忙殺とbotherって似てるなあ。なんて。
今日もシベリウスな一日。朝は後期交響曲を聴いて、昼休みはヴァイオリン協奏曲を聴いています。ヴァイオリン協奏曲は、1904年にいったん発表されましたが、批判を浴びてしまいます。その後、シベリウスがブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いて、そのシンフォニックなサウンドに触発されて改訂版を出しました。この改訂版の初演が1905年。なんと指揮者はリヒャルト・シュトラウスらしい。僕は、このシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、交響曲群より欧州中央部の旋律との親和性が高いと思っています。甘く美しくちょっとコケティッシュな感じ。するりするりと手のひらから逃れ出ようとする小鳥のよう。
それにしても、美しさは絶品。夜半前の10時ごろ、きっとまだスカンジナヴィア半島は輝く太陽の内にあって、湖は金色に輝いているに違いない。