Anton Bruckner

仕事場への通勤時間が唯一の考えられる時間で、スマホがあり、ヘッドホンがあり、文庫本があれば、まあなんでもできてしまうのですが、それでもなお、時間がたくさんあると思うとそれは錯覚で、あっという間に電車は仕事場に着いてしまいます。逆にできることがあり過ぎるから、ですね。

今日は、またティントナーによるブルックナー。5番です。あまりに論理的な構築美が繰り広げられる5番ですが、どう聞こえるのか。時に、晦渋に過ぎる演奏もありますが、ティエポロのような美しさはあるのか。

Symphony 5
Symphony 5

posted with amazlet at 17.02.15
Naxos (1997-08-05)
売り上げランキング: 53,453

で、聴いてみるのですが、やはり何か繊細な細やかさのようなものを感じて、いいなあ、と心から。丁寧な職人技のようなのですが、職人という言葉から連想される「仕事」という感じではなく、たおやかな「遊び」のようなものを感じました。
ブルックナーをとおしで聴けるぐらいの通勤時間は、良いのか悪いのか。まあ、良し悪しはなくて、あるのは、とおして聴けるというありがたさだけなのかも。通勤時間は、無償の労働と言われますが、まあ、スマホとヘッドホンのおかげで、生産的な時間とも言えそうです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

いろいろなことがおわり、先週は多くの山を越えました。今までにないことをいくつも。

思うことは、やり過ぎもまた問題ということかなあ、と。

先だって、とある方と話をするなかで、野心的だと言われたことがありましたが、単に、やりたいことをやりたいと思うだけで、淡々としたものなんですが。

苦労しているのは時間に対してやることが多すぎることで、色々と迷惑をかけているのでしょう、ということだけです。申し訳なくおもうことばかり。

今日はこちら。マックス・リヒターのリコンポーズによるヴィヴァルディの《四季》。

Recomposed By Max Richter: Four Seasons
A. Vivaldi
Deutsche Grammophon (2012-10-16)
売り上げランキング: 4,168

日曜日にNHK-FMで流れたのを聴きました。数年前にドイツグラモフォンからリリースされているので、きっと色々と議論されてつくしているのだとおもいますが、一旦は印象を。
春から冬まで、シンセサイザーを交えながら、弦楽合奏と独奏ヴァイオリンでリコンポーズサレタ楽曲は、《四季》のようで《四季》ではありません。似てはいるのですが、違います。リズムや旋律が変えられていたり、あるいは構造も変わっていたり。しかし、やはり、それはヴィヴァルディの《四季》。

でも、冬が終わったあと、5つのShadow というユニットが始まります。それはシンセサイザー中心の楽曲で、《四季》の旋律がかすかに聞こえたり、和声が聞こえたりするのですが、なにか、世界を裏側から眺めているような、《四季》ではない世界になっています。死者が世界を眺めるのこうなるのでは?、と思います。反《四季》のような感じ。

多分、大事なのは、オリジナルにはない、この部分なのかも。

さらにシンセサイザーだけでリミックスされた《四季》6曲。これは本当にエレクトロニカ、あるいはダンスミュージック的な音作り。現代化された《四季》。これもやはり、死者からなのか未来からなのか、裏側から眺めた《四季》。美しさ、あるいは批評なのか諷刺なのか。

さて、あらゆるものには、正と反があり、合となる、というのは、よくある弁証法の話。どうも最近の感覚は、正と反があり、平坦がある、です。上昇することなく、ただそこにある、という感覚。やりすぎると良くも悪くもあるけれど、まあ、そういうものだということで、受容しないといけないのかも。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

European Art,Miscellaneous

今日もブルックナー。9番をやはりティントナーで。昨日は、柔和な、と書きました。なにか優しさを感じます。

Bruckner: Symphony no. 9 / Tintner, Royal Scottish NO
Naxos (1999-10-26)
売り上げランキング: 50,089

思い出したのが、新国立美術館にあるティエポロの絵でした。2017-02-10 23.44.47
昔、ウィーンだったか、外国の美術館で、老人がティエポロの絵の前で「ティエポロ」低い声で呟いたとのが忘れられません。ヨーロッパ人の彼と、日本人の私が感じるティエポロに違いがあるのかないのか。私の感動は、日本人だからなのか。彼はどういう思いで「ティエポロ」と呟いたのか。あるいは、そもそも彼はどこの国から来たのか。オーストリアなのか、ポーランドなのか、スロベニアか、ハンガリーか。

