Tsuji Kunio


江戸切絵図貼交屏風
江戸切絵図貼交屏風

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辻 邦生
文藝春秋
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「モンマルトル日記」から「小説への序章」へ向かい袋小路に入りました。今週は、気を取り直して「江戸切絵図貼交屏風」を読んでいます。この短篇連作を読むのは3度目になると思うのですが、読むたびに違った驚きを覚えます。今回は物語のおもしろさを味わうことが出来ています。それ以上に驚異的な描写の美しさに舌を巻いています。

それでも長雨に打たれる宿場風景は貞芳の絵心を惹いた。紅殻色の唐傘、青い雨合羽、塗れて色の濃くなった屋根瓦、黒い壁地に斜め井桁に漆喰を白く塗った旅籠の海鼠壁、蓑傘姿の旅人達、海沿いの松並木などが小止みなく垂直に振る雨に包まれて、どこか鮮明な色と形を取り戻していたあたかも木も家も道も石も雨の衣を着たために、ふだんの緊張が緩んで、ふと、自分のなま身をさらけ出している──そんな寂寥とした孤独な表情が雨の風景のなかに見てとれるのだった。

辻邦生『江戸切絵図貼交屏風』文春文庫、1995年、46頁
品川宿の描写なのですが、読んだ瞬間表象が浮き上がってくるのを感じました。小説を読む醍醐味です。

Tsuji Kunio


モンマルトル日記 (1979年) モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生 (1979/04)
集英社

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「モンマルトル日記」の世界にのめりこんでしまい、出てこられなくなってしまいました。苦戦を強いられています。というより、この作品のおもしろさに捉えられてしまい、出てこられなくなっていると言う感じです。気になるところにつけ始めた付箋は、いまやハリセンボンのようにいくつもいくつも本から飛び出しているような状態。もっとも、そう簡単に近づけるものではないという予測はありましたが、案の定でした。もちろん私の力不足という面もあるのでしょうが……。
とにかく「嵯峨野明月記」の「太虚」の境地を探求しようとしていたのですが、「モンマルトル日記」に生々しく描かれる、作品を産み出す作家の舞台裏の苦悩に引き込まれてしまいました。
引用文をいくつか書き抜いてみたり、コメントをつけてみたりしたのですが、引用文を選択したり、コメントすればするほど、本来の目的から離れていく様な気がしています。どれも重要で興味深い主題なのですが、日記と言うこともあり、論理的に読もうとする試みはことごとく弾かれてしまい、散文詩のように読んでみると、ますます却けられてしまうような気がしてしまいます。
そんななかですが、今日はいくつか選んだ引用文のなかからこの詩を選んでみたいと思います。

通り過ぎるのは時であり
「私」ではない
「私」は時の外に立ち
時は「私」に抱かれる
「私」は老いることなく
「私」はすでに永遠である

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、136頁
「太虚」の境地につながると思われる詩です。特別なコメントはありませんので、辻先生の詩作だと思います。まずはこの詩に限らず、辻作品を味わいつくすことが重要です。まるで経文を唱え続け肉化させることで、その内実の理解に近づいていくように……。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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モンマルトル日記 (1979年) モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生 (1979/04)
集英社

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詩と永遠 詩と永遠
辻 邦生 (1988/07)
岩波書店

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「モンマルトル日記」のなかから、「嵯峨野名月記」において述べられた「太虚」の境地を理解するための示唆を探し求めています。モンマルトル日記を読んでいると、作家が作品を生み出す舞台裏をのぞいているような感じを強く受け、それ自体大変興味深いのですが、その点についてはまた別の機会に書いてみたいと思います。
ともかく、今明らかにしたいと願っているのは、太虚と言う概念の指し示す意味なのです。
「モンマルトル日記」から引用してみます。

もう一度チャールズ・ラムの I am in love whith this green earth. (わたしは緑の大地が大好きなのです)に戻ってくる。この生命への執着、礼賛こそが、この生命の「よろこび」こそが芸術の本源に他ならない(中略)しかも
この「生のよろこび」はただ死を媒介としてのみ、永遠のものとなり、あらゆる面において輝きだす。(中略)死が永遠ではなく、この「生のよろこび」が死があるおかげで、永遠の輝く甘美さにつらぬかれるのだ。時のうつり、死、病気がなかったら、この「生のよろこび」は亡くなるだろうし、日々は砂を口口噛むような繰りかえしにすぎなくなる。

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、50頁
「詩と永遠」では、この死と充足の関係をモンマルトル日記において執拗に考えたとあり(179ページ)、以下のように述べられています。

<生きている>ことをそれだけで<喜ばしい>と感じるためには、何よりもまず<生きている>ことを重病人のように、銃殺直前の男のように、強く激しく乞い願わなければならないのです。(中略)私は、それを、不満な現状を慰める口実とするのではなく、あくまで不満そのものを通り越し、不満を無効にするような<生>のレヴェルに達すること、と理解しています。

辻邦生「語りと小説の間」『詩と永遠』岩波書店、1988年、179頁
さらには、この「喜ばしい感じ」と禅の境地との関連も示唆されています。文学創造のインスピレーションが<存在への驚き>であったり、<生きていることの恩寵感>であり、世界と私が一体となる透明な昂揚感である、とも述べられています。
整理してみると、
(1)死を意識する。<生>を剥奪された状態に身を置いたと仮定する。
(2)死を意識することが媒介となって、生きていることを恩寵として感じる
(3)喜びの感情にとらわれる。
(4)不満な現状を越え、不満を無効にするレヴェルに達する。
(5)このとき世界と私は同一となっている。
もう一度「太虚」の部分を引用してみます。
(A)

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
(B)

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
まず、(A)の引用で、死を意識し、死が解消して生を感じ、歓喜の念に達します。(1)、(2)、(3)のレベルまではここまでです。
次に、(B)の引用で、世の虚しさを悟りますが、この虚しさは豊穣な虚しさであるとされます。世の中は「背理」であり(宗達の独白)、汚辱にまみれた世界ですが、そうしたパースペクティブを越えて、太虚という境地に達します。ここで、(4)、(5)のレベルに達します。
補足が必要です。この引用の前の部分で、すでに前回までに引用していますが、以下の部分で私が世界と同一になっていることが指し示されています。
(C)

私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
(C)の引用で、(5)の世界との合一が直観されています。そして、光悦は「自らの仕事」──つまりは、芸術的創造へと自ら進んでいくのです。
この太虚の境地においては、何が起きるのでしょうか。作家である辻先生は、この昂揚感において文学的創造をなすとしています。昂揚感により美的価値が受胎し、芸術作品の創造へとつながっていくという訳なのです。
我々はどうでしょうか。喜ばしい感情を持つことでその先はどうなるのでしょうか? 辻先生の場合であれば、文学的創造へと進みますが、我々にとって見れば、こうした昂揚感を得ることで、この汚辱と悪弊満ちあふれた世界を生きていく原動力を得るのである、とでもまとめるべきなのでしょうか。
まだ、探求を続ける必要がありそうです。また次回以降も続けていきたいと思います。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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今日は「太虚」について書こうと思いましたが、いろいろと資料を渉猟していたら時間がなくなってしまいました。
というのも、「嵯峨野名月記」第二部を執筆中の日記が「モンマルトル日記」に納められていて、ここに解釈のヒントがあるのではないか、という予測の下に読み始めてみたからです。
モンマルトル日記は1968年10月14日から1969年8月23日までの日記が収められています。この時期は、嵯峨野明月記の第二部が書かれていましたし、「背教者ユリアヌス」や「ボッティチェルリ偽伝(春の戴冠の原型)」を書かんとしていた時期に当たるようです。そのなかから「嵯峨野明月記」の内容に関わる部分を抽出しようとしているところです。
光悦が太虚について述べるのは以下のような文脈です。

不意に、何とも言い難い喜悦の念に捉えられ私はそれがどこから生まれたのか、思わず自分の中をのぞき込んだ。(中略)私は庭に降りて清水まで歩き、それを手にうけ、藤の花を仰ぎ、ふたたび濡縁にあがった。そのとき、また、強い光のような歓喜が、甘美に私を指しつらぬいていった。私は、はっとして、足を濡縁にかけたまま、身体をとめた。それは以前清涼院別院で、突然雲や花や木々が身近に迫ってくるように感じたときに似ていた。私はそこに座って朝日が杉木立を通して差し込んでくるのを眺めた。そのときふと私は、自分が、今の瞬間、太陽や、木立や、藤の花や、清水の流れと、全く同じものになっているのを強く感じた。(中略)私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。(中略)それまで私は、光悦という一人の人物として、雲を仰ぎ、花を凝視した。(中略)私は雲や花とは別個の存在だった。(中略)しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった。(中略)私は自分のなかでながいこと、しこっていた<死>が、その瞬間、ふと、なごみ、溶け、軽やかに揺らぐのを感じだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
一つめの引用部分は、辻文学の原点とも言える三つの至高体験のうち、ポン・デ・ザールからセーヌを眺めるという挿話によるものだと思います。この体験については、『詩と永遠』に書かれています。引用してみます。

ポン・デ・ザールのうえで私が感じたのは、(中略)全てのものが私という人間のうちに包まれている、ということでした。並木も家も走りすぎる自動車も、見も知らぬ群衆も、すべて、私と無関係ではなく、それは私の並木であり、私の家であり、私の群衆でした。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、249頁

このことは、私が世界を包んでいるとも言えますが、言葉を買えると、私が世界のなかにとけこんで、見えない人間になり、世界と一つになっているという風にも考えられます。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、250頁
光悦が「しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった」と述べる境地が、辻先生の体験に裏打ちされているものであることが分かります。
そして、続く<死>の克服と「太虚」の境地への発展の部分は以下の通りです。

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
光悦が感じた、主観と事物の混合する状態において、死との関連が述べられます。死の解消によって光悦が歓喜の念を抱くことで、ある種の境地に達しています。
この死の解消による歓喜の念についても『詩と永遠』に述べられています。それは、<生>を願わしいと思う気持が昂じて、歓喜の念が生じるのであって、これが<詩的な状態>につながるのであるとされています。光悦の場合であれば、「ささやかな仕事」の原動力に当たるものです。
<死>の解消の境地について述べるためには、死についての考察を進めなければなりません。そこで冒頭に触れた『モンマルトル日記』に示唆が隠されているのではないか、と思ったのでした。まさにその通りで、辻先生が<死>を意識している場面に何度か出くわすのです。
次回は、モンマルトル日記の考察と、太虚についてさらに考えてみたいと思います。

詩と永遠
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モンマルトル日記 (1979年)
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辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
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ともあれ、私が残した仕事は、朝日の差しこむ明るい部屋のように、幾世代の人々の心のなかに目覚めつづけてゆくであろう。私はいずれ<死>に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。(中略)墓石の文字も見えぬほどに苔むしてゆくであろう。だが、そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、(中略)生き続ける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生き続けるのだ……。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、431頁
光悦の最後の独白です。死してもなお生きると言う境地に達した光悦の言葉です。それは、みずからの残した仕事において生き続けることが出来るというのです。
光悦の場合も同じでしょう。光悦は死しても、光悦の残した筆は消えることはありません。死後数百年が経った今でもなお生き生きとしているのです。光悦の作品を通して光悦は今もなお生き続けているとでも言えるのではないでしょうか。
この「自らの残した仕事において生き続ける」ということを僕は一瞬だけ直覚したことがあります。自らの信ずる仕事を後世に残すことで死を越えることができる、あるいは死と折り合いをつけることが出来るという純粋な直観を、会社帰りの真っ暗な夜道で感じたのを覚えています。辻邦生先生が亡くなってからもう七年半になりますが、いまでもなおその作品群において世の中を見据えていらっしゃるのではないか、と思うのです。
次回は、同じく光悦の最後の独白で述べられる「太虚」について書いてみたいと思います。

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辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
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だが、おれは、ようやくこの世の背理に気づくようになった。(中略)この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)この世の背理に気づいたものは、その背理を受け容れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。(中略)それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、413頁

絵師とは、ただ絵を乾坤の真ん中に据えて、黙々と、激情をそのあかりとして、絵の鉱道を掘り進む人間だ

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、414頁
宗達の独白から二箇所引用してみました。
前者の「世の中は背理であるが、それを憎むのではなく、哄笑するのだ」というところ、ここに辻文学の秘密がかくされているのではないかと思うのでした。それは志波左近が「心意気」を拠所にして生きているのと似ています。人生を玻璃の手箱にたとえて、手箱の外に出て手箱を見遣る境地と同じなのです。不正、汚辱、矛盾、苦悩に満ちたこの世の中を憎悪したり、怨恨を抱いたり、性急な是正を求めるのではなく、あくまでその外に立って哄笑するのみという境地なのです。それは宗達の場合「黙々と絵の鉱道を掘り進む」ことによって求められるのであり、光悦の場合は書を書くことによって求められていたのでした。
これを読む我々はいかに生きるべきなのでしょうか?文学に人生訓を求めることは時に危険なことがあります。しかしながら、この文章を読んで自らの生き方に宗達の言葉を当てはめたいという誘惑を絶つわけには行かないと思います。
言葉で理念だけを述べるとすれば、世の中の背理、矛盾、悪弊を笑い飛ばし、自ら天命と思う仕事にただただ邁進するということだと思います。言葉で言うのはきわめて簡単ですが、これを実践に移すには果敢な決断力と勇気が必要とされそうです。
嵯峨野明月記も終わりに近づきました。次回は光悦の最後の独白を取り上げてみたいと思います。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
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今日も光悦の言葉から引用してみたいと思います。

荒々しく、獣じみて激しく生きることは出来なかった。私にはどんな形であれ、平行のとれた、静かな端正な生活が必要なのだ。それは諦念でもなく、逃避でもなく、むしろ本来の自分であろうとする決意といってよかった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、286頁

私も、自分も今日をのがれる人の群れにまじって洛外へ歩いているが、この人々とは全く別個の世界に生き、そこに立っているのを感じた。(中略)自分がおそれてもおらず、失われるものにも全く無関心であるのを感じた。言ってみれば、私はこうした人々が一喜一憂する浮世の興亡や、栄耀財貨などを、加賀の夏、立葵が咲きほこるのを見て以来、自分に無縁のものとして切りはなしていたのだ。少なくとも私が書や能に打ちこんで生きることを心がけて以来、それらは日々刻々に私の外へと剥落していたと言っていい。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、326頁
「立葵が咲きほこるのを見て」というのは、加賀で志波左近と出会った光悦が、この世を一つの玻璃の手箱にたとえて、手箱の外に出てそれを静謐に眺める境地に達した時のことです(1月6日ブログ記事参照)その境地にあっては、浮世のこと、人間の栄枯盛衰や、経済の成り行き云々について徐々に無関心になっていくと言うわけです。それは、「本来の自分」になろうとする強い意志によって獲得された境地なのです。
こうした境地があることが分かっていて、この境地にすぐにでも達っしたいと思うのが常なる欲求なのです。この境地に達するための方策は、光悦とは違う方法で(ひいては辻邦生先生とは違う方法で)見つける必要があるということだと思います。それが「バランス感覚を保つ」ということだと思うのです(1月5日ブログ記事参照)。あきらめてはいけないと思いますが、本当に難しいことだと思います。

Tsuji Kunio


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与三次郎が言った絵というのは、ただ心の震えを一方的に吐きつくすというだけではなく、それが同時に、そのまま見る人の心に浸みわたってゆくものでなければならなかった。そうした心の震えを絵の中に湛えておくことを、描く者も望み、見る者も望むゆえにはじめてそこに成り立つのが、与三次郎の言う絵でなければならなかった。いや、絵というものはもともとそうしたものでなければならないのだ、と、おれは思わずつぶやいたものだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、239頁
美の生成者が産出する美的価値は、常に普遍的であることを要求されると言うことだと思います。これは「小説への序章」においても取り上げられている主題のひとつです。以下引用してみます。

主体は、「世界」のなかに置かれているが、同時に世界を「世界」ならしめている根拠を自己のうちに持っていることも直観的に了解している。しかしこの根拠とは、それが基準となり、そこから発進するという意味ではなく、「世界」に対して、自己が開かれ、「世界」を自己の意味内容としているという意味である。(中略)ここで重要なことは、直観そのものが全体性をとらえているということであり、したがってその直観内容を行動、言語によって分節する場合、それはすでにこの統一的な全体によって保証されているということである。

辻邦生『小説への序章』河出書房新社、1976、174頁
宗達は、狩野光徳のような経験を元にする帰納法的方法では全体の直観が不可能であると指摘していました。そうではなく、宗達が選んだのは、自分の中にある印象に基づいて絵を描くと言うことだったのです。これが「「世界」を自己の意味内容としている」と言えるのではないでしょうか。帰納法に対して言えば演繹的方法だと思います。
もちろん、この方法は科学的な方法ではありません。普遍的妥当性も客観的必然性を持つことは出来ないでしょう。しかし、芸術において、芸術の産出者は常に「世界」を自己の中に持っているというある種の気概、要求を必要とするのです。それが他者において受け容れられるべく世界とつながっているということを常に求めなければならないのです。

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辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
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歳月の流れというどうにもならぬものの姿を、重苦しい、痛切な気持で認めることにほかならなかった。しかしだからと言って、そのゆえに行き、悩み、焦慮することが無意味だというのではない。そうではなくて、それは、むしろこの空しい思いを噛みしめることによって、不思議と日々の姿が鮮明になり、親しいものとなって現れてくる、といった様な気持だった。(中略)すべてのものが深い虚空へ音もなく滑り落ちてゆく、どうすることも出来ぬこの空無感と、それゆえに、いっそう息づまるように身近に感じられる雲や風や青葉や光や影などの濃密な存在感とに、自分の身体が奇妙に震撼されるのを感じた。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、210頁
かつて、明智光秀の挙兵に助力し、首を切られた斎藤利三の首塚の前で、光悦が思うことです。
時間という最大の自然力によって、我々は常に死へ死へと追いやられているわけですが、そうした空虚感の中にあるからこそ、いまここにあるかけがえのないもの、それは雲であり、風であり、青葉であるわけで、さらに言えば、太陽の光や、夕食の匂い、暖かい空気、微風などなど、何でも良いと思うのですが、そうしたかけがえのないものの存在感を感じることが出来るというのです。むなしさを知ってむなしさを克服するとでも言えばよいでしょうか。
私たちも、同じく無味乾燥な日常を送っているようにおもえるのですが、ひとたび歳月の持つ、慈悲もなく、猶予もない、残酷・凶暴とでも言える性分に思いを至らせたとき、はじめて生きると言うことの大切さ、かけがえのなさが自分の中にみなぎる、と言うことだと思います。
こうした主題は辻文学の随所に見られると思うのですが、たとえば、『詩と永遠』の中にも見ることが出来ると思います。

病気をした後などにも街を歩くとき生きている喜びを、特に強く感じることがある。(中略)そういうことを考えていきますと、生きる場所にじかに立つ喜び、つまり括弧の外された、単純にじかにものにさわっているときの喜びとはどんなものか分かってくる

辻邦生「詩と永遠」『詩と永遠』岩波書店、1988、60頁

詩というものを自分の障害の成熟の頂点として引き受けている(中略)一日一日が大事で仕方がないという感じ──そういう感じを作り出すものとしての死。有限性というものの自覚。これはむしろ生産的な匂いを持った美しい死であると言わなければなりません。こういうふうに生きている人間こそが「詩」の中に生きる人間だと思う。私はポエジーと言う言葉で、生きると言うことの刻々の中に、昂揚している状態を言い表したい。(中略)いつもある晴朗感、活気に満ちている、目が輝いている、そういう状態を言う。そういうものをもたらすものを詩的な力と言って、それを広い意味でポエジーと呼びたいのです。

辻邦生「詩と永遠」『詩と永遠』岩波書店、1988、62頁
詩的境地(ポエジー)においては、時間や歳月のもたらす「死」を引き受けたうえで、生きることを味わい楽しむという状態が考えられています。光悦の悟った状態と同じだと思います。「詩と永遠」においては、西行の「ねがはくは はなのしたにてはるしなむ そのきさらぎのもちづきのころ」という歌が、まさにこうした境地の典型であるとされています。
『詩と永遠』は、数年前から読み始めているものの、いまだすべてを読み切れない思いでいる本です。全集には入っていないようですが、辻文学を考える上で重要な文献の一つだと思っています。

詩と永遠
詩と永遠

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辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
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おれにとって、絵を描くとは、ただそこにあるものを写し取ることではなかった。そうではなくて、自分のなかに溢れてくる思いを、何でもいい、それにふさわしい形や彩色によって──心のなかにすでに刻印されている形や彩色によって、受け止めてやることだった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、172頁
このあと狩野光徳という画家が登場します。彼は京都の風物ひいては世の中すべての風物──人々や食べ物、風俗すべてを──休む間もなく事細かに書き写そうとする男だったのです。しかし、世の中の風物すべてなどとても書き写すことなどできはしません。描けば描くほど描かなければならないものはふくらんでいきます。とうとう彼は書き写せないという挫折感を抱きながら、病に倒れ死んでいくことになるのです。これは、現代社会にも通じる問題点です。情報が氾濫する世の中にあって、もはやすべての情報を理解することは不可能になってしまったと言わざるを得ません。情報氾濫とでもいいましょうか……。
俵屋宗達はそうではありませんでした。世の中のものを書き写すのではなく、「心のなかに既に刻印されている形や彩色」、「内なる思い」を絵の中に受け止めるというやり方だったわけです。特殊な一点に集中することによって、その中に全体を見るというやり方です。自分の内面からあふれ出る造形への欲求を捉え、それを形にすることで、そこに全体へと通じるものを見いだすことになるのです。これも辻文学の一つのテーマなのではないでしょうか。
現代社会においては、そうした個人的な印象や個物──机の上に転がっているリンゴや鉛筆など──には何らの価値も認めません。現代社会が計量化・客観化を重んじるからです。しかし、個人的な印象が持つ豊穣さや、机の上のリンゴが持つ多様な意味──原産地、運ばれてきた道筋、それが机の上に置かれるという奇跡的偶然など──を考えてみると、そこに現れる超越的あるものを感じることになるわけです。そうした個物が持つ意味の豊穣さに情報氾濫を突破する方法を見いだそうとしていると思うのです。