Opera

オペラの学校
オペラの学校

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ミヒャエル・ハンペ
水曜社
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昨日から紹介している「オペラの学校」ですが、面白いエピソードが紹介されていました。ヨーゼフ二世がモーツァルトに《後宮からの誘拐》の感想として「音が多すぎる」と指摘したのだそうです。これは、ヨーゼフ二世が音楽に無知だったということを評判をもたらしたものだったそうです。

ですが、実際には、ヨーゼフ二世は慧眼だったようです。それまでのオペラにおいては、歌手が歌唱と演技における大きな裁量よってオペラを牽引していて、オーケストラは単なる伴奏のようなものだったのです。

ですがモーツァルトはオーケストラが表現する要素を増やしたのでした。オペラ歌手の自由度は減ったということになります。

が故に、ヨーゼフ二世はそうしたことを指摘するという意味で「音が多すぎる」と評価したということです。

その後、オペラにおいて音楽性がどんどん優位になっていくわけで、その最たるものが、ワーグナーのライトモティーフであった、というストーリということです。

シュトラウスの《カプリッチョ》において、音楽と台本の優位性についての議論が、作曲家と詩人と伯爵夫人をめぐる三角関係で議論されていました。

2009年の二期会《カプリッチョ》のパンフレットで、評論家の広瀬大介さんが、どうみても作曲家のほうに分があるという私的をしていたのを思い出しました。

たしかに、作曲家フラマンは、伯爵夫人マドレーヌと翌日11時に図書室で会う約束をしてしまいましたし、二人のやり取りはかなり切迫したものがありましたし。

「オペラの学校」のミヒャエル・ハンペは、オペラはスコアが全て、と言っています。これを音楽至上と本当に捉えていいのかは慎重に考えないといけないのですが、少なくとも、演出における解釈は、音楽に依存するということは言っているはずですので、やはりオペラは音楽のほうが優勢なのでしょう。

さて、今日も色々聴いてしまいました。

《フィガロの結婚》は、アバド盤の洒脱さがいいなあ、とあらためて。心が洗われました。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。