講演会「没後20年辻邦生を語る」にいってまいりました──その2 松浦寿輝先生「辻邦生──天性の小説家」について
はじめに
昨日の続きです。
学習院大学史料館講演会「没後20年辻邦生を語る」の後半は、作家・詩人・批評家の松浦寿輝先生による講演「辻邦生──天性の小説家」でした。こちらも本当に勉強になり、さまざま考えを巡らす機会となりました。
松浦先生のお話は、辻邦生を天性の作家として捉え、作家デビュー前のパリの手記における1つのクライマックスであるパルテノン体験記述の文体と内容の解釈を通して、辻邦生がデビュー前にいかに作家として完成していたのか、説明していくものでした。
天性の作家
辻邦生の作家デビューは37歳。早いとはいえない作家デビューではありましたが、実のところ、その時点で辻邦生は作家として完成していて、つづく40台において奇跡的ともいえる創作エネルギーを爆発させて、「背教者ユリアヌス」をはじめとした大作群をものにしていくのです。
これは、作家デビュー前に、技術的訓練をただひたすらに積んでいたわけで、「たえず書く人」という言葉が相応しいものだったわけです。
松浦先生は、作家でありたいという意志・決意・努力の持続にこそ天分が現れるのであり、「天性の作家」とは、作家たらんとする情熱と決意を持続し、電圧を高めて、一挙に書き出し、花開くもの、とおっしゃっていました。今風にいうとレジリエンスの発露という所だと思います。
実際に、パリの手記のなかから第3巻「岬そして啓示」の中から、ギリシアを訪れた辻邦生がパルテノン神殿を訪れたときに書き記されたとされる実際の文章を分析して、均整のとれた躍動感のあるリズミカルな文章を解きほぐしていき、デビュー前からいかに完成されていたのか、松浦先生は熱く語っておられたと思います。
文章の長さと時間が呼応していたり、風の描写など身体感覚を大切にした描写、過去時制と現在時制を織り交ぜた文章、など、あらためて味わいました。長いセンテンスと短いセンテンスの組み合わせが、音楽的でリズミカルなアクションに満ちた文章となっている、という話で、おっしゃるとおりと思いました。
(ただ、私は辻邦生以外の作家の小説をあまりよむことが出来ずにいまして、こうした文章の特徴を言われたとしても何かそれが自明のことであるようにも感じました。それしか知らないとその価値が分からない、というようなそういう感覚でした)
辻邦生と西欧文明
辻邦生は西欧文明に影響をうけたとされますが、そもそも、西欧というのはヘレニズムとヘブライイズムという二つのH(世界史の教科書で2Hと言う言葉で表されますが)によるものですが、辻邦生はヘレニズムには興味があったがヘブライイズムには興味がなかったのでは、という見解があったりしまして、たしかに「ユリアヌス」も「異教」が一つの要素ですし、「春の戴冠」においても、ギリシア的イデア論の復興がテーマでした。
個人的には、そうした割り切りができたとしても、キリスト教的モチーフを用いた作品も思いあたたりしまして(「風の琴 二十四の絵の物語」の第八の旅「地の装い」)、あるいは、「背教者ユリアヌス」の最新文庫版の解説で加賀乙彦さんがドキッとすることを書いておられたり、これもなにか一つの大きな辻邦生研究のテーマなのではないか、と思いました。
あるいは、西欧は車の両輪の一つであり、日本文化への興味と眼力があったということもわすれてはならない、と話しておられました。
また、宗教的な観点では、「美と永遠」ひとつの根本概念として辻文学の中に屹立している、という趣旨のお話をされていたことも付記いたします。
辻邦生の小説とは何か?
