Tsuji Kunio

安土往還記 安土往還記
辻 邦生 (1972/04)
新潮社

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戦国の英雄、織田信長を描いているのですが、単なる信長公記の焼き直しではありません。語り手の南蛮人が、織田信長の天下統一事業を高い次元のイデアを目指すものとして語りつづっているのです。信長はシニョーレという代名詞で語られます。信長の天下統一事業は、生半可なものではありませんでした。よく知られているように比叡山の焼き討ちや、謀反人への容赦ない処罰など、半ば神がかったものでした。天皇の権威をも揺るがそうとする勢いは、日本という国の意義自体をも揺るがすものだったといいます。語り手はそうした事績を非日本人としての客観的まなざしで語り続けます。最後に信長が安土城で催す松明行列のシーンが圧巻です。その後訪れることになる本能寺の変のことを我々が知っているだけに、その圧巻な催しに寂寥感を覚えざるを得ないのです。
辻文学においては、高い理想を掲げ目指すのだが、現実との軋轢により挫折せざるを得ない、という構造を多く見ることができます。「春の戴冠」においては、サヴォナローラ事件がそうですし、「ある生涯の七つの場所」では、スペイン内戦の人民戦線がそれに当たります。「背教者ユリアヌス」でも、ユリアヌスは遠征先の砂漠で斃れることになります。「安土往還記」においてもやはりそうした構造に基づいていると言えるでしょう。こうした一連の物語は、現実社会においても、性急な改革を戒め、地に足をつけたゆっくりした着実な改革が大事なのだ、ということを語っているように思えてならないのです。

Tsuji Kunio

「クロード・ジャド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2006年12月3日 (日) 05:03
フランスの女優、クロード・ジャドさんが亡くなりました。この方は、辻邦生原作の映画「北の岬」に出演されていました。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<古い日時計:黄色い場所からの挿話 XI>「夏の海の色」

鎧戸の透き間に太陽が金色の尾羽を並べたように反射していた。涼しい室内はその反射光で明るみ、別途に向こうむきに寝ているエマニュエルの浅黒く日焼けした肩の丸味がほの白く光っていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

むう。もうこの冒頭分だけで参ってしまう。

鶏が庭土をつつきながら野菜畑の方へ歩いていた。真夏の昼下がりの光がポプラにも草地にも野菜畑にも納屋の屋根にもまぶしく降り注いでいたが、鶏のク、クと鳴く声と納屋の前に飛ぶ蠅や羽虫のうなりを覗くと、すべてが森閑と静まりかえっていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

午睡の習慣がある南欧の厳しい夏の風景。静謐で美しくまるでセザンヌの絵のようです。

「さっき教会の前で日時計を観ていたんだよ。横の庭においてある……」

「ええ、知っているわ」

「あれを見ていたらね、時間が、太陽の動きと一つになって、ゆっくり動いていて、決して流れ去らず、また明日になると、太陽とともに、時間がやってくる──そんな気持ちになったんだ。時間は無邪気な子供みたいに日時計の石の文字盤の上に戯れていて決して無くなることはない。いつもゆったりしていて、明日も同じように、そこに、たっぷりと姿を現す……

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、207頁

スピードと効率性を重視する現代社会において、日時計などというものは無用のものかもしれないのですが、日時計に着目することで、かつて時計を知らなかった時代にわれわれがもっていた「時間」への郷愁が浮き彫りになってくるのでした。

これ以降あらすじです


あらすじ

エマニュエルと「私」は南仏の小さな村にいる。午睡をする二人。翌日近くの街の古代ローマ遺跡を見学するのだが、その帰りにブリネ神父と出会う。どうやらこの町はエマニュエルが幼い頃両親と離れて育った街で、エマニュエルは両親に愛されていなかったためこの街に預けられたのだとおもっていたのだが、父親の日記を読むことでそれが違っていたことがわかったのだ。こうしてエマニュエルは再びこの村に戻ってきて思い出を確かめようとしているのだった。ブリネ神父はエマニュエルの両親のこともエマニュエルのこともよく知っていて、二人が愛し合っていたこと、エマニュエルを愛していたことをエマニュエルに語る。