なにか、戦後の日本の発展のなかで、上へ上へと登っていって行きついた先がいまの日本で、それはそれで本当にありがたいことではありますが、そうしたありがたさとは違うありがたみが、ティエポロとかティントナーにはあるなあ、と。とにかく静謐で、落ち着いていて、浮つくこともなく、淡々とデューティをこなし、唯一人間だけが意識的に許されている美しさをつくる営為に寄与している、ということ。実際は、もちろん、報酬はあり、あるいはそうした西欧の落ち着きに植民地経営が寄与していたということも忘れることはできませんけれど。これは、経済と芸術の問題なのかなあ、などと。

今日、山を二つ越えました。今週の山は日曜日で終わり。また来週から新しい山がきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

 

Anton Bruckner

今朝読んだブルックナーについての記事に触発されてこちらを。

7番は、初めて聞いたブルックナーでした。おそらくは、1988年ごろかな、と。30年も前。大阪フィルを朝比奈隆が降ったFM放送のエアチェックでした。金子建志さんが、いかに朝比奈隆の指揮のテンポが遅いか、というのを、朝比奈さんの演奏とバレンボイムの演奏(だったと思う)の二つのCDを同時にスタートさせて、バレンボイム盤が終わったところで、朝比奈盤に切り替えて、あ、まだここまでしか演奏できてませんね、みたいな比較をして説明していたのを思い出しました。

私は第二楽章が好き。ワーグナーの死に際して作られた、と言いますが、浄福に至る美しさはしばし世の芥を忘れさせます。この曲聞きながら、黄金の太陽が降り注ぐ雲海を眺めたことがあります。あれは人生で最も素晴らしいひとときの一つだったと思います。

今日はティントナー盤を聞いてみました。20年ほど前に評判になったのですが、なかなか聞けずじまいでした。第一印象は柔和なイメージ。

Bruckner: Symphony no 7 / Tintner, Royal Scottish National Orchestra
Naxos (1999-05-11)
売り上げランキング: 26,260

ちなみに、昨今、起きていることが、いいことなのか悪いことなのかわからない状況。多分、世界は透明で平坦なのだと思う。そして思った以上に意味がない。失敗も成功もなく。ただ、あるのは、おそらくは、そうした透明や平坦に向けられる自分の解釈だけなんだろうなあ。

なんてことをこの曲を聴きながら考えてしまいました。

明日でウィークデーは終わり。今日、ひとつ山を越えました。あと山は3つ。頑張らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

DayOneというiPhoneのアプリを使っています。

要は日記アプリなんですが、デザインが素晴らしく、書きながら幸せを感じます。また、iPhoneの位置情報や写真をトリガーにしてエントリーを作れる仕組みなど、至れり尽くせりです。ただ、iPhone6では少し遅いかな、と。

で、もっとも素晴らしい機能は、一年前の日記を毎日見せてくれるというもの。これは本当に画期的なのです。2015年の秋頃から使い始めたので、先だっての秋から、この一年前の日記を見るようになってきました。そうすると、なかなか面白い事に気づきます。当時考えていたことのいくつかが実現している、というもの。まあ、なにかやりたいことがあれば、書いたりするといいよ、という話はよく聞きますので、そうかもね、と思いました。もちろん、実現しないこともあるので、統計的にはあまり意味がないものかもしれませんけれど。

今日はこちら。リトナーがかつての自分の楽曲を改めてカバーしたもの。聞き覚えのある曲が満載で、それらが新たなアレンジで聴けるというもの。昔に戻りながらも、何か歳をとった成熟のような感覚もあり、落ち着いて楽しんでます。

A Twist of Rit
A Twist of Rit

posted with amazlet at 17.02.08
Lee Ritenour
Concord Records (2015-08-21)
売り上げランキング: 93,467

さて、とはいえ、ともかく、信じるものは幸いなり、とも思います。頭で考えるより、紙に書いた方が整理がつくというもの。その方が迷いも晴れて先が見えますので。もっとも、明日は全国的に広い範囲で雪とのこと。春がその先に見えてくるといいのですが。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

