美を生み出す人とは

昨日来考えていることとほとんど関係なく、今朝たまたま開いた(Kindleですが)のが、辻邦生の問題作「黄金の時刻の滴り」で、トーマス・マンに語らせる以下の言葉が、私にはまさに正鵠を得た一番だったのです。

美を生み出す人は、死にながら生きたふりをしなければならないのです

辻邦生「黄金の時刻の滴り」より「聖なる放蕩者の家で」

これです。

時空を超えた大きな球体のなかにひとりでいるということは、生と死までも包んでしまうわけです。全体を掴むということは終末から始原を掴むということなのです。

これを、まさに体感してしまったということであり、そこにある茫漠とした虚無と、それに抗うための美と陶酔。しかし、それはデカダンスの類ではなく、諦観に溢れたものであるはず。

ちょうど、ワーグナーのトリスタンを聴いていたところ。なにか解決のない和声の不安定さのなかで、ワーグナー自体も茫漠とした球体のひとつのアレゴリーではないかとも思います。

そんなことを思いながら、この巨大な茫漠たる球体と対峙するためにできることは何か、と思うわけです。

Tsuji Kunio

Posted by Shushi