辻邦生の小説は、一体何か?という問い。池澤夏樹さんが、辻邦生をモダニズム小説として捉えている点について松浦さんは否定的にとらえておられました。モダニズムと言うよりもむしろ、十九世紀的小説を完成させたのが辻邦生だ、という見解でした。辻邦生が留学した1957年から1961年のパリはヌーヴォー・ロマン、アンチ・ロマンの時代だったのです。その時代にあっても辻邦生は、十九世紀的小説を守り続けた訳です。まさに、辻邦生のなかには小説の完成形があって、それを守り続けたのだ、ということでしょうか。
辻先生との思い出
松浦先生の講演の最後は、辻先生との個人的な思い出でした。松浦先生も学習院大学の仏文科の非常勤講師をされていたとのこと。そのころ辻先生との交流があったとのことです。松浦先生が辻先生に詩集を贈られた後に、学習院大学で辻先生とすれ違ったときの思い出、秋の日の光の中で、辻先生と挨拶されたことを懐かしそうにそしれ嬉しそうに話しておられて、辻先生は、アポロン的知性の持ち主で、明晰、明澄、にこやかだったというお話で締め括られました。
おわりに その1──十九世紀ロマンの時代
辻邦生の小説が十九世紀小説の完成形というのは、ひとつ直球的な結論で、実に明快に感じました。しかし、この十九世紀的(辻先生の時代にあっては「前世紀的」となるのでしょうけれど)という言葉は否定的に捉えられるのではという思いもあり、すこしショッキングに感じたのも事実です。
ただ、その後考えたのは、おそらくは十九世紀というロマン派の時代を再構成しているという肯定的な意味合いでも捉えられるのではないかと考えたのです。クラシック音楽において、十九世紀ロマン派はまだアクチュアルで、多くのコンサートでは十九世紀に作られた音楽が演奏されているわけですし、現在の人権意識などは十九世紀において完成形へと形作られたわけです。
もちろん、その後、十九世紀は良くも悪くも瓦解していくわけですが、そうした十九世紀的なロマンの時代=つまりローマ風=異教風=ヘレニズム風の時代を現代に再興しようとしているルネサンス的なありかたとして辻邦生の小説があるのだ、と考えました。
十九世紀は古いのではなく、何度となく人類の歴史に訪れる人間性恢復の波の一つが辻文学なのだ、と思い、おそらくは次の波が来るときに、あらためて辻文学の重要性が高まるのだろうなあ、と思いました。
おわりに その2──小説家の三要素
また、作家とは、文章表現、思想、物語構成、の三つがあるのではと思います。それは辻邦生が「言葉の箱」で語っている、詩、根本概念、言葉という小説の三要素に対応為ているのではないか、と思います。こうした三要素を天分の小説家である辻邦生がどのように鍛えていったのだろう、そういう思いを感じながら、昨日今日と時間を過ごしていました。「言葉の箱」をもう一度読むとか、「パリの手記」をもう一度読もうか、などと思いながら、そろそろ日付の回る時計を眺めながら、キーボードをたたいております。
なかなか時間が取れずに今日も夜更かし為て書いています。
そろそろ休んで、明日からの現実に向き合おうと思います。また雨が心配な季節になりました。どうかみなさまお気をつけください。
おやすみなさい。グーテナハトです。
ディスカッション
たくさんのコメントありがとうございます。また、ブログの設定の関係で、気づくことが出来ずすみませんでした。宮田様のような方に、多くのコメントをいただき大変光栄です。
最近は、会社仕事に打ち込まざるを得ず、辻文学はもとより、文学や芸術に触れる機会も少なくなり、文章を書く機会も減っておりました。そんななか、今回、コメントに気づきまして、あらためて、過去に書いたことを読み返してみると、何か、あらためて向き合おうかな、という想いを持つことが出来たように思います。
乱読していただいた、というコメントも、いただきましたが、私も、もう一度、この20年書いたものを読み返してみたいな、と思いました。
私は、文学はほぼ辻邦生のみですが、それも良かったのかな、とも思いました。
私もまた書いていこうかな、と気持ちを新たにしようと思っておりまして、お読みいただきコメントいただけますと嬉しく存じます。
引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
辻さんの書評で饗庭孝男『石と光の思想』に青春時代、特別感動して、饗庭さんの他作著書に親しむと佐保子さんのロマネスク芸術論の不思議な接点の共通性に共感します。饗庭さんこそ辻夫妻美学の芸術論の継承発展、研究者と思いますが、感想は如何ですか?私は隠れた饗庭孝男ファンです。
