辻邦生「モンマルトル日記」
モンマルトル日記 (1979年) 辻 邦生 (1979/04) 集英社 |
「モンマルトル日記」の世界にのめりこんでしまい、出てこられなくなってしまいました。苦戦を強いられています。というより、この作品のおもしろさに捉えられてしまい、出てこられなくなっていると言う感じです。気になるところにつけ始めた付箋は、いまやハリセンボンのようにいくつもいくつも本から飛び出しているような状態。もっとも、そう簡単に近づけるものではないという予測はありましたが、案の定でした。もちろん私の力不足という面もあるのでしょうが……。
とにかく「嵯峨野明月記」の「太虚」の境地を探求しようとしていたのですが、「モンマルトル日記」に生々しく描かれる、作品を産み出す作家の舞台裏の苦悩に引き込まれてしまいました。
引用文をいくつか書き抜いてみたり、コメントをつけてみたりしたのですが、引用文を選択したり、コメントすればするほど、本来の目的から離れていく様な気がしています。どれも重要で興味深い主題なのですが、日記と言うこともあり、論理的に読もうとする試みはことごとく弾かれてしまい、散文詩のように読んでみると、ますます却けられてしまうような気がしてしまいます。
そんななかですが、今日はいくつか選んだ引用文のなかからこの詩を選んでみたいと思います。
通り過ぎるのは時であり
「私」ではない
「私」は時の外に立ち
時は「私」に抱かれる
「私」は老いることなく
「私」はすでに永遠である
辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、136頁
「太虚」の境地につながると思われる詩です。特別なコメントはありませんので、辻先生の詩作だと思います。まずはこの詩に限らず、辻作品を味わいつくすことが重要です。まるで経文を唱え続け肉化させることで、その内実の理解に近づいていくように……。
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