音楽を聴く愉しみをあらためて──カンブルランのブルックナー

2019-09-21

音楽を聴く愉しみをあらためて発見した気がする。

カンブルランがバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団を振った音源群に入れ込んでしまった。たまたまAppleMusicで見つけて聴いてみると素晴らしい演奏だったのだ。

今日はブルックナーの9番。抑制されていながらその中にたおやかで流麗さが備わった演奏。なにか、ドーリア式の円柱群が聳える旧跡に薔薇が咲きほこる場面を想像してしまう。理知的な感覚の中に、まるで差し色のように輝く美しさが介在してくる感覚。デカルト的論理性の中にモネ的な色彩が織り込まれているのだ。

このカンブルランだが、数年前に実演に接していて、多彩な表情と所作でオケを情感的に引っ張っているのが印象に残っている。オケから荘重な音を引き出そうとするとき、カンブルランはまるでルイ王のようにオケの前に君臨し、オケを統率していた。その挙措は俳優のそれに値する、と思ったのを記憶している。

この音源の中で印象的なのはオーボエの美しさ。何だろうか。この官能的なオーボエは。第一楽章冒頭のオーボエは、なにか身悶えするような官能性に満ちいて、それはもちろんカンブルランの引き出したものなのだが、このオーボエの絶妙なリズム、音色、ビブラートを聴いていると、漆器の名品を愛でるような気持ちになる。どなたがオーボエを吹いておられるのか。少し調べたのだが、残念ながら、バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団は現在は統合されてしまい、すぐにはわからない。是非お名前を知りたい。

さて、今日は年度最後の営業日。週が開けると新元号が発表されるという歴史的な場面に立ち会うことになるのだが、なんだかそう言う実感はない。平成という元号の発表に際しては、昭和に慣れた身には、なにか違和感を感じたものだが、次の元号も、なにか初対面のぎこちなさを感じながらも、少しずつ慣れていくことになるだろう。新たな年度に感じる多く変化を飼い慣らし続けるような感覚を持ち続けたい。

それではおやすみなさい。Gute Nacht.