Tsuji Kunio

先だって、JIS2004準拠のフォントをWindows Updateで入手したら、システムフォントが変わったのだが、驚くべき変化が!

辻先生の辻の字、しんにょうにてんひとつだったのが、しんにょうにてんふたつに変わっています。
ほら、こんな感じに!

Tsuji_2

これは本当に感動だよなあ。嬉しい限り。

この字の方が日本語的には正しいらしい、とされているのだそうです。

詳しくはこちらへ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061122/254684/

字形がJIS2004準拠となるフォントは、VISTAに載った「MS 明朝」「MS P明朝」「MS ゴシック」「MS Pゴシック」「MS UI Gothic」「メイリオ」だそうですが、XPでも使用可能なようです。

とはいえ、てんひとつのしんにょうの方々にとってはは少々困った話になりそうです。

Tsuji Kunio

今日は午後から雨でした。お昼を回ってすぐの頃、西の空から灰色の渦巻く積乱雲が近づいていきました。途端に遠雷がきこえ始めたのですが、幾ばくかも経たないうちにコンクリートの駐車場に雨模様が現れ始めました。空は光り、雨音は激しく、雷鳴がとどろき渡るさまを、ガラス越しに眺めていたのですが、なんだか気分は晴れ晴れしてきた感じです。雷雨という非日常をガラス越しに見遣るのは気分の良いものです。それは窓の外に出ることがないと保証されているからでしょう。

 モンマルトル日記

昨日から、辻邦生師の「モンマルトル日記」を再読始めました。辻邦生師がパリでどんなに厳しい思いで思索を試みていたのか、と思うたびに、痛切なまでに感歎と畏敬を覚えずにはいられません。

ピアニストがピアノを叩き、レスラーが身体をきたえ、左官屋が壁土をこねること以外、何一つ考えなくてよく、考えないでいるのと同じく、物語作家にとってレアリテはただ一つ「強烈な感情」を自分の中につくるということである。二十四時間このことだけに集中するのである。「強烈な感情をつくること、吐きだすこと──

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、136頁

この石で固められた硬い都会(まち)に、自分をとぎに来たのである。この都会の硬さは、あらゆるにせもの、いんちき、つけ焼刃を、すべて残酷にはぎとってしまうどうしようもない真実さがある。ここでは生と死の境界のような、人生のぎりぎりの本ものがある。一人一人がそうしたもので生きている。労働者は労働者なりに、娼婦は娼婦なりに、この硬さ、この殻の不敵さで生きている。それは打ちやぶることはできない。(中略)いい加減なものは絶対にうけ入れない。甘さなど微塵もない。一流中の一流の才能がやっと残り、そしてそれでさえすぐさま滅び去ってしまう。(中略)うそはだめであり、自己満足はすぐ窒息する。ただ真に「よきもの」に達したものだけが、この硬さと同じ硬さを持って生きはじめる。

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、133頁

本当に厳しい文章です。本当に辻先生は強い方です。このときには、既に「夏の砦」や「廻廊にて」は既に世に送り出されていて、「嵯峨野名月記」で苦しんでいる時分なのですが、こういうことを考えていらしたわけですね。これを読むと、もっと強くなければならない、と思うことしきりです。 もちろんあまり自分を責めるのはよくはないのですけれど。
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Tsuji Kunio



右側においてある「辻邦生著作目録」ですが、リンク切れになっていましたので修正しました。原因はMuseum::Shushi Archives Divisionないの著作目録のページのURLが誤って設定されていたためでした。申し訳ありませんでした。
(気がついて良かったです)

Tsuji Kunio

ラジオドラマCD 西行花伝 ラジオドラマCD 西行花伝
(2006/06)
エニー

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会社の帰りにラジオドラマ版西行花伝を聞きました。原作の幽玄な雰囲気をうまく表現していると思います。
今日は最初の小一時間ほどを聞いたのですが、特に印象的だったのは待賢門院との感動的な出会いの場面。西行役の竹本住大夫さんの語りの静かな迫力にただただ舌を巻くばかり。微妙に関西方言のイントネーションが混ざっていて、ああ、これは本当に西行が語っているのだ、と思わずにはいられませんでした。
その後、西行と待賢門院が二人きりになって桜を見るところでいったん今日はヘッドホンを置きました。CD四枚組でので、まだ先は長いようです。続きは木曜日に引き続き聞く予定。

