今日は園生忌です──辻邦生「廻廊にて」朗読会
はじめに
今日は7/29、辻邦生先生のご命日です。
軽井沢で倒れられてしまった辻先生。それでもなお、20年経った今でも新刊本が出るというのは、辻先生の作品が今でも生きているということなのだと思います。
「廻廊にて」朗読会
昨日は、学習院大学史料館主催の朗読会「廻廊にて」に行って参りました。午前の部でしたが、キャパは30名で、満員でした。写真は会場となった学習院の東別館です。おそらくはこの通路を辻先生も歩いたことでしょう。
「廻廊にて」は、辻先生最初の長編です。私も3回ほど読みましたが、ずいぶん前でのことになりました。おそらくは15年以上は読んでいません。それでも、朗読を聴いていると、いろいろなことを思い出しました。
辻先生の素晴らしさは、描写の素晴らしさ、というのがひとつあると思います。朗読を聴きながら、太陽の光に満ちた回廊を、「光の島」、と表現しているところなど、本当に圧巻だと思います。
それから、匂いの描写。亡くなった親友のアンドレの葬儀で感じる死臭の描写など、身震いを禁じ得ません。
この絶えざる長きに渡る鍛錬と、この一瞬にかける肝のすわった瞬発力は、筆舌に尽くしがたいものがある、と思いました。
「廻廊にて」の暗さ
そして、何より、文学とは喜びであると同時に苦しみも表現すべきこと、を感じました。「廻廊にて」は本当に苦しいことが多いです。
学習院の中条省平先生が、昨日の朗読会の最後に解説として話されていたことのひとつが、「廻廊にて」にある陰鬱な空気というものは、戦争体験によるもので、戦争なしには、生を愛おしく思う、ということは考えられない、ということでした。中条先生は、暗さをバネに生きることを肯定する、とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。
辻文学には、さまざまな死の影が散りばめられる物語が多く、高校時代に読んだ時に、辻文学には必ず死がつきまとう、と考えていました。死があるからこその生、なんだと思います。
(その後、「西行花伝」で、生と死が融合したのには驚きました)
おわりに
そのほかにも、中条先生の刺激的なお話もありましたし、なにより朗読された4人の大学生も素晴らしかったです。
「廻廊にて」は、小学館から復刊していますが、どうやらそろそろ品切れのようです。500円と安く、活字も大きいのでつい買ってしまいました。みなさまもお急ぎください。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
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