二人が泊まっているマルタン老人の家に戻ると、老人は検問があっただろう、と言う。どうやら二人が古代ローマ遺跡を見学した町で殺人事件があったらしい。男が妻の前の亭主を殺害したというのだ。男は単独で逃走しており、妻はそのまま残ったのだという。二人はどうして単独で逃走したのか、愛し合っているのならば二人で逃走するべきではないか、と話をする。「私」は男が女のために人殺しまですることが非現実におもえるというのだが……

「そうかしら」エマニュエルは眼を細めて、丘の上のポプラを眺めた。「私は反対のような気がするわ。人間が誰かを殺したくなるほど、純粋に憎めるのは、名誉心からでも物欲からでもなく、やはり愛からだと思うわ」

「嫉妬からということもある」

「それだって愛があるから起こるのよ」

「もちろんそうだけれど」私はエマニュエルの表情が複雑に動くのを見て言った。「愛にしろ何にしろ、現代人は誰もそんなものを信じようとしないからね。そんなものを信じた貌に出会うと、急に鼻白じんだ表情をする」

「現代人の虚栄心ということもあるわ」

「そうだね。そういう面は確かにある」
「追いつめられた人の眼で見れば、多少、違ってくると思うわ」
「しかし現代人は追いつめられた人間を笑おうとしているのじゃないかな」
「それはまだ自分も追い詰められていることに気がついていないからよ」
「何に追い詰められているんだろう?」
「この世に投げ出されているという事実よ」
「ばかに哲学的なんだね」
(中略)
「でも、それから目をそらすわけに行かないわ」
「僕も同意見だよ」
「そうだと思っていたわ」
「どうして?」
「そこから私たちがはじまっているからよ」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、214頁

ブリネ神父を尋ねる二人。エマニュエルの昔のことを話そうというのだ。ブリネ神父は日時計についてこう語る。

「日時計は私たち人間の全生活が昼と夜、天候、季節と深く結びついていたことの証であり、その名残です」神父は二重顎をひくようにして言った。「私たちは昼と夜が指し示す通りの生活をしました。朝早く目覚め、昼は働き、夜は休みました。夜働くものはなく、昼、光のない地下街であたら区などということもありませんでした。雪の日、風の日、私たちは厚い壁の中で、それに耐えました。雷鳴に怯え、雪の日には、暖炉の火が、おいしいご馳走と同じでした。日時計の時代は、人間の愛も豊かでした。それは家族や村の人々と結びついて感じられていたからです。切り離された現代の愛は、孤独です。ちょうど現代の都会生活に季節が無く、昼も夜もないように」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、215頁

ブリネ神父によれば、エマニュエルの母はシリアの考古学を専門にしていて、エマニュエルが生まれると、シリアから戻りたい、自分の仕事を辞めたいといったのだそうだ。エマニュエルの父もおなじくエマニュエルが生まれることを望んでいたが、結果としてエマニュエルの母がエマニュエルの誕生のために自分の仕事を捨ててしまうのではないか、と考えていたのだ。父は、『もしお前がエマニュエルのために、今仕事を打ち切ったら、お前は、後になってこの子を憎むようになるよ』といって、この村に預けることにしたのだという。
辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、218頁

ブリネ神父の家を後にするとき、検問のことをブリネ神父に尋ねる。少し考え込む風なブリネ神父の表情。

その後、殺人犯の男が逮捕されたというニュースを知る。ブリネ神父にそのことを言うと、神父の顔は妙に歪んだ感じで、落ち着きがなかった。

あとから考えてみると、どうやらブリネ神父が男を逃がしたのではないか、と二人は考えるようになる。どうしてなのか、と思いを巡らせる二人。

「ブリネ神父はあの男が逃げることを望んでいたね」
「さ、それはわからないけれど」私はエマニュエルの横顔を見て言った。「なにか日時計の持っているものと似たものが、あの男の殺人の中にあったのかもしれない」
「どういう意味?」
エマニュエルは前を見たまま言った。
「つまり季節や天候や人間の群れと固く結びついた何か──見えない掟のような何か──そんなものがあったんじゃないかな」
エマニュエルは黙って、頭を横に振った」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、222頁

