Arnold Schönberg,Tsuji Kunio

夜の時間ができました。こんなことは本当にまれなことです。AppleMusicを開き最初に目に入ったのがジャニーヌ・ヤンセンのアルバムに収められたシェーンベルク「浄められた夜」。

Arnold Schoenberg la 1948.jpg

シェーンベルク最初期。作品番号は4番。おそらくはシェーンベルクの楽曲の中でも知名度が高い部類に入るでしょう。私もこの曲を20年ほど前に一生懸命聴いた記憶があります。

この曲は、リヒャルト・デーメルの詩にモティーフを得て作曲されたものです。このあたりのエピソードもほとんど忘却の彼方からいまここにたぐり寄せたものです。

Rudolf Dührkoop - Richard Dehmel (HMuF, 1905).jpg
Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain;
der Mond läuft mit, sie schaun hinein.
Der Mond läuft über hohe Eichen;
kein Wölkchen trübt das Himmelslicht,
in das die schwarzen Zacken reichen.
Die Stimme eines Weibes spricht:
Ich trag ein Kind, und nit von Dir,
ich geh in Sünde neben Dir.
Ich hab mich schwer an mir vergangen.
Ich glaubte nicht mehr an ein Glück
und hatte doch ein schwer Verlangen
nach Lebensinhalt, nach Mutterglück
und Pflicht; da hab ich mich erfrecht,
da ließ ich schaudernd mein Geschlecht
von einem fremden Mann umfangen,
und hab mich noch dafür gesegnet.
Nun hat das Leben sich gerächt:
nun bin ich Dir, o Dir, begegnet.
Sie geht mit ungelenkem Schritt.
Sie schaut empor; der Mond läuft mit.
Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht.
Die Stimme eines Mannes spricht:
Das Kind, das Du empfangen hast,
sei Deiner Seele keine Last,
o sieh, wie klar das Weltall schimmert!
Es ist ein Glanz um alles her;
Du treibst mit mir auf kaltem Meer,
doch eine eigne Wärme flimmert
von Dir in mich, von mir in Dich.
Die wird das fremde Kind verklären,
Du wirst es mir, von mir gebären;
Du hast den Glanz in mich gebracht,
Du hast mich selbst zum Kind gemacht.
Er faßt sie um die starken Hüften.
Ihr Atem küßt sich in den Lüften.
Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

男と女がいて、女が身ごもる子供の父親は、そのかかる男ではない。だが、男は苦悩の先において、女が身ごもる子供を我が子のものとして育てる決意をする、というもの。

これは、なにか聖書であるか、あるいは村上春樹の「騎士団長殺し」のモティーフでもあるかのような。愛情とはこのように、「私(わたくし)」を捨ててすべてを受け入れるものなのか、と。

芸術というものは、文学であろうと音楽であろうと、人間の極地を描くことにより、人間の価値を高め認め育てるものです。このある意味で愛情に関する排他性を乗り越える感覚というのは、無私の愛であり、ある種アガペーに近いものでもありえます。

ロボット三原則のなかには、自分の身を守らなければならない、という条項があるように、人間もやはり自分の身を守る必要がありますが、その先の試練として無私の愛があり、それを乗り越えるという営為が想定されているのではないか、という感覚。

辻邦生の「ある生涯の七つの場所」のなかの感動的な短編を思い出しました。「赤い扇」という短編です。その中の一節。

相手が好きになるとは、相手のみになるのではなくて、自分の好みに相手があうかどうかを定めることじゃありません?
(中略)
もしそうだとしたら、恋愛で一番大事なのは自分です。よく恋のために死ぬなんてことがありますわね。でも、それは、自分の好みを実現している相手に殉じるのですから、結局は自分のために死ぬのと同じです。本当に無私ならば、決して自分の好みなどに引きつけてかんがえるわけはありません

辻邦生『赤い扇』ある生涯の七つの場所より「椎の木のほとり」中公文庫415ページ

普通の恋愛は、おそらくはエロスとよばれ、神の愛はアガペと呼ばれますが、先日、美はアガペーのようだ、ということを書いたりもして、おそらくはこの浄められた夜の男は無私の愛の境地に達し、そうだとすると、それ自体が人間の高貴な秩序にむけたアガペー的で美的な行為ということになるのでしょうか。ここではアガペーという言葉を幾ばくか恣意的に使っているわけですが、それは美的行為が神的意味を有するという相関関係においてわざと使っていることになるでしょう。

