偶然も必然も同じかもしれない。

最近、悲しいことがありました。もしかすると、何かしらのことがあれば、回避できたのかもしれない、という、悲しい出来事でした。それも、なにか勝手な想像なのかも知れず、詳しい事情もわからず、わかっているのはただ結果だけなのですが。また、なにかしらのことがあれば避けられた、というのも勝手な想像で、あるいは自己満足とでも言える解釈なのかもしれない、とも思います。ただ、振り返ってみたときな、やれることがあったのでは、という思いが残っているだけで、その可能性も、実際にはできなかったのだから、結局は不可能だったということに過ぎないということも分かっているのですけれど。

世界は、無限の偶然から成り立っていて、まるで一キロ先の針の穴に糸を通すとか、砂浜から一粒の小石を見つけるような偶然が、あたかも運命であるかのような必然性を帯びて見えてしまう、という状況なのだと思います。J.P.ホーガンの「プロテウス・オペレーション」を30年ほど前に読みました。あれはパラレルワールドを描いたものでしたが、「原子が一つ動くか動かないかだけで、世界は分岐し、パラレルワールドが生じる」という内容が書かれていたと記憶しています。パラレルワールドがあるかないかはともかく、原子が一つ動く動かないというレベルの積み重ねが世界を作っている、ということになるのでしょう。

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なので、悲しい出来事も、うれしい出来事も、そこに因果があるかなように見えますが、本当にわずかな偶然が重なったもの、と思いました。繰り返しになりますが、それを偶然と見るかあるいは必然と見るかは、我々にはコントロールできないという意味において、偶然とも言えるし、必然とも言える、ということになるのだと思います。

今日はこちら。エルガーのチェロ協奏曲。

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