Tsuji Kunio

黄昏の古都物語 黄昏の古都物語
辻 邦生 (1992/07/31)
有学書林

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「黄昏の古都物語」を読みました。前奏曲、間奏曲、終曲と題された掌編と五つの幻想的な短篇の世界です。この短篇は、「芸術新潮1984年9月号」でアール・ヌーボー特集が組まれた際に、田原柱一氏の写真と並べて掲載されたとのことです(あとがきより)。
幻想的な作風は、「天使の鼓笛隊」を想い出させます。それにしても、「幻想特急」が牧草地の真ん中に、レマン湖畔に、セーヌの河底に停車している姿が美しすぎて言葉になりません。正直言って、ヤラレた!と心のなかで叫んでしまったほどです。全編に通底するアール・ヌーボーの愁いを帯びた気怠い美しさの表現や、揺らいだ時間の表現が実に見事です。

美に魅入られるとは、その奴隷になることです。でも、それは、官能の甘い酩酊ゆえに、すべてを売り払った疚しさに似た気持を感じさせます

辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、214頁

「詩人というのは二重の存在さ、生れつきね。曖昧なところがあるから、健全な人たちには煙たがられる。ところが、詩人ときたら、大人のくせに子供。知っていて、何も知らない。泣いていて、笑っている」

辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、258頁
それにしても、セーヌの河底に列車を沈めるとは、なんという想像力なのでしょうか! 感歎してやみません。
それから、この短編集に収められた「サラマンカの手帖から」は、何十回と読み直している短篇ですが、今日もまた読んでしまいました。いつ読んでも、思うところがあります。僕にとって理想の短篇と言ってもいいと思います。「サラマンカの手帖から」については、また書いてみたいと思います。

Tsuji Kunio


江戸切絵図貼交屏風
江戸切絵図貼交屏風

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辻 邦生
文藝春秋
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三度目の「江戸切絵図貼交屏風」に、予想以上に強い感傷を抱かざるを得ません。「江戸切絵図貼交屏風」には、藩の犠牲になった男と女の哀切な物語が収められています。藩は、人間の集合する組織なのですが、一方で非人間的な側面を持つ組織なのであり、その存立のためには犠牲をも厭わない非情な側面を持っています。そうした側面は、現代社会においては国家組織や企業において、まるで合わせ鏡のようにみることが出来ます。「江戸切絵図貼交屏風」において、組織に翻弄された男と女は、心中を図り、仇討ちを果たすがために放浪を続けます。現代社会では、仇討ちは禁止されていますし(江戸時代は国家公認の制度でしたが……)、心中などという話も、あまり聞くことはありませんが、それでも、家族を舞台にした殺人事件や、DVなどには、硬く無機質な社会や組織に弄ばされ、傷ついた人々の哀切な叫びが隠されているような気がしてならないのです。「江戸切絵図貼交屏風」で繰り広げられる哀憫な物語は、現代を写す鏡なのであって、だからこそ、一編一編を読み終わった後に訪れる憂愁な気分がアクチュアルな意味を持ってくるのです。

Tsuji Kunio


江戸切絵図貼交屏風
江戸切絵図貼交屏風

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辻 邦生
文藝春秋
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「モンマルトル日記」から「小説への序章」へ向かい袋小路に入りました。今週は、気を取り直して「江戸切絵図貼交屏風」を読んでいます。この短篇連作を読むのは3度目になると思うのですが、読むたびに違った驚きを覚えます。今回は物語のおもしろさを味わうことが出来ています。それ以上に驚異的な描写の美しさに舌を巻いています。

それでも長雨に打たれる宿場風景は貞芳の絵心を惹いた。紅殻色の唐傘、青い雨合羽、塗れて色の濃くなった屋根瓦、黒い壁地に斜め井桁に漆喰を白く塗った旅籠の海鼠壁、蓑傘姿の旅人達、海沿いの松並木などが小止みなく垂直に振る雨に包まれて、どこか鮮明な色と形を取り戻していたあたかも木も家も道も石も雨の衣を着たために、ふだんの緊張が緩んで、ふと、自分のなま身をさらけ出している──そんな寂寥とした孤独な表情が雨の風景のなかに見てとれるのだった。

辻邦生『江戸切絵図貼交屏風』文春文庫、1995年、46頁
品川宿の描写なのですが、読んだ瞬間表象が浮き上がってくるのを感じました。小説を読む醍醐味です。

Tsuji Kunio


モンマルトル日記 (1979年) モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生 (1979/04)
集英社

