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この週末は、ライトなフュージョンを聴いて、心身を癒していましたが、帰宅途中にふと思い立ち、マーラーに戻ってきました。

交響曲第10番をダニエル・ハーディングの指揮で。

何か、極北という言葉を思い出してしまい、マーラーの極北とか、交響曲の極北とか、そんなことを思いながら聴いています。

芸術の世界は厳しく、時に厳寒ですらありますが、その先にはおそらくはオーロラが天を舞う瞬間があるはずで、それは、なにか人智を超えた神的なものに触れているとさえ思うこともあるでしょう。

そういう瞬間は、芸術家はもちろん、芸術を受容する我々にも時に訪れるものです。

暗い車窓の向こうを、流れる街灯の波を眺めながら、耳から流れ込むマーラーの19世紀ロマンの残滓は、何から冷たい棘のようでもあり、冷たい夜の石畳に横たわっているようでもあり、黴の匂いのする地下道に立ちすくむようでもあり、ともかく、何か、不安と、冷たさと、あるいはそこにある美しいものに触らんとするが触れないようなもどかしさがあります。

この得体の知れない不安は、おそらくはロマンの時代19世紀が刻一刻と遠ざかる感覚で、19年前に、19世紀は、前世紀という称号を剥奪され、パイオニア11号が太陽系から去りゆくように、19世紀の、その精神と記憶が、色と影を失って行くのを感じるからではないか。そんなことを思いながら、乗客のいなくなった車両の中で、小さな画面を見つめ、畢竟の不協和音に聴き入る感じです。

私たちの19世紀はどこへ行ってしまったのか。そんなことを思いながら、列車に揺られています。

今日は早く眠りたくて、早く仕事場を出ようとしましたが無理でした。明日は早く帰宅したいですがどうでしょうか。

それではみなさま、おやすみなさい。