Tsuji Kunio

Tsuji

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 城・ある告別―辻邦生初期短篇集
辻 邦生 (2003/02)
講談社

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講談社文芸文庫に入っている辻邦生先生の「城/ある晩年」というを読みました。

目録のとおり、講談社から辻先生の本が出ているのは、これだけだと思います。なぜだかよく分りませんが……。所収されている数ある短編のなかから真っ先に読んだのは、大好きな「サラマンカの手帖から」でした。この小説については何度も取り上げているような気がしますが、それぐらい好きなのだ、ということです。

主人公はパリに来ている日本人、恋人とおぼしき女性もおそらく日本人でしょう。日本人であることが述べられているのは、文中において一カ所のみ。示唆されているのも一カ所(サラマンカでは同国人に出遭わない、といったくだり)のみです。

なぜ、この小説を読んでこんなにも感動するのか、いろいろ考えています。 まず主人公と女は、あることで悩んでいる模様。おそらくは、子供をあきらめたと言うところなのでしょう。それを女はとても後悔しているし、罪悪感を感じている。主人公の男もやはり同じ気持ちを女ほどでないにしても持っている。だから、「誰だって、過失はある。そのたびに何もかも投げだしたら、一生かかっても人は何もできやしない」という名文や、「おれたちだって幸福になる権利があるんだ」という名文において、必死にその過失と対決しているのです。

サラマンカでは、若い踊り子の情熱的な舞踏であったり、その踊り子が盗みをはたらき、警察署から出てくる場面に出くわしたり、地酒を飲んだり、旅館主の夫婦の落ち着いた暮らしぶりをみたり、灼熱の太陽を浴びたりするのですが、そうした体験で、二人は徐々に恢復していきます。 たとえば、踊り子の姿をみて以下のように女が言います。

「私ね、あんなに熱中し、没入できるものがこの世にあることを、なんだか教えられたみたいな気がするの。いままであんなふうに熱中したことがなかったみたい。熱中する前にさめちゃって、ぶつぶつ言ってたみたいな感じね」

現代人的な「分別」とでもいいましょうか、そうしたものが、熱中することを妨げていた。そうではなく、もっと人生に没入していかなければならない、ということを行っているのだと思います。

さらに、終幕部に続きます。 盗みをはたらいた踊り子の娘が、オレンジを齧りながら、警察署からでてくる。それも堂々と。それは「野生の獣のような純粋な感じ」と表現されています。野生の獣は、日々生きるために対決しています。そうした空気を踊り子の娘が持っていたわけですね。 そして、この下りへ入っていきます。もう何度もこのブログに書いているかもしれませんが、ここだけはどうしても書かないわけにはいきません。

「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね、裸足で」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かにむかってゆくのさ」

この主人公達は、冒頭においては、もう生きることが辛くて仕方がない風だったのです。それはある種の後悔の念や罪悪感によるものだと思うのですが、正面から対決し、生きていこうとしている。そういうある種の解決感、もちろん生やさしい解決などではなく、現実や社会との対決という、途方もなく辛苦に満ちた解決への道程が含まれていると思うのですが、対決する意志、野生の獣のような強い意志をもって生きようとする剛毅な態度への志向を感じるのです。

そう思うと、日頃、生きるためとはいえ、従順になって、まるで柵に囲まれた羊のように生きている自分って何なのだろうか、と思わずには居られません。柵の中にはオオカミは入ってきませんが、柵の外にでることは決してありません。

…… 少々、思考が暗くなっていますね。どうやら昨日の失敗が尾を引いているようです。 僕も、少し休んだ方が良いのかもしれません。


今日はフォーレを聴いています。プラッソンの振る管弦楽全集の第二巻です。

フォーレ:管弦楽曲全集

フォーレ:管弦楽曲全集

posted with amazlet on 07.06.11
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団 シュターデ(フレデリカ・フォン) トゥルーズ・カピトール国立管弦楽団 フォーレ プラッソン(ミシェル) アリックス・ブルボン・ボーカル・アンサンブル ゲッダ(ニコライ)
東芝EMI (1997/03/05)
売り上げランキング: 88908

僕はいつも第一巻を聴くことが多いので、第二巻を新鮮な気分で聴くことが出来ました。よかったのは チェロと管弦楽のためのエレジー ハ短調 作品24 ピアノと管弦楽のための幻想曲 ト長調 作品111 ですね。フランスのエスプリって感じだなあ、と。

今日も、昨日のショックから完全に立ち直れていなくて、少々憂鬱な一日だったのですが、このCDを聴いてなぐさめられた気分です。いいですね、フォーレ。


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皆様のおかげで、先ほど観たら9位になっていました。ありがとうございます。

Japanese Literature

都おどり殺人事件
都おどり殺人事件
  • 発売元: 徳間書店
  • レーベル: 徳間書店
  • スタジオ: 徳間書店
  • メーカー: 徳間書店
  • 価格: ¥ 580
  • 発売日: 2004/01
  • 売上ランキング: 351044

訳あって手に取ることになったこの本、勢いよく半分読んでしまいました。

山村美紗さんの小説を読むのは(お恥ずかしながら)初めてなのですが、文章は上品に落ち着いています。主人公は沢木という画家と、舞妓の小菊なんですが、祇園花街の風情がよく伝わってきます。季節によって髪飾りを変えるとか、取引事は真夜中にやってわざと日にちを曖昧にするとか。なるほどなるほど、と言う感じです。トリックは少し奇をてらっているような気もしますが、なかなかよく考えられていて、大きな不自然さは感じないです。早速続きを読むことに致しましょう。

American Literature

ケイン号の叛乱
ケイン号の叛乱
  • アーチスト: ハンフリー・ボガート
  • 発売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • レーベル: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • スタジオ: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2006/08/04
  • 売上ランキング: 68043
  • おすすめ度 4.5
ケイン号の叛乱
  • 発売元: フジ出版社
  • レーベル: フジ出版社
  • スタジオ: フジ出版社
  • メーカー: フジ出版社
  • 発売日: 1984/01

昨日に引き続き、ケイン号の叛乱について。

・キファーが離艦するとき、こんなことをいう。

おれはいまクイーグに同情したい気持で一杯なんだよ。(中略)指揮権ということがどんなものなのか、指揮をとってみてからはじめて納得がいく。こんな孤独 な、こんな重圧を感ずる仕事は、世界中どこを捜したってありはしないよ。当人が牛みたいな鈍物でないかぎり、悪夢みたいなものだ。正確な判断と幸運の細道 をいつまでも行きつもどりつするようなもので、この細道たるや、いつ過ちをしでかすかもしれぬという無限の暗鬱さの中を曲がりくねってるんだよ。

564頁

さもありなむ。これ、今のサラリーマンも同じだよなあ。というか、そう思っている時点で負けなのかも。「鈍物」な人はそうは思わないだろうから。ここで言 う「鈍物」って、おおらかで大胆で剛気で包容力のある堂々たる人物のことをさしている。そんな人は指揮官(上長)になっても上手くいくんだろうけれど、そ うじゃない人にとっては、キーファーが語るようなこと、身につまされるような思いなんじゃないかな。
 
 
・やはり指揮官に適任なのは、ド・ブリースのような、鷹揚で、いい意味でいい加減な人物なんだろうね。そうじゃないと勤まらないんだろう。
 
・この小説は、本当にアクチュアルな小説だと思う。組織と、組織の中の上下関係の織り成す葛藤という名のタペストリ。だからこそ、これまでずっと読まれているんだろう。
 
・あらゆる組織はモルトケ以降の軍機構によっている、という話を思い出す。頂上に司令官がいて、軍団があって、軍があって、師団があって、連隊 があって、大隊があって、中隊があって、小隊があって、という具合に、細分化していく組織。その中のあらゆる箇所に指揮官がいるという構造。最近はそうで ない組織もあると思うんだが、やはり大部分はこのような細分化構造に拠っている。
 
・会社組織、特に20世紀からあるようなふるい会社組織って、やっぱり軍隊的だなあ、ついでに、底流するものも軍隊意識なんだろうな、と改めて 認識する。そうじゃないという人もいるだろうけれど、すくなくともうちの会社はそうだ。だからついてこれない人は次々にやめていっちゃう。あるいは体や心 を壊しちゃう。クリーグ艦長のように。
 
・メイ・ウィンのことも触れておかなきゃ。ウィリーはメイにほれるんだけれど、母親の反対にあって、いったんはあきらめる。というより、メイを 捨てちゃう。メイは、貧しいカトリック家庭の娘。一方、ウィリーはおそらくはWASPで、父親は医者で、母親は富豪。ウィリーもプリンストン出身のエリー トなんだけれど、ピアノの才能もあるから、夜の街で気晴らしにピアノなんかを弾いたりしている。メイとウィリーの接点は音楽だけ。でも、やっぱり好きだった。そのことを神風攻撃で死にかけたときに感じる。人間、死を意識すると、愛に目覚めると言うこと、あると思う。どうせ死ぬなら、愛している人間との時間をできるだけ多く持ちたい、とか、そう言う気持なんだと思う。

・でも、メイはウィリーとよりを戻せるんだろうか? 解説では、元に戻ることができるというような示唆があったけれど……。僕は、ウィリーが戻ったら、メイは死んでいるのだ、と思ったんだけれど、それよりも辛いことになっていたのには驚いた。安易じゃない道をちゃんと作者は準備していてくれたのだ。嬉しい限り。

American Literature

ケイン号の叛乱
ケイン号の叛乱
  • アーチスト: ハンフリー・ボガート
  • 発売元: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • レーベル: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • スタジオ: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2006/08/04
  • 売上ランキング: 68043
  • おすすめ度 4.5
ケイン号の叛乱
  • 発売元: フジ出版社
  • レーベル: フジ出版社
  • スタジオ: フジ出版社
  • メーカー: フジ出版社
  • 発売日: 1984/01

いやあ、面白かったですよ、「ケイン号の叛乱」。第二次大戦中の米海軍の旧式掃海駆逐艦「ケイン号」で起こった叛乱事件をモチーフにした戦争ドラマ。ケイン号という艦は実在しないし、実際に叛乱は起きていないのだが、ハーマン・ウォークが素晴らしい作品に仕立て上げている。

Amazonで調べてみると、なんと映画化されていて、ハンフリー・ボガードだという。これ、見てみたいですね。

二回に分けて感想などを。

・バウンティ号の叛乱や、ホンブロワーシリーズの叛乱も思い出させる。特にホンブロワーの影響は大きいなあ。艦長が強迫的で偏執狂とくれば、ホ ンブロワーの上官ソーヤー艦長をおもいだす。小説も読んだけれど、ドラマでも見ました。軍法会議の場面もホンブロワーの影響受けているなあ。でも、ホンブ ロワーのように単純明快に判決が下るわけではなく、検察側と弁護側の丁々発止のやりとりがあって、判決が下ると言う点は違う。ケイン号のほうがよりリア ル。

・この本もやはりウィリー・キースの成長物語。やはり売れる本である条件の一つは、主人公に感情移入させ、なおかつ主人公の成長を追体 験させるもの、というのはあるだろうなあ。幼い頃繰り返し読んだ「ゆうかんな船長」のハービーもそうだったし、「魔の山」のハンスもそうだったし、ホンブ ロワーシリーズも同じく。
・クリーグ艦長の偏執狂的強迫的行動を読んで、悪役ながらも気の毒になった。艦長と言えば、会社の上司と同じ立場。戦時中の艦長と、現 在のサラリーマン社会を比べるのも愚の骨頂あるいは紋切り型かもしれないけれど、軍隊も会社も個人の前に立ちはだかる厳然とした組織であることには変わり ない。組織のあらゆる上長──社長から始まり、部長、課長、係長、だれもが組織の長であり、それに向いている人もいれば、向いていない人もいる。クリーグ 艦長はおそらく向いていない方だったんだろうけれど、幼い頃のトラウマ──いじめられていたり、成績が悪かったり──を克服するために、無理して海軍のな かで努力してきた。それでも十年以上頑張ったんだけれど、ケイン号の艦長に就任したところでパンクしちゃったに違いないのですよ。いまなら、うつ病などの 精神疾患と診断されてもおかしくないなあ、という感じ。キーファーも文中でそう述べているとおり、本当に気の毒だ。
・沖縄でケイン号が神風攻撃を受けた場面、艦は火災を起こし、弾薬が引火して爆発し始める。キーファは逃げ出すのだが、ウィリーは艦に 残って消火活動をする。結局は、消火活動が功を奏して、大破するものの艦は無事に帰港することができたのだ。何事もそうだけれど、安易にあきらめてはいけ ないのだなあ、という人生訓。戦争においては特にそうだし、そもそも生きるということも戦争と同じく厳しい戦いだ。あきらめちゃあいかんなあ、なんでも絶 対にやりぬくという強い意志で立ち向かわないといけないなあ、という感じ。尻尾を巻いて逃げ出すのは簡単だし傷つかないけれど、立ち向えば、たとえ負けて も傷はついても名誉は失われないし、勝つことができるかもしれない。両者には天と地の差がある。
 
・長編小説だったので、途中で体調を崩したときはもう読めなくなるかと思った。でも、結局最後まで読みきれた。よかった。あきらめちゃあ、いかんなあ、という感じ。

明日に続きます。
−−−−−−−−−−−
今日のことを少し。
今日は早めに会社を出て図書館へ。今回も借りた本やっぱり全部読めなかったのですが、「ケイン号」を読めてからいいかな、と言う感じです。その後楽器屋さんへ。今週末、友人の結婚式でサックスを吹くのですが、譜面立てを持って行こうと思いまして、購入。税込み1029円でした。ちょっと重いのと嵩張るのが難点ですが、まあ致し方ないでしょう。今週末も頑張ります!

Tsuji Kunio

先だって、JIS2004準拠のフォントをWindows Updateで入手したら、システムフォントが変わったのだが、驚くべき変化が!

辻先生の辻の字、しんにょうにてんひとつだったのが、しんにょうにてんふたつに変わっています。
ほら、こんな感じに!

Tsuji_2

これは本当に感動だよなあ。嬉しい限り。

この字の方が日本語的には正しいらしい、とされているのだそうです。

詳しくはこちらへ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061122/254684/

字形がJIS2004準拠となるフォントは、VISTAに載った「MS 明朝」「MS P明朝」「MS ゴシック」「MS Pゴシック」「MS UI Gothic」「メイリオ」だそうですが、XPでも使用可能なようです。

とはいえ、てんひとつのしんにょうの方々にとってはは少々困った話になりそうです。

Tsuji Kunio

今日は午後から雨でした。お昼を回ってすぐの頃、西の空から灰色の渦巻く積乱雲が近づいていきました。途端に遠雷がきこえ始めたのですが、幾ばくかも経たないうちにコンクリートの駐車場に雨模様が現れ始めました。空は光り、雨音は激しく、雷鳴がとどろき渡るさまを、ガラス越しに眺めていたのですが、なんだか気分は晴れ晴れしてきた感じです。雷雨という非日常をガラス越しに見遣るのは気分の良いものです。それは窓の外に出ることがないと保証されているからでしょう。

 モンマルトル日記

昨日から、辻邦生師の「モンマルトル日記」を再読始めました。辻邦生師がパリでどんなに厳しい思いで思索を試みていたのか、と思うたびに、痛切なまでに感歎と畏敬を覚えずにはいられません。

ピアニストがピアノを叩き、レスラーが身体をきたえ、左官屋が壁土をこねること以外、何一つ考えなくてよく、考えないでいるのと同じく、物語作家にとってレアリテはただ一つ「強烈な感情」を自分の中につくるということである。二十四時間このことだけに集中するのである。「強烈な感情をつくること、吐きだすこと──

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、136頁

この石で固められた硬い都会(まち)に、自分をとぎに来たのである。この都会の硬さは、あらゆるにせもの、いんちき、つけ焼刃を、すべて残酷にはぎとってしまうどうしようもない真実さがある。ここでは生と死の境界のような、人生のぎりぎりの本ものがある。一人一人がそうしたもので生きている。労働者は労働者なりに、娼婦は娼婦なりに、この硬さ、この殻の不敵さで生きている。それは打ちやぶることはできない。(中略)いい加減なものは絶対にうけ入れない。甘さなど微塵もない。一流中の一流の才能がやっと残り、そしてそれでさえすぐさま滅び去ってしまう。(中略)うそはだめであり、自己満足はすぐ窒息する。ただ真に「よきもの」に達したものだけが、この硬さと同じ硬さを持って生きはじめる。

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、133頁

本当に厳しい文章です。本当に辻先生は強い方です。このときには、既に「夏の砦」や「廻廊にて」は既に世に送り出されていて、「嵯峨野名月記」で苦しんでいる時分なのですが、こういうことを考えていらしたわけですね。これを読むと、もっと強くなければならない、と思うことしきりです。 もちろんあまり自分を責めるのはよくはないのですけれど。
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Tsuji Kunio



右側においてある「辻邦生著作目録」ですが、リンク切れになっていましたので修正しました。原因はMuseum::Shushi Archives Divisionないの著作目録のページのURLが誤って設定されていたためでした。申し訳ありませんでした。
(気がついて良かったです)

American Literature

死の接吻 死の接吻
アイラ・レヴィン (2000)
早川書房

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またよみました。アイラ・レヴィンの「死の接吻」。前回読んだ「ローズマリーの赤ちゃん」は衝撃的な幕切れを何度も読み返しましたが、今回もまたミステリの醍醐味を堪能させてくれました。

また文字の色変えましょうね。

最初に驚いたのが、ドロシィの章では、男の名前が明かされていなかったこと。そのことに気づいたのが、第二部エレンになってから。エレンがドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏を見つけようとするときに、容疑者二人が名前と共に浮かび上がってくるのだが、そのときになって、僕は彼氏の名前が明かされていないことに気づいたのですよ。文章の中では「彼」という三人称で語られているだけだったのです。そこでまず激烈なパンチを受けました。

次のパンチは、エレンの彼氏のバッドが、ドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏であったということ。それも強烈な登場の仕方。パウエルが、自分の部屋でドロシィの彼氏の住所を突き止めようとしたそのとき、アノニムな男として登場して、パウエルを射殺、それからエレンの前に姿を見せる。エレンは自分の彼氏が来たので安心する。っていうか、読んでる方から見たら、エレンの彼氏が、ドロシィの彼氏と同一人物だったなんて思わないから、一杯どころか何杯も食わされた気分でメタメタ。

マリオンへのバッドの近づき方とかは、種明かしされているので、これ以降はそうそう驚くことはなかったけれど、バッドの最後は印象的。指輪物語のゴクリ(ゴラム)の死に方に似ているなあ、なんて。

それから、ゴードン・ガントはどうしてあそこまでして真実を知りたかったんだろうか、と考えてみるのも面白いかもしれません。単なる第三者だというのに。まあ、彼が居なければマリオンもバッドの餌食になっていたのでプロットしてはひねりがないのかな、というところでしょうか。少し考えてみなければなりませんね

というわけで、この本もお薦めです。

American Literature

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック 浅倉 久志
早川書房 (1977/03)
売り上げランキング: 26968

American Literature

rosemary

ローズマリーの赤ちゃん ローズマリーの赤ちゃん
アイラ・レヴィン (1972/01)
早川書房

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またヤバイ本を読んでしまった。アイラ・レヴィンの「ローズマリーの赤ちゃん」。ある本で勧められていたので読んでみたのですが、あまりに面白く、興味深く、吸い込まれるようにして読んでしまいました。

ネタバレになるかもしれませんので、フォントの色を変えます。ともかく衝撃的。

  • 計算されつしているなあ、本当に。夫のガイが俳優で、芝居をして、入居住宅を変えるところから、ガイの芝居に結局はだまされ続けるローズマリー。
  • ローズマリーが眠らされて悪魔と交わるシーンは、ローズマリーの夢と言うことになっているんだけれど、最初読んだときは、よくもこんな象徴的な夢を書けるな、と感心していたのだけれど、それが本当にあったことだと分かってゾッとする。思わず、くだんの部分を読み返して再度ゾッとする。しかし、この部分、「ダ・ヴィンチ・コード」の一場面と似ているな……。
  • しかも、その日、ローマ法王がニューヨークを訪れていると言う設定。できすぎている。
  • ローズマリーがカトリックの信仰から離れた女ということも象徴的。最後に「神は死んだ」と叫ぶあたり、現代を象徴している。
  • でも、悪魔信仰が悪かと言われれば、そうではないかもしれない。悪魔といっても、反キリスト教的で異教的なものを指す場合もあるから。
  • これは現代批判なんだろうな、と。悪しき相対主義に陥る現代社会への警鐘でもあるのかな、と。
  • キリスト教(カトリック)が第二ヴァチカン公会議以降、他宗教を認めるなど融和的な方向に向いたことで、ある種の相対主義に陥り、力を失った。そこにあるのは、道徳無き世の中(異論もあると思うけれど)。
  • それで、ニューヨークを訪れるローマ法王の名はパウロ。これは、パウロ六世(在位1963〜1978)のことを指していると思われる。彼は第二ヴァチカン公会議の遂行者。実に象徴的。
  • しかし、最後のシーン、強烈。赤ちゃんにかぎ爪が生えていて、それで身体をひっかかないために手袋をかぶせている、とか、普通思いつかないよなあ。