シノポリの、深く甘美な、マーラーを。
シノポリの演奏
先日来聴いているマーラー。
今日はシノポリが振る交響曲第5番を。
シノポリといえば、わたしの中では「マノン・レスコー」なんですが、なんというか、うねりととも、に深みのある甘美な感じをもたらすような、豊満な演奏、という感覚があります。これは、私の中の勝手な感覚で、他の方と共有しうるものではないのだろうなあ、と思います。
指揮者ごとに感じる身体的な感覚
以前にも書きましたが、指揮者ごとに感じる身体的な感覚のようなものがあります。カラヤン、ラトル、アバド、マゼール、デイヴィス、ショルティ、シノポリ、チェリビダッケなどの演奏は昔からよく聴いていますので、なんとなくそうした演奏を聴いたときに感じるものは共通しています。
この感覚は、言語化が難しいのですが、感覚を研ぎ澄ませて、そこに浮かぶ情景や感覚を掴み取る営みは、なかなか刺激的で充実感を覚えるものです。
もしかすると、それば独り善がりとも言えますが、ひとつの創造的行為であるといいな、と勝手に考えています。
シノポリは、前述のように、深みのある甘美、豊満な美しさ、という感じを覚えます。それは、「マノン・レスコー」でミレッラ・フレーニが歌うマノンのイメージが付随しているから、とも思います。
今回聴いているマーラー交響曲第5番も、やはり、深みのある甘さ、という言葉を当てはめたくなりました。甘みと言っても、甘ったるいというものではなく、甘美でいて、そこに何か、ふくよかで、重みと深みのあるもの、もしかすると、それは赤ワインの類いかもしれません。
それは、言葉で表現されるものですが、なにか直接的に五感につながるもののように感じるのです。甘みとか、柔らかさとか、温かみとか、そう言うものです。
音楽を聴いて、こうやって当てはまるイメージと言葉を見つけるのはなかなか刺激的で楽しいものです。願わくは、なにかそこから価値が生まれると良いです。
最後に
今日は、台風10号が日本列島を直撃しました。東京地方は雷雨に見舞われただけで済みましたが、きっと大変だった方も多いと思います。ここからお見舞い申し上げます。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。
ディスカッション
このシノーポリの5番は愛聴盤です。買っても直ぐに聴かずに敢えて封印していました。そしてどこかの実演後に耳にした後にケースを開けました。冒頭のトランペットに魂を抜き取られるような感覚を覚えたものです。
「深みのある甘さ」とても良い言葉ですネ。考え抜かれた表現にはいつも感心しています。赤ワインはボルドーのフルボディでしょうか。とにかく豊穣で奥行の深さと広がりがあると思います。
因みにクラきこメンバーで知り合った人は神奈川県のアマオケで大野和士(当時30歳くらい)の指揮でトランペットを吹く大役を得ましたがリハーサルで何回も音が違うとダメ出しされたそうです。そして迎えた本番でオケメンバー固唾を飲む緊張感のなか見事に鳴らしOKサインをもらえて演奏全体も成功した素晴らしいエピソードを聞かせてもらえました。
そのうちニーチェについてもお話を聞かせてもらえると嬉しいです。
ありがとうございます。コメントいただいてからもう一度シノポリ5番を聴きましたが、やはり好きだな、と思いました。
なんとなくシノポリの指揮には深みのある甘さを感じます。おっしゃるとおりフルボディですね。
5番をアマオケでやるというのは本当にすごいと思います。私の知人もやはりアマオケでやったと言ってましたが、大変だった、と言っていました。
アマオケとはいえないかもしれませんが、準メルクルがPMFオケを降った5番を聴いたことがありますが、素晴らしかったです。
ニーチェの永劫回帰思想は、私の解釈が合っているかはさておき、その厳しさがとても好きです。また読まないと、と思いました……。