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「モンマルトル日記」の世界にのめりこんでしまい、出てこられなくなってしまいました。苦戦を強いられています。というより、この作品のおもしろさに捉えられてしまい、出てこられなくなっていると言う感じです。気になるところにつけ始めた付箋は、いまやハリセンボンのようにいくつもいくつも本から飛び出しているような状態。もっとも、そう簡単に近づけるものではないという予測はありましたが、案の定でした。もちろん私の力不足という面もあるのでしょうが……。
とにかく「嵯峨野明月記」の「太虚」の境地を探求しようとしていたのですが、「モンマルトル日記」に生々しく描かれる、作品を産み出す作家の舞台裏の苦悩に引き込まれてしまいました。
引用文をいくつか書き抜いてみたり、コメントをつけてみたりしたのですが、引用文を選択したり、コメントすればするほど、本来の目的から離れていく様な気がしています。どれも重要で興味深い主題なのですが、日記と言うこともあり、論理的に読もうとする試みはことごとく弾かれてしまい、散文詩のように読んでみると、ますます却けられてしまうような気がしてしまいます。
そんななかですが、今日はいくつか選んだ引用文のなかからこの詩を選んでみたいと思います。

通り過ぎるのは時であり
「私」ではない
「私」は時の外に立ち
時は「私」に抱かれる
「私」は老いることなく
「私」はすでに永遠である

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、136頁
「太虚」の境地につながると思われる詩です。特別なコメントはありませんので、辻先生の詩作だと思います。まずはこの詩に限らず、辻作品を味わいつくすことが重要です。まるで経文を唱え続け肉化させることで、その内実の理解に近づいていくように……。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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モンマルトル日記 (1979年) モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生 (1979/04)
集英社

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詩と永遠 詩と永遠
辻 邦生 (1988/07)
岩波書店

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「モンマルトル日記」のなかから、「嵯峨野名月記」において述べられた「太虚」の境地を理解するための示唆を探し求めています。モンマルトル日記を読んでいると、作家が作品を生み出す舞台裏をのぞいているような感じを強く受け、それ自体大変興味深いのですが、その点についてはまた別の機会に書いてみたいと思います。
ともかく、今明らかにしたいと願っているのは、太虚と言う概念の指し示す意味なのです。
「モンマルトル日記」から引用してみます。

もう一度チャールズ・ラムの I am in love whith this green earth. (わたしは緑の大地が大好きなのです)に戻ってくる。この生命への執着、礼賛こそが、この生命の「よろこび」こそが芸術の本源に他ならない(中略)しかも
この「生のよろこび」はただ死を媒介としてのみ、永遠のものとなり、あらゆる面において輝きだす。(中略)死が永遠ではなく、この「生のよろこび」が死があるおかげで、永遠の輝く甘美さにつらぬかれるのだ。時のうつり、死、病気がなかったら、この「生のよろこび」は亡くなるだろうし、日々は砂を口口噛むような繰りかえしにすぎなくなる。

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、50頁
「詩と永遠」では、この死と充足の関係をモンマルトル日記において執拗に考えたとあり(179ページ)、以下のように述べられています。

<生きている>ことをそれだけで<喜ばしい>と感じるためには、何よりもまず<生きている>ことを重病人のように、銃殺直前の男のように、強く激しく乞い願わなければならないのです。(中略)私は、それを、不満な現状を慰める口実とするのではなく、あくまで不満そのものを通り越し、不満を無効にするような<生>のレヴェルに達すること、と理解しています。

辻邦生「語りと小説の間」『詩と永遠』岩波書店、1988年、179頁
さらには、この「喜ばしい感じ」と禅の境地との関連も示唆されています。文学創造のインスピレーションが<存在への驚き>であったり、<生きていることの恩寵感>であり、世界と私が一体となる透明な昂揚感である、とも述べられています。
整理してみると、
(1)死を意識する。<生>を剥奪された状態に身を置いたと仮定する。
(2)死を意識することが媒介となって、生きていることを恩寵として感じる
(3)喜びの感情にとらわれる。
(4)不満な現状を越え、不満を無効にするレヴェルに達する。
(5)このとき世界と私は同一となっている。
もう一度「太虚」の部分を引用してみます。
(A)

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
(B)

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
まず、(A)の引用で、死を意識し、死が解消して生を感じ、歓喜の念に達します。(1)、(2)、(3)のレベルまではここまでです。
次に、(B)の引用で、世の虚しさを悟りますが、この虚しさは豊穣な虚しさであるとされます。世の中は「背理」であり(宗達の独白)、汚辱にまみれた世界ですが、そうしたパースペクティブを越えて、太虚という境地に達します。ここで、(4)、(5)のレベルに達します。
補足が必要です。この引用の前の部分で、すでに前回までに引用していますが、以下の部分で私が世界と同一になっていることが指し示されています。
(C)

私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
(C)の引用で、(5)の世界との合一が直観されています。そして、光悦は「自らの仕事」──つまりは、芸術的創造へと自ら進んでいくのです。
この太虚の境地においては、何が起きるのでしょうか。作家である辻先生は、この昂揚感において文学的創造をなすとしています。昂揚感により美的価値が受胎し、芸術作品の創造へとつながっていくという訳なのです。
我々はどうでしょうか。喜ばしい感情を持つことでその先はどうなるのでしょうか? 辻先生の場合であれば、文学的創造へと進みますが、我々にとって見れば、こうした昂揚感を得ることで、この汚辱と悪弊満ちあふれた世界を生きていく原動力を得るのである、とでもまとめるべきなのでしょうか。
まだ、探求を続ける必要がありそうです。また次回以降も続けていきたいと思います。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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今日は「太虚」について書こうと思いましたが、いろいろと資料を渉猟していたら時間がなくなってしまいました。
というのも、「嵯峨野名月記」第二部を執筆中の日記が「モンマルトル日記」に納められていて、ここに解釈のヒントがあるのではないか、という予測の下に読み始めてみたからです。
モンマルトル日記は1968年10月14日から1969年8月23日までの日記が収められています。この時期は、嵯峨野明月記の第二部が書かれていましたし、「背教者ユリアヌス」や「ボッティチェルリ偽伝(春の戴冠の原型)」を書かんとしていた時期に当たるようです。そのなかから「嵯峨野明月記」の内容に関わる部分を抽出しようとしているところです。
光悦が太虚について述べるのは以下のような文脈です。

不意に、何とも言い難い喜悦の念に捉えられ私はそれがどこから生まれたのか、思わず自分の中をのぞき込んだ。(中略)私は庭に降りて清水まで歩き、それを手にうけ、藤の花を仰ぎ、ふたたび濡縁にあがった。そのとき、また、強い光のような歓喜が、甘美に私を指しつらぬいていった。私は、はっとして、足を濡縁にかけたまま、身体をとめた。それは以前清涼院別院で、突然雲や花や木々が身近に迫ってくるように感じたときに似ていた。私はそこに座って朝日が杉木立を通して差し込んでくるのを眺めた。そのときふと私は、自分が、今の瞬間、太陽や、木立や、藤の花や、清水の流れと、全く同じものになっているのを強く感じた。(中略)私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。(中略)それまで私は、光悦という一人の人物として、雲を仰ぎ、花を凝視した。(中略)私は雲や花とは別個の存在だった。(中略)しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった。(中略)私は自分のなかでながいこと、しこっていた<死>が、その瞬間、ふと、なごみ、溶け、軽やかに揺らぐのを感じだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
一つめの引用部分は、辻文学の原点とも言える三つの至高体験のうち、ポン・デ・ザールからセーヌを眺めるという挿話によるものだと思います。この体験については、『詩と永遠』に書かれています。引用してみます。

ポン・デ・ザールのうえで私が感じたのは、(中略)全てのものが私という人間のうちに包まれている、ということでした。並木も家も走りすぎる自動車も、見も知らぬ群衆も、すべて、私と無関係ではなく、それは私の並木であり、私の家であり、私の群衆でした。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、249頁

このことは、私が世界を包んでいるとも言えますが、言葉を買えると、私が世界のなかにとけこんで、見えない人間になり、世界と一つになっているという風にも考えられます。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、250頁
光悦が「しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった」と述べる境地が、辻先生の体験に裏打ちされているものであることが分かります。
そして、続く<死>の克服と「太虚」の境地への発展の部分は以下の通りです。

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
光悦が感じた、主観と事物の混合する状態において、死との関連が述べられます。死の解消によって光悦が歓喜の念を抱くことで、ある種の境地に達しています。
この死の解消による歓喜の念についても『詩と永遠』に述べられています。それは、<生>を願わしいと思う気持が昂じて、歓喜の念が生じるのであって、これが<詩的な状態>につながるのであるとされています。光悦の場合であれば、「ささやかな仕事」の原動力に当たるものです。
<死>の解消の境地について述べるためには、死についての考察を進めなければなりません。そこで冒頭に触れた『モンマルトル日記』に示唆が隠されているのではないか、と思ったのでした。まさにその通りで、辻先生が<死>を意識している場面に何度か出くわすのです。
次回は、モンマルトル日記の考察と、太虚についてさらに考えてみたいと思います。

詩と永遠
詩と永遠

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モンマルトル日記 (1979年)
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