Tsuji Kunio


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1992年、百の短篇とよばれる「ある生涯の七つの場所」の文庫版第一巻「霧の聖マリ」が発売された。僕がこの短篇を手に取ったのは、辻邦生さんが済んでいた高輪のそば、品川プリンスホテル内の書店だった。大学受験で上京した宿泊先が品川プリンスホテルだったのである。「霧の聖マリ」の最後に辻邦生さんの文庫版あとがきが入っていて、その最後に「一九九一年師走 東京高輪にて」とあった。品川プリンスホテルの裏はすぐ高輪であることを知っていた若い僕は、ニアミス、あるいはシンクロニシティの神秘に心をふるわせたのだった。
一年間の浪人が決まり、いよいよ勉学に励まなければならない状態にあった。家族は僕のことを無視し続けていたが、何とか予備校に通って、勉強にいそしんでいたつもりだった。
そんな中でも読書だけは忘れなかった。「ある生涯の七つの場所」は1992年一年間をかけて二ヶ月おきにゆっくりと文庫版が刊行されていた。僕は隔月刊行の文庫を待ち続け、予備校近くの書店で発売日には早速と買い求め、通学電車の中で時を忘れて読み続けたのだった。百の短篇が織りなす時代のタペストリーの全体像を思い描くには、それなりの準備が必要だと思うのだが、百の短篇一つ一つに織り込まれた人間の情念や美への揺るぎない信念を感じるには、短篇一つを読むだけで十二分に味わうことができた。
一つの短篇を読み終わるたびに訪れる、まるで大理石を削りだして生まれた彫刻をみるような甘美な気分や、人間の情感がもたらす不思議な物語に触れた時に訪れる人知を越えたものへの憧憬を、ゆっくりと楽しんだのを覚えている。
僕の辻邦生作品へのひとかたならぬ思いを形成し、読書の楽しみを教えてくれたのは、浪人中に読んだ百の短篇なのである。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<泉:黄色い場所からの挿話 VIII>

ある生涯の七つの場所について、少しずつ書いていこうと思います。本当は最初から書き始めるのがよいのでしょうが、僕の好きな「夏の海の色」から始めてみようと思います。

この掌編では水の描写を楽しむことができます。たとえばこんな冒頭部分など。

泉は村の広場の真ん中にあって、石に彫られた獅子の口から勢よく迸る水はきらきら光る弧を描きながら、浅い水盤の上に落ちていた。水盤を溢れた水は、もう一段下の水槽に、薄い簾状の滝になって、音をたてながら流れていた

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、11頁

水盤を溢れて、簾状に落ちてゆく水は、水と言うより、硬質の滑らかなガラスのような感じで、とくに水盤の縁をまるく、しなやかに越えていく透明な脹らみは美しかった。

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、13頁

ただ感嘆のみ…。

エマニュエルと「私」のことは、これからどうなるかを知っているだけに、複雑な気分。エマニュエルは本当に強い女性だと思います。そして、エマニュエルを産み出した辻邦生の「物語り」に深い驚きを覚えてしまうのです。物語作家は、ある種文中人物に憑依されて、文章を書いているのではないか、と思います。

この事件にもやはりスペイン内戦の暗い翳りが感じられるのです。おいおい読み進めていくことで明らかになってきます。

───これから読む方はここから先は読まない方が良いかと存じます───

あらすじ

アルプスの麓、夏の休暇にチロル地方の小さな村で暑さを避けているエマニュエルと「私」。ゆっくりとした時間でエマニュエルは論文の準備をする。

「ゆっくり時間のあった時代の仕事さ」
「いいえ、ここには、いまも、ゆっくりした時間があるわ」
「そうかもしれない。ここに来てから、まるで時間が過ぎてゆかないものね」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、12頁