うーむ、なんだかやるべきことをやらないまま一日が過ぎていくのですが、それでも机に向かえば、何かしらの山を一つ一つ超えているのが不思議です。この数年はそんな感覚が続いているような気がします。とにかく、目前の一歩を踏み出すことで山は越えられるような。ただ、問題は進む道が多すぎるということなのかも。一本道ならいいのですが、どうやら複線を同時に走ろうとしているみたいで、それが良くないのか。

今日はこちら。

ツイスト・オブ・マーリー~ボブ・マーリーに捧ぐ
オムニバス リック・ブラウン&フィル・ペリー マーク・アントワン&パティ・オースティン フィル・ペリー ヨキム・ヴァン・デル・サッグディグズ マキシ・プリースト&リー・リトナー マイケル・ブレッカー&リサ・フィッシャー リー・リトナー&デイブ・グルーシン ジョナサン・バトラー ウィル・ダウニング&リー・リトナー リチャード・ボナ&マイケル・ブレッカー
ユニバーサル インターナショナル (2001-05-30)
売り上げランキング: 156,060

リー・リトナーのアルバムなんですが、様々なミュージシャンが参加しています。マイケル・ブレッカーがその目玉の一つなのかなあ。冒頭の曲でかなりフューチャーされていますので。レゲエなんですが、ジャズ・フュージョンっぽい音の作り。リトナーのアルバム作りのセンスの素晴らしさがよくわかり、しばらく時を忘れました。リトナー時代のフォープレイを思い出したり。

もっとも、今日は時を忘れるほど興味深い本にめぐり合いまして、仕事場からの帰路はそればかり読んでいました。

今日もまた、様々新しいことが。目が回るほど。今週の山はまだ続きます。そしてまた道が増えるのか、という問題も。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

とにかくアウトプットをする毎日。仕事場で、ですし、それが本来的なアウトプットではなく、単なる再構成であるというのも問題なのですが。新しいことをやったつもりですが、どれほどものが価値のあるものなのか。ということを考えながら。

アウトプットのためには、インプットが必要。そのインプットがどこまで必要なのかは誰にもわからない。いつか、質的変化が生じることを願いながら。インプットとアウトプットを続ける毎日、という感じかも。でも、最近起きている、これまでにないことは、質的変化の前触れなのかもしれないとも。

まあ、もっと頑張らないと。

もう、働いた日数はdecades という表現ができるぐらいで、できることできないことも分かり始めたから、質的変化はいつ起きてもおかしくないかなあ。

いずれにせよ、やれることをやるしかないんですけれど。

今日はアンネ・ゾフィー・フォン・オッター。歌詞の意味まで深入りせず、淡々と聴き続ける愉しみ。

Frauenliebe Und Leben

Frauenliebe Und Leben

posted with amazlet at 17.02.06
Deutsche Grammophon (1996-01-23)
売り上げランキング: 41,599

今日はとりいそぎ。おやすみなさい。

Richard Strauss

VIER LETZTE LIEDER/ORCHES

VIER LETZTE LIEDER/ORCHES

posted with amazlet at 17.02.02
R. STRAUSS
PHILI (2007-05-15)
売り上げランキング: 33,741

これまでにないいろいろなことが起きて、咀嚼するのに苦労している毎日。良いことも悪いことも。でも、咀嚼はできるのです。私の場合、そう言う咀嚼は泳いでいる間にやります。週に3日ほど、仕事帰りに泳いでいます。10分ほど泳ぐだけですが、そこで規則的に呼吸をして、規則的に体を動かしながら、色々と考えると、いろんな事が咀嚼できる感じ。ありがたいことです。

そんな昨今、なんだか、聴きたくなったのが「最後の4つの歌」。リヒャルト・シュトラウスの白眉。オーケストラ付き女性独唱曲。最後のロマン派音楽、なんてことを思ったりします。戦後に作られたのですから。最晩年の深淵は味わい深く静謐です。そういう境地にたどりつくためには、数多の壁を乗り越えなければ。そうでないとそれは無意味です。

ネトレプコ、ハルテロス、ノーマンを聴き比べるのですが、今の気分としては、ノーマンがフィットするかなあ。深みとエッジ。そして、これがゲヴァントハウスの音か、みたいな。

また明日から新しい色々なことをやらないと、と思います。

やっと立春ですが、まだ寒い日が。みなさまもどうかお気をつけてお過ごしください。