貴殿の辻邦生文学の高校生時代からのこだわりにビックリ‼️受験面接のエピソードに注目!実は私の京都の大学時の在京保証人が西田哲学の一番弟子、祖母の弟、伏見文雄で関西外語大終身副学長でした。哲学誌『理想』の創刊号から10号までに3本論文記載。もう1人の一番弟子文化勲章の西谷啓治先生から直接ハイデッカー講義を大学院で受講し楽しく快談しました。だから私は西田先生にあやかって妙心寺で座禅し人生観変革の体験をしました辻邦生文学の前半生の悩める格闘期に一番惹かれますし青春期特有の青き情熱に魅力を感じます。思えば亡くなる1年前の加賀乙彦先生と亀山郁夫先生に軽井沢近代文学館でお会いした事が懐かしいです。改めて貴殿の辻文学の造詣の深さに感動、感謝します。
私は辻邦生の芸術理念の信奉者でしたが熱心な読者ではありませんでした。特に新聞小説連載や吉田秀和氏との対談の頃から距離を置きました。しかしトーマスマン、ボードレール、リルケ、Pヴァレリーなどの芸術家論考は何度も精読しました。私は小林秀雄で人生哲学をリセットしましたので男の美的ダンディズムの文学的芸術性は辻邦生を見本にしました。私は専門の研究者の道を今日まで続けながら一方では辻美学を理想とする芸術的信念は今も変わりません。もう10年、先生の寿命があればどんな素晴らしい文学的変貌を遂げたか、かえすがえす残念無念な思いだけが残ります。私は毎年、必ず軽井沢近代文学館を訪ねて辻邦生先生の足跡に思いをめぐらします。
最近、辻邦生について語られなくなりました。何故なのか?思えば辻文学を研究し語る人はそれなりにいましたが私の独自の視点は辻美学、つまりギリシャ的知性と優美なフランス的優雅さ、トーマスマン的芸術性を人格的人間性を私なりに身に付け表現する人になりたい目標で今日まで生きて来ました。『モンマルトル日記』の世界はその生き方を提示していました。辻先生の書評の好感度本を追跡して読破し学術論文に引用した経験が懐かしいです。ブランショ、今道知信、ホルトーゼンなどが思い浮かびます。ただ破格の読書量と書き続ける知性とエネルギーは並ぶもの無し。松原湖や軽井沢別荘を散策した思い出が懐かしいです。時代を隔絶した特別な美意識が反対に忘れられる原因か?
あれから貴殿のコラムを乱読しています。世代は違いますが問題意識と感性の類似性を感じます。私が辻邦生に出会ったのは大学3年生の頃です。ピアノで芸大を目指していた従兄弟が教えてくれ以後、辻文学談義で青春を謳歌しました。私は幼少期からクラシック音楽が無いと生きていけない心のトラウマを抱え3万枚のレコードと音楽書5千冊は乱読しました。私の音楽愛の美的世界観のカオスを辻邦生が代行して小説で現して下さった受け止めが1部あります。さて貴殿以上の辻文学愛好家はいないので是非お会いさせてください。話題は無限です。コンタクトの仕方を教えて頂きたくお願い申し上げます
返事ありがとうございます。松浦先生は3年前までNHKラジオで水曜夜「ミュージックインブック」の放送を毎回楽しく聞きました。「奇跡の40代」の賛辞に感動マーラーとブルックナーに心酔中に「背教者ユリアヌス」に出会いましたので衝撃で辻美学が私の生涯の芸術的指針になりました。「小説への序章」に驚愕!引用文献を全て調べ私の修士論文の大切な課題にしたら首席になりました。当時「モンマルトル日記」の美的世界観を如何に深く生きるかが私の生活テーマでした。さて3年前、岐阜で堀江敏幸先生に「辻邦生に出会って人生狂いました」と話したら笑っておられ「是非、小説を書いてください」と説得させられました。ともかく貴方の素晴らしい文章を読むにつけ、お会いしたくなりました。現在、私は藤原定家の勉強を始めましたコロナ前は辻邦生にあやかってヨーロッパをいろいろ旅してきました
素晴らしい考察に感動で教えられる事ばかりです!ただ19C的ロマンの英断にビックリ!しかし納得。ツヴァイクの昨日の世界を思い出しました!しかしなんと素晴らしい作品世界でしょう!追随者的作家が現れない点に日本文学の精神的課題があります。平安文学の美の奇才、藤原定家のの小説を読みたかった!哀悼
ミヤダセイジュンさま。
コメントありがとうございます。松浦先生の講演を思い出し、私もあらためて感動しました。19世紀的という解釈はそのとおりとはいえ、ローマ的という点ではおっしゃるとおりと思いました。
確かに追随する作家はいないですね。私もずいぶん探しましたが現在は諦めています。定家の作品、読みたかったですね。どなたかが書いてくださらないかな、等と思ったり。
コメントいただき講演を思い出すことができてありがたかったです。またよろしければお越しください。ありがとうございます。