その村の泉にまつわる奇怪な出来事。人間の手首が切られて泉の中にうち捨てられていたというのだ。ひまわりの花もたくさん浮かべられていたのだという。その手首の持ち主は、マルティン・コップと言うのだそうだ。私とエマニュエルは推理を始めるが、もちろん妥当な結論に至ることはできない。

エマニュエルが論文を提出したあと、「私」はエマニュエルと実はきちんとした関係(結婚と解釈するのが妥当だろう)をしたかったのだが、エマニュエルはそれを拒むのだった。

しかしエマニュエルはそうした危険を感じながら、日々新たに情念を確かめる生活でなければ、男女がともに暮らす理由はないと考えているのだった。
「それは人間を過信した傲慢な態度じゃないだろうか」
(中略)
「過信?」エマニュエルはそういうときのつねで、頬のあたりがほっそり窪んだ感じの顔を俯けて言った。「私はそうは思わないわ。むしろそのことだけは、もっと信じたいと思うわ」
「しかしまるでむき出しに風の中に晒されているようなものじゃないかな」
「それに疲れて、駄目になったら、私ね、悲しいと思うけれど、安全地帯にいて、惰性的な形を保った方が良かったとは言わないと思うわ」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、32頁

クリスマス休暇に入ると、エマニュエルと「私」は別々に休暇を過ごすことになった。「私」は日本人の友人とともに北フランスの小さな村で過ごすことになった。そこで出会ったニコラの家に招かれる。旧式の複葉機と男が映った写真を見つける。ニコラの父親だという。スペイン市民戦争に人民戦線側について参戦したのだという。人民戦線が敗れたのち、飛行機に乗って脱出しようとしたのだが、相棒の男に飛行機を奪われ、果てに指を切られてしまったのだという。ニコラの父親はひまわり畑のなかを自分の切断された指を探し回ったのだという。ニコラが指のことを聴くと、ひどく機嫌が悪くなったのだそうだ。「私」は、あのチロルの村での奇怪な出来事を思い出し、ニコラの父親がマルティン・コップを殺めたのではないかと推理する。エマニュエルに手紙を出す「私」。エマニュエルから返事が届く。

「私は世の中に恐ろしい偶然があり、符号があることを認めています。それでも、なぜか、それを信じてはいけないような気がするんです。その理由はいろいろありましょう。その中で有力な理由は、私が運命の力を最小のものに見なしたいと思っていることかもしれません。私が偶然の力を過小評価しなければならないと考えているからかもしれません」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、40頁

Tsuji Kunio

ラジオドラマCD 西行花伝 ラジオドラマCD 西行花伝
(2006/06)
エニー

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西行花伝のラジオドラマCDを発見しました。早速注文してみました。とても楽しみです。

西行花伝 西行花伝
辻 邦生 (1999/06)
新潮社

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ちなみに、西行花伝はなぜ「花伝」なのでしょうか?おそらくは能の形式である「夢幻能」を意識しているのではないかと思うのです。夢幻能とは、

亡霊が主人公(シテ)となって、僧(ワキ)の前に現れ、過去を語り、僧の供養を受けて成仏する

松岡心平『能 狂言 風姿花伝』週刊朝日世界の文学第28巻、2000 8-230ページ
という構造です。そこで何が起こるかというと、ワキが観客の代表としてシテの物語をリアリティーを感じながら聞いている、ということを演じている訳です。自ずと観客もワキと同じ立場に立って、リアリティを持ちながらシテの物語に没入していくことができ訳です。
このワキとも言うべき語り手が登場するケースが辻邦生作品の中には非常に多いと思います。いま思いつく限り並べてみると…。

  • 春の戴冠(サンドロをフェデリゴが語る)
  • 夏の砦(支倉冬子をエンジニアが語る)
  • 廻廊にて(マーシャを日本人画家が語る)
  • 西行花伝(西行を弟子が語る)
  • 安土往還記(シニョーレをディエゴ・デ・メスキータが語る)
  • ある生涯の七つの場所(宮部音吉を「私」が語る)