さて。この夜は、少しずつ涼しくなっていて、コオロギの声が聞こえ始めました。会社の若い人が「ようやく秋ですね」と話しかけてきて、「もうすぐ春ですね」もフレーズが聞こえてきて、春を待ちわびるのも、秋を待ちわびるのも質的には変わらないのかも、と思いました。シェーンベルクは無調の世界へと旅立ちますが、私たちはどこへ向かうのか。この秋を超え、冬を越え、次の夏へと向かう道程において何が待つのか。そんなことを考えながら、デスクライトに照らされたPCに向かって文章を書いています。これが幸福なのでしょう。

また次も書けますように。みなさまもよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

「作品が湛えている美に触れることは、その後の生き方を決定的に変えてしまう。美とは本来そういうものだし、またそういう形で美に触れなければ、真に作品を見たとは言い難い」

辻邦生の言葉。

美とは、本当にそういうものです。私も、何度かそういう経験をしました。ゆえに生き方が変わりつつあるように思います。

美のもつ秩序Orderこそが、世界を拡散から守り、一つの体系へと統べているのではないか。

それは、西田幾多郎の言う統一力のようなものではないか、と思います。

意識を離れて世界ありという考より見れば、万物は個々独立に存在するものということができるかも知らぬが、意識現象が唯一の実在であるという考より見れば、宇宙万象の根柢には唯一の統一力あり、万物は同一の実在の発現したものといわねばならぬ。

西田幾多郎「善の研究」より

バラバラな意識や考えも、説明できないなにかで繋がっています。間主観性とか、集合意識とか、言語ゲームとか、そういう言葉で語られるのかも知れませんが、『美」が持つ目的を超えた合理性に世界に秩序を齎す秘密があるのでは、と思うのです。美とは、それ自体に目的や機能はなく、ある意味無償の価値でありそれはアガペーにも通じるものがあります。辻邦生が『春の戴冠」で美に神的なものを見ようとしたのも肯けます。

そうした美のもつ秘密を解き明かしたい、という思いに、このところ囚われています。美がもたらす秩序を見て、なにがどうしてこうなるのだろう、という不思議を感じるのです。

そんなことを考えながら、今日は帰宅しています。コロナで少なくなったひと握りの乗客を乗せて夜の通勤列車は進みます。

みなさまも良い夜を。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今日は終戦の日です。75年。ついこの間、50年だったと思ったのですが、時がたつのは本当に早いものです。

辻邦生が戦後50周年にあたって書いた文章を読みました。

今では、国と個人は権利的に対等に立っている。これは日本では、戦後に確認された意識と言っていい(中略)それは個人の尊厳と自由に対し、何ものも犯し得ないという認識だ。しかし、これは「祖国」のために死んだ人の意味を決して無にしない。「祖国」とはここでは「愛する人々」の別名だからだ。「愛する人々」は今やアジアへ、世界へ拡がっている。

辻邦生『変化する歴史に沿って』「辻邦生がみた20世紀末」2000年、信濃毎日新聞社、259ページ

ここには書きませんが、この文章には、敗戦国の無常についても書かれています。おそらくは個々の兵士たち人間たちは、敗戦国の無常を想定し、郷里のため、家族のために戦ったのでしょう。それが自由意志であったかのように。

おそらくは「国と個人は権利的に対等」ですが、それは先人の血によって勝ち取られたもので、不断の努力で維持しなければならないものですが、どうでしょうか。

世界的に危機が少しずつ迫っているような気がしてなりません。歴史は変化し続けているのです。

やはりできることは「個人の尊厳と自由に対し、何ものも犯し得ない」という認識を持ち続けること、です。これだけは譲ってはいけませんし、自分自身もそうであるように行動しなければなりません。

東京の夏は今日も暑かったです。どうかみなさまもお気をつけてお過ごし下さい。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

昨日の個人的な直感を経てから、なにか辻先生が書いていることの理解が変わった気がしています。今までは、頭でわかっていたつもりでしたが、すべてが一瞬にして変わり、新たな理解に到達してしまった感があります。

似たような経験をしたのは、1994年晩冬のこと。親戚の結婚式に向かう上越新幹線の中で、西田幾多郎「善の研究」が語る純粋経験の主客未分を体験的に把握したことがありました。あのときの感覚を思い起こしています。使い方を間違っていないのであれば、ベルグソンのエラン・ヴィタールのような跳躍でした。

今朝も「言葉の箱」をKindleで読んでいたのですが以下の言葉がなにか痛いほど刺さってきました。

人間として存在していることが言葉としている存在していること

辻邦生「言葉の箱」No.210/1537 Kindle

私は、これまでは人間足るべきものは、言葉によってその存在証明をするのだ、という意味合いと捉えていました。昔見たフランス映画で、小学生たちに「話さないことは存在しないこと」ということを教えているシーンがでてきたのを覚えています。西欧では、話さないことがすなわち人間として存在しないことだ、とうことを知ったのですが、そういうことを述べているのではないか、と考えたのです。

しかし、この「人間として存在している」と「言葉として存在している」が同義であると言っているということは、ひっくり返すこともできるわけです。A=Bであれば、B=Aともいえます。

「言葉として存在していることが人間として存在していること」

そうすると、言葉がまずあって、その後人間が存在していると言うことになりますが、それは言葉が人間を形成するという作用を暗示するわけです。

はじめにロゴスあり、という聖書の言葉があり、、言葉が人間を作るというのは、前後逆であるように見えて、実は言葉の強大な力を表現しているものなのだと捉えました。よく言われる「言霊」ということなのでしょう。

西欧においては、人間が起点となり、人間が世界を形成します。しかし、どうも日本(あるいは東洋?)においては、人間が世界を形成するのではなく、世界があって人間があるように思うのです。それは単純な経験論ではありません。言葉による世界が、人間を形成するという意味であり、それはなにか西田幾多郎の主客未分とも似ているように感じます。そこに主客=人間と言葉の依存関係や優劣性はないのです。

これは哲学の学問的議論ではなく、あくまで随想ですので、議論するものではなく、直感を文章かしようとしているものです。しかし、昨日の直感以来、「言葉の箱」の文章のすべてがこれまでと違う意味を持ち始めてしまい、驚き困惑しています。それは私の解釈だけであって、辻先生がそうした思いで書いておられたのかはよくわかりません。しかしながらそれが解釈であったとしても、その状況をどこかに書き留め表現しなければならないという衝迫に駆られているようです。

ほかの箇所でもいろいろと気づきがあったのですが、今日はこのあたりで。みなさまもどうかよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

21年は長く短い

今日は、辻邦生先生のご命日。園生忌です。21年前になります。

今年の思いは、「21年は長く短い」です。

歳を重ねるにつれ、10年前の記憶が産まれ、15年前の記憶が産まれ、20年前の記憶が産まれます。そうしたあらたな記憶が産まれることに、当初は驚くのですが、そうした驚きもいつしかなくなり、21年前の記憶が鮮明であることにも驚かなくなります。21年前の記憶と1年前の記憶に質的差異は全くないのですから。そういう意味では、辻先生の記憶もなにかまざまざと迫ってくるものがあります。

21年前辻先生と文学についてお話しするのが夢でしたが、その夢は潰えた、という思いを抱いた、という記憶もありますが、もしかするとそれも、後解釈で付け加えられた別の記憶であるかもしれず、もはやなにが正しく真実であるのかはわかりません。

今日、この新聞記事にある「美」と「言葉の力」というテーゼが、ストンと腹落ちするのを感じました。それは、少し前から少しずつ腹落ちに向けて考えていたことなのですが、本当に偶然に、この辻先生のご命日に腹落ちしたのでした。腹落ちした瞬間は、今日が7月29日であることと関連付けていなかったのですが、夕方になって、今日という日付のことを改めて思い出し、文字通り声を上げて驚いたのでした。

「美」と「言葉の力」

それにしても、いままでこの「美」と「言葉の力」を理解していた気がしていたのに、全く理解していなかったのでした。そのことも驚きますが、今日というこのタイミングで腹落ちしたのも運命的です。

きっと「美」にも、なにかしらの実践的な意味があるのだろうなあ、ということで、それは「食べ物もなにもない焼け跡で、文学が何の役に立つのか」ということの答えになるものではないか、とも思うわけです。しかし、「腹落ち」という非論理的な営為を言語化することは難しい仕事なので、これ以上語ることはできず、おそらくはこの先何年もかけて言語化していかないと、と考えています。

おわりに

ところで、一昨日から巻頭言をホフマンスタール「ばらの騎士」から「春の戴冠」に変えました。世の中は腹が立つこともあるのでしょうけれど、それ以前に充足していることのほうが大切です。

今日はこのあたりにしておきます。コロナ以降、私も少しずつエンジンがかかってきました。これまでより頻度をあげて書こうと思っていますので、お時間のあるときに是非おこしください。

おやすみなさい。

Tsuji Kunio

「くる日もくる日もノートを書いていても、それは、あくまで〈生きること〉を一層徹底させ、没入的にするための作業、といった趣を持っていた」──辻邦生『空そして永遠』より。

辻邦生のパリ留学時代の手記をまとめた『パリの手記』。その最終巻の『空そして永遠』を鞄に入れて過ごしました。帰宅の電車のなかでなんとなく開いた最後の「あとがき」にこの言葉がありました。

辻邦生は、まるでピアニストがピアノを弾くように、たえず書く、と言っていました。書くことは、文章を作り出すということ以上の意味を持ちます。世界を作り出していたのでしょう。その世界とは、書き手だけの作りうる完結・統一した世界なのだと思います。

それにしても、こんな風に、生きることに打ち込み、やることが生きることと直結していたら、そんな感想を持ちます。

やることと生きることが繋がっていなければならず、そうでない時間は浪費になりかねません。生きることに繋がることをやるのが人生への責務なのだと思い、責務を果たすために努力をすること。これに尽きるのだな、と思います。

Tsuji Kunio

1992年2月だったか。受験に上京し品川プリンスに泊まった。とにかく寒い頃だった。泊まったのは一番古い棟で、となりの部屋のビジネスマンが見るテレビの音が聞こえるような壁の薄い部屋だったが、ひとりで泊まるホテルに、なにか大人になったような気分を感じたものだ。

もちろん、当時はとにかく辻邦生を読んでいた。受験勉強そっちのけで。むさぶるように呼んだのは、古い新潮文庫『見知らぬ町にて』だったはずだ。『風越峠』や『空の王座』の哀しみに心を打たれていたはずで、『見知らぬ人にて』はまだよくわからなかった。

ホテルには小さな書店があった。新刊の文庫が何冊か書棚に並べられていた。ステンレス製の回転する本棚だったようなかすかな記憶もある。そこに、辻邦生の文庫が置いてあった。肌色の背表紙には『霧の聖マリ』と書かれていた。「聖マリ」という語感に身震いした。殺伐とした受験の中に、なにか、柔らかく、温かみのある、美しい存在が掌のなかに入っているような感覚だった。

辻邦生の書くあとがきには「一九九一年師走 高輪にて」と記されていた。ちょうど品川プリンスの裏手が高輪にあたっていたことを当時の私も知っていた。

なにか運命的な邂逅を果たしたような予感だった。

あれから28年。

バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、ロンドン、ペキン、リオ。7つのオリンピックを超えた。そして東京。

その文庫は私の書棚の一番上のよく見えるところに置いてある。

四半世紀を超えた文庫はさすがに変色している。『霧の生命マリ』にはじまる『ある生涯の七つの場所』に属する七冊の文庫のうち何冊かは、糊が剥がれ、ページが外れはじめた。本にも寿命はあるようだ。それでも記憶は残り続けていて、私のなかでは、四半世紀前の、新しいままの『霧の聖マリ』が今でも本棚にあることになっている。

もっとも、殺伐としているのは受験ではなく、この世界だった。この背理の世界で、僅かに在る真実にときおり触れるたびに、まるで薔薇の棘に手をかけたような甘い痛みを感じるのだ。イバラの冠をかぶるとはこういうことなのだろうか。

いつか、おそらくはいくつかの四半世紀を超えたさきの、永遠の眠りにつくときには、願わくばこの本とともに眠りたい。そういえば思うほど愛おしい本だ。それぐらいは許してくれよう。

Tsuji Kunio

私には旅の絵はがき以上に一冊の時間表が汽車の旅をまざまざと呼びおこす。ああ、今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう。

辻邦生の『地中海幻想の旅から」を読んでいる。昨年末に中公文庫から出版されたもの。もとは1990年にレグルス文庫から出版されていた。私はこのレグルス文庫版を1993年1月に神戸の書店で入手したはずだ。

受験を控え知恵熱か風邪熱か分からない高熱に苛まれながら、おそらくは人生でもっとも充実した勉学の時期を過ごしていて、有名講師の現代文の講義があるからと言うことで、当時住んでいた北大阪の街から電車を乗り継ぎ神戸に向かったはずで、当時習慣のように、新刊書店古書店があれば店内に入、タ行の作家が並ぶ場所に辻邦生の著作が並んでいないか確認し、持っていない著作を見つけては購入するという生活を送っていたはずだ。

それにしても、辻邦生の筆致はあまりに美しい。ギリシア彫刻の描写は絶品だし、そこに描かれた欧州の空気は、半世紀の時を超えていまここに現前しているかのようで、その場の空気の匂いまで感じ取れるようだ。

この本には、辻邦生が鉄道の旅を描写するエッセイが納められている。「ヨーロッパの汽車旅」と題されたそのエッセイは、辻邦生が初めての留学で、マルセイユからパリへ向かう汽車旅で感じる横溢する幸福感に圧倒されたり、寝台列車や食堂車の高揚が描かれている。

私も、かつてひとりドイツを旅したときに、ドイツ版新幹線であるICEに乗り込んだ。

それは若い時期の冒険だったのだろう。フランクフルトからひとりライプツィヒ、ワイマールを経てドレスデンへと向かったあの旅は二度と戻ってこない。あまりの緊張に微熱を出しながらも、ジャーマン・レイル・パスをバリデートし、フランクフルトの広壮な中央駅から白い車体に赤いラインのICEのプラットホームを探しだした。

あの、車窓に広がる雪をかぶった丘陵地帯、飴色の夕陽に輝く河の滔々たる流れ、鄙びた農村の無人駅。

ああした風景は二度と還らないのではないか。

もはや、欧州を鉄道で旅することなど出来ないのではないか。

その寂寥感はあまりあるものだ。

辻邦生が描く鉄道への郷愁は、私にそうした残酷な諦観を強いるものだった。冒頭に引用した一文、「ああ今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう」を読んだ途端に、こみ上げる寂寥の思いとともに、嗚咽と涙が止まらなくなったのは、この果てしない喪失感のためだったのだ。

果たして、この寂寥が、現実なのか仮象なのか、私にはまだ分からない。

続くエッセイ「恋のかたみ」にはこんな一節がある。

一瞬のうちに愛の真実を生きた人にとって、その結果がどうあろうと、ともかく生きるに値した生があったのである。私たちの多くは、会社員となり、人妻となり、財産や地位に依存しながらも、一生かかって、結局、生に値するものを見いだせないのが普通なのだ。

ここで述べられている「愛の真実」は、S**さんという女性が過去の愛人にむけるひたむきな愛情のことを指している。だが、「愛の真実」とは「生の真実」でもある。

「生の真実」を生きれば、はたしてまた外国の鉄道に乗りゆく未来があるのだろうか。車窓に広がる異国の風景と、人々の息づく姿を眼前に観る機会を恢復できるのだろうか。生きるに値する生となるだろうか。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生が生まれて94年目です。

また、今年は没後20年の節目でもあります。

生きておられたらまだまだたくさんの豊穣な作品群を産んでおられただろうに、と思います。

私が初めて辻邦生作品を読んだのが、1989年の夏ですから、あれから30年、という年でもあります。もちろん、私の先輩の読み手の方もたくさんいらっしゃいます。また、私より若く鋭い読み手の方とも知り合う機会も得ました。本当に、まだまだ辻文学は生きている、と思います。

しかし、このところ、辻文学に親しむことができずにいる、というのが悩みでもあります。さすがにこの生活状況にあって、文学に身を浸すことはままなりません。目まぐるしく動く身の回りの環境の中で、どうやって過ごすべきか、頭を働かせなければならない状況にあって、真実の世界ははるか彼方のように思います。

真実の世界を垣間見ることのできる窓や扉が、文学であり、あるいは芸術である、という直感を得たのはこの数年のことで、そうした窓の隙間から雫のようにしたたる美しさを見逃すことなく見つめ、あるいは時にその真実の雫に触れてみることが、生きる喜びをということなんだと思います。

先日、国立西洋美術館に参りまして、印象派の作品をいくつか見ましたが、やはり、それは、真実の世界への窓のように思え、いつかはあちら側を眺めたいという欲求に駆られました。

辻邦生の文学もやはりそうしたもので、たしかに、暗鬱な結末を迎える「春の戴冠」でさえも、その半ば達する昂揚は筆舌に尽くしがた甘美なものです。そうした甘美な雫にいくばくかでも触れること自体が、何か生きることの意味を感じさせるものです。

そうした甘美さの雫は、文学や芸術の窓からだけではなく、実のところいたるところにある真実の窓から滴り落ちているようにも思います。そうした真実の雫を見逃してはなりません。私も最近は、仕事場との往復に明け暮れ、実用にしか目が向いていなかったように思います。思考が硬直化し、何かさまざまな行き詰まりを感じていたように思います。昨日、自然にふれ、今日の辻邦生生誕祭(?)にあたって、何かさまざまなことが明澄な光の中に戻りつつあるのを感じます。

こうした気分になるのもやはり真実の雫に触れているということなんでしょう。辻先生なら至高体験とおっしゃるかもしれません。

また、これからも辻文学をも読みながらも、一年一年新しいことをやっていくことになる、と思います。

長くなりました。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

今日は7/29、辻邦生先生のご命日です。

軽井沢で倒れられてしまった辻先生。それでもなお、20年経った今でも新刊本が出るというのは、辻先生の作品が今でも生きているということなのだと思います。

「廻廊にて」朗読会

昨日は、学習院大学史料館主催の朗読会「廻廊にて」に行って参りました。午前の部でしたが、キャパは30名で、満員でした。写真は会場となった学習院の東別館です。おそらくはこの通路を辻先生も歩いたことでしょう。

「廻廊にて」は、辻先生最初の長編です。私も3回ほど読みましたが、ずいぶん前でのことになりました。おそらくは15年以上は読んでいません。それでも、朗読を聴いていると、いろいろなことを思い出しました。

辻先生の素晴らしさは、描写の素晴らしさ、というのがひとつあると思います。朗読を聴きながら、太陽の光に満ちた回廊を、「光の島」、と表現しているところなど、本当に圧巻だと思います。

それから、匂いの描写。亡くなった親友のアンドレの葬儀で感じる死臭の描写など、身震いを禁じ得ません。

この絶えざる長きに渡る鍛錬と、この一瞬にかける肝のすわった瞬発力は、筆舌に尽くしがたいものがある、と思いました。

「廻廊にて」の暗さ

そして、何より、文学とは喜びであると同時に苦しみも表現すべきこと、を感じました。「廻廊にて」は本当に苦しいことが多いです。

学習院の中条省平先生が、昨日の朗読会の最後に解説として話されていたことのひとつが、「廻廊にて」にある陰鬱な空気というものは、戦争体験によるもので、戦争なしには、生を愛おしく思う、ということは考えられない、ということでした。中条先生は、暗さをバネに生きることを肯定する、とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。

辻文学には、さまざまな死の影が散りばめられる物語が多く、高校時代に読んだ時に、辻文学には必ず死がつきまとう、と考えていました。死があるからこその生、なんだと思います。

(その後、「西行花伝」で、生と死が融合したのには驚きました)

おわりに

そのほかにも、中条先生の刺激的なお話もありましたし、なにより朗読された4人の大学生も素晴らしかったです。

「廻廊にて」は、小学館から復刊していますが、どうやらそろそろ品切れのようです。500円と安く、活字も大きいのでつい買ってしまいました。みなさまもお急ぎください。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。