないと解釈しています。
ここで思い出すのが、ワーグナー《ジークフリート》で英雄ジークフリートがとった行動です。ミーメが鍛えられなかったノートゥングを、ジークフリートは一度溶かして鋳直したのですから。そういう創造的進化のような質的変化が必要ということなのだと理解しています。
今日の一枚。
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来週末に《ダナエの愛》を観に行けるかもしれなくなりました。予習しないと。
しかし、私ももっと頑張らないとなあ、と思います。常に先のことは考えていますが、緩慢過ぎるのかもしれない、などと。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。