などなど、枚挙にいとまがありません。作品中の脇役ないしは語り手が、主人公を語ることで、物語世界のリアリティがより強固なものに補完されていくのです。
さて、辻作品関連のCDといえば、以下もあります。

細川俊夫作品集 音宇宙(9) 細川俊夫作品集 音宇宙(9)
細川俊夫、東京少年少女合唱隊 他 (2004/02/21)
フォンテック

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冒頭のハープ協奏曲が辻邦生に捧げられていますが、辻邦生はこの作品の完成を心待ちにしたそうですが、完成を待たずして99年の夏に急逝しまったのです。2001年3月31日6時からサントリーホールにて、秋山和慶指揮、ハープは吉野直子、東京交響楽団によって初演されました。学習院大学で2004年の晩秋に行われた辻佐保子さん(辻邦生の奥様)の講演に際して、講演前の待ち時間にこの曲流されいたのを覚えています。

Tsuji Kunio

楽興の時十二章 楽興の時十二章
辻 邦生 (1990/11)
音楽之友社

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辻邦生全集〈8〉 辻邦生全集〈8〉
辻 邦生 (2005/01)
新潮社

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マーラー:交響曲第3番 マーラー:交響曲第3番
アバド(クラウディオ)、ラーション(アンナ) 他 (2002/03/13)
ユニバーサルクラシック
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その作家の作品の中で、一番最初にであった作品ほど印象深いものはありません。

それはまるで、ある音楽作品を聴くのが初めてで、その演奏がきわめて印象深かったとき、音楽作品と演奏が深く結びつき、まるで音楽作品と演奏が切っても切り離せない不可分な関係にあるかのように思えるのと似ています。実は、その音楽作品の演奏は、さまざまな演奏者によって行われていて、その演奏の解釈はそれぞれにおいて違うはずで、もちろんどれがもっとも優れた演奏であるといったような命題は陳腐な命題となるのでしょうけれども、その音楽作品を聴いた私にとっては、初めて聴いたその演奏が最も優れた演奏に思えてならないのです。

作家の作品においても、最初に出会った作品において、八分がたその作家の評価を定めてしまいかねず、それがいい方向に向かえば、その作家との良い関係を築くことができるでしょうし、それが悪い方向に向かえば、その作家との関係を修復するのは難しくなることでしょう。そして、前者であったとすれば、それは恩寵とでも言うべき幸福な関係となるに違いないのです。

私が辻作品に出会ったのは、高校2年の年で、炎暑に見舞われた京都から下る東海道本線の座席について、今は休刊となってしまった「音楽芸術」誌を開いたときでした。「樂興の時 十二章」と題された連作短篇集の第11話「桃」がそれだったのです。マーラーの交響曲第3番をモティーフにしたその作品は、老外交官が死に際して己の人生を振りかえるにつけて覚える苦い悔恨と、幼い孫の無邪気さや看護婦の若い力による諦観が描かれていました。

タイトルの「桃」は春の若々しさを想起もさせ、また人間の根源的欲求をも感じさせるモティーフで、老外交官が中国奥地へ赴いたときに、霧中から突如あらわ得る桃畑のイメージが、精神の底深いところに常に存在する若々しさや生への根源的欲求を象徴しているのでした。

マーラーの交響曲第3番では清純な少年合唱が登場しますが、幼い孫たちのイメージと重なります。少年合唱は「ビム、バムBim Bam」という歌詞で始まります。鐘の音は、ミサを想起させますし、果ては葬送をも想起させるのです。短篇中にゴシック文字で挿入されるエピソードに登場する子供たちの姿は、交響曲第3番の少年合唱でもあり、あるいは老外交官を彼岸へと導く天使たちの行進なのかもしれません。

老外交官の苦い悔恨を読んで、自分はそうならぬよう人生を生きなければならぬ、と読んだ当時強く決心したものでした。しかし、現実はそうも上手くゆかないようです。今朝方の通勤電車の中でもう一度短篇を読み返してみたのですが、老外交官の覚えた悔恨に似た人生の苦みを噛みしめたのでした。

しかし、老外交官は、幼い孫たちや若い看護婦との邂逅によって救済され彼岸へと旅だったようにも読めるのです。辻作品はどれも一遍的な解釈を許しません。答えを与えることはしないのです。そこにあるのは現前とした事実の提示とあるべき理想の姿の示唆です。読み手は、事実の提示と理想の示唆の間で、まるで解決を求める不協和音の響きのような心地よい不安定感を感じつつ、その両者を止揚する努力を決意させられてしまうのです。僕が今朝方感じたのもやはり同じ止揚への決意でした。

しかし、なんということでしょう。これまで辻作品を幾度となく読んで何度もこの止揚への決意を感じたはずだったのに、現実世界の濁流に呑み込まれて、そこをただ泳ぐことに必死で、岸辺へと向かい濁流から身を上げる努力を怠っていたことに気づかされたのです。それが、先ほど述べた悔恨に似た苦みだったのです。 ですが、次の二つの引用をもって、辻邦生作品から「生きること」の大切さを再認識したいと思うのです。 そして、また止揚への努力へと自らを奮い立たせようと思うのです。

生きると言うことに後も前もない 今があるだけだった こうして黄金にきらめく海を泳いでいるように今がすべてであり いましかなく 今に抱かれるとき 今は豊かな母の胸に変わっていた

「樂興の時 十二章」/辻邦生/1991年/音楽之友社/200ページ

「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね。裸足でね」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かに向かってゆくのさ」

「サラマンカの手帖から」/辻邦生/1975年/新潮文庫/282ページ

「桃」についてはまだまだ語りたいことがたくさんありますし、辻邦生作品について語りたいことはもっとたくさんあるのですが、今日はひとまずこのあたりで終わりにしておきましょう。

Tsuji Kunio

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辻邦生著作目録

2005年1月23日現在

  • 辻邦生全集についてはこちらをご覧ください。
  • 「愛・生きる喜び(海竜社)」の巻末の作品目録から抜粋し、私が所有する著作を適宜加えたものです。
  • 文庫は一部を除いて含まれていません。
  • 若干漏れているものはあるかと思いますが、ほぼ全てだと思います。今後も引き続き精査・リファインを進めていきます。
  • 書名に順次アマゾンへのリンクを貼っていきます。
  • エクセルで作成したものを、tableに変換しています。変換にはfrontpageを使用したため、htmlベースで少々汚くなっています。今後折りをみて改善します。無駄な要素を省くなど、改善しました。(2004/5/20)
sq 著作 出版社 ジャンル 関係記事 備考
1 廻廊にて 1963 新潮社 小説
2 夏の砦 1966 河出書房新社 小説 20040410
cover
現在は文春文庫で読むことができる
3 小説への序章 1968 評論 河出書房新社
4 安土往還記 1968 筑摩書房 小説 cover

現在は新潮文庫で読むことができる。
5 異国から 1968 晶文社 小説
6 城・夜 1969 河出書房新社 小説
7 若き日と文学と 北杜夫・辻邦生対談 1970 中央公論社 対談集
8 北の岬 1970 筑摩書房 小説
9 天草の雅歌 1971 新潮社 小説
10 嵯峨野明月記 1971 新潮社 小説
11 ユリアと魔法の都 1971 筑摩書房 小説
12 背教者ユリアヌス 1972 中央公論社 小説
13 辻邦生作品(全6巻) 1972 河出書房新社 全集
14 パリの手記(全5巻) 1973 河出書房新社 日記
15 ポセイドン仮面祭(戯曲) 1973 新潮社 戯曲 20040525
16 海辺の墓地から 1974 新潮社 随筆集
17 北の森から 1974 新潮社 随筆集
18 モンマルトル日記 1974 集英社 日記
19 灰色の石に坐りて 辻邦生対談集 1974 中央公論社 対談集
20 詩への旅 詩からの旅  1974 筑摩書房 随筆集
21 霧の聖マリ 1975 中央公論社 小説
22 パリの手記(全1巻) 1975 河出書房新社 日記
23 眞畫の海への旅 1975 集英社 小説
24 秋の朝 光のなかで 1976 筑摩書房 小説
25 霧の廃墟から 1976 新潮社 随筆
26 夏の海の色 1977 中央公論社 小説
27 春の戴冠(上・下) 1977 新潮社 小説
28 時の終りへの旅 1977 筑摩書房 随筆集
29 時の扉 1977 毎日新聞社 小説
30 フランスわが旅(編集) 1977 中央公論社 (編集)
31 辻邦生全短篇 1978 中央公論社 小説
32 雷鳴の聞える午後 1979 中央公論社 小説
33 季節の宴から 1979 新潮社
34 地図を夢見る(編集) 1979 新潮社 (編集)
35 雪崩のくる日 1980 中央公論社 小説
36 橄欖の小枝 1980 中央公論社 美術論集
37 森有正−感覚のめざすもの 1980 筑摩書房
38 風塵の街から 1981 新潮社
39 十二の肖像画による十二の物語 1981 文藝春秋 小説
40 樹の声 海の声(上・中・下) 1982 朝日新聞社 小説
41 夏の光 満ちて 1982 中央公論社 日記
42 雨季の終り 1982 中央公論社 小説
43 トーマス・マン 1983 岩波書店 評論
44 冬の霧 立ちて 1983 中央公論社 日記
45 もうひとつの夜へ 1983 集英社
46 時の果実 1984 朝日新聞社 随筆集
47 国境の白い山 1984 中央公論社 小説
48 十二の風景画への十二の旅 1984 文藝春秋 小説
49 天使たちが街をゆく(戯曲) 1985 中央公論社 小説 20040205
50 春の風 駆けて 1986 中央公論社
51 世紀末の美と夢(全6巻・編集・小説) 1986 集英社 (編集)
52 雲の宴(上・下) 1987 朝日新聞社 小説
53 椎の木のほとり 1988 中央公論社 小説
54 夜ひらく 1988 集英社 小説 cover
55 詩と永遠 1988 岩波書店 講演集
56 私の映画手帖 1988 文藝春秋 映画評論
57 神々の愛でし海 1988 中央公論社 小説
58 美しい夏の行方 1989 中央公論社
59 フーシェ革命暦(?・?) 1989 文藝春秋 小説
60 銀杏散りやまず 1989 新潮社 小説
61 THE SIGNORE 1989 講談社インターナショナル (英訳) cover 安土往還記の英訳
62 睡蓮の午後 1990 福武書店 小説
63 地中海幻想の旅から 1990 第三文明社 随筆集
64 スペインのかげり 1990 阿部出版
65 永遠の書架にたちて 1990 新潮社 随筆集
66 シャルトル幻想 1990 阿部出版
67 樂興の時 十二章  1990 音楽之友社 小説
68 遠い園生 1990 阿部出版
69 コクトー/アラゴン 美をめぐる対話(翻訳) 1991 筑摩書房 翻訳 cover
70 時刻の中の肖像 1991 新潮社 随筆集
71 my Mozart 1991 小学館 cover
72 遥かなる旅への追想 1992 新潮社 随筆集
73 江戸切絵図貼交屏風 1992 文藝春秋 小説
74 黄昏の古都物語 1992 有学書林 小説
75 天使の鼓笛隊 1992 筑摩書房 小説
76 辻邦生歴史小説集成(全12巻) 1992 岩波書店 全集
77 ある生涯の七つの場所(文庫・全7巻) 1992 中央公論社 小説
78 私の二都物語 1993 中央公論社 随筆 cover
79 美しい人生の階段 1993 文藝春秋 映画評論
80 美神との饗宴の森で 1993 新潮社 随筆集
81 黄金の時刻の滴り 1993 講談社 小説
82 言葉が輝くとき 1994 文藝春秋 講演集
83 生きて愛するために 1994 メタローグ 随筆集 cover
84 鼎談 戦後50年を問う(辻邦生・堤清二・安江良介) 1994 信濃毎日新聞社 対談
85 人間が幸福であること 1995 海竜社 アンソロジー
86 西行花伝 1995 新潮社 小説 cover
87 春の戴冠 1996 新潮社 小説 cover
88 愛、生きる喜び 1996 海竜社 アンソロジー cover
89 光の大地 1996 毎日新聞社 小説 cover
90 花のレクイエム 1996 新潮社 随筆 cover
91 幸福までの長い距離 1997 文藝春秋 映画評論 cover
92 外国文学の愉しみ 1998 第三文明社 随筆集
93 風雅集 1998 世界文化社 随筆集 cover
94 手紙、栞を添えて 1998 朝日新聞社 往復書簡 cover
95 のちの思いに 1999 日本経済新聞社 小説 cover
96 辻邦生が見た20世紀末 2000 信濃毎日新聞社 随筆集 cover
97 薔薇の沈黙 2000 筑摩書房 評論 cover
98 言葉の箱 小説を書くということ 2000 メタローグ 講演録 cover
99 微光の道 2001 新潮社 随筆集 cover
100 海峡の霧 2001 新潮社 随筆集 cover
101 情緒論の試み 2002 岩波書店 評論 cover
番外 辻邦生のために(辻佐保子著) 2002 新潮社 随筆 cover

Tsuji Kunio

辻邦生全集の目録(私家版)です。

sq 巻数 内容 リンク
1 第一巻(小説1) 廻廊にて vol.1
2 夏の砦
3 安土往還記
4 第二巻(小説2) 異国から vol.2
5 城・夜
6 北の岬
7 第三巻(小説3) 天草の雅歌 vol.3
8 嵯峨野明月記
9 第四巻(小説4) 背教者ユリアヌス vol.4
10 第五巻(小説5) ある生涯の七つの場所1〜3 vol.5
11 第六巻(小説6) ある生涯の七つの場所4〜5 vol.6
12 第七巻(小説7) ある生涯の七つの場所6〜7 vol.7
13 第八巻(小説8) 眞畫の海への旅 vol.8
14 秋の朝 光のなかで
15 十二の肖像画による十二の物語
16 十二の風景画への十二の旅
17 第九巻(小説9) 春の戴冠・上 vol.98
18 第十巻(小説10) 春の戴冠・下 vol.10
19 第十一巻(小説11) フーシェ革命暦? vol.11
20 第十二巻(小説12) フーシェ革命暦?・? vol.12
21 第十三巻(小説13) 銀杏散りやまず vol.13
22 睡蓮の午後
23 第十四巻(小説14) 西行花伝 vol.14
24 第十五巻(評論) 小説への序章 vol.15
25 森有正 感覚のめざすもの
26 トーマス・マン
27 薔薇の沈黙 リルケ論の試み
28 第十六巻(エッセイ1) のちの思いに 他、自伝的エッセイ vol.16
29 第十七巻(エッセイ2) 美しい夏の行方 他、旅のエッセイ vol.17
30 第十八巻(エッセイ3) 手紙、栞を添えて 他、読書をめぐるエッセイ vol.18
31 第十九巻(エッセイ4) 美術と映画をめぐるエッセイ vol.19
32 第二十巻 アルバム・書誌・年譜・雑纂 vol.20

やはり、残念ながら全著作の収録とは行かなかったようだ。目立ったところでは、朝日新聞から出版されていた「樹の声 海の声」や「雲の宴」、毎日新聞から出版されていた「時の扉」、「光の大地」などが収録されない。「江戸切絵図貼交屏風」、「楽興の時 十二章」、「夜ひらく」、「天使の鼓笛隊」、「ユリアと魔法の都」、「黄金の時刻の滴り」なども収録されず。私が注目していた「我等の渇いた河」も収録されない模様。特に「時の扉」や「光の大地」は現代を舞台にした作品ながら実にユニークで興味深い作品であると思っていただけに、残念である。

カタログによれば「著作のうち小説、評論、エッセイを精選」と書かれているわけで、全作品の網羅はそもそも目的ではないということ。非情に残念であるが、膨大な著作を前にすればやむをえないだろう。

個人的には、所有していない「森有正 感覚のめざすもの」が収録されるということで、こちらが楽しみである。また二十巻の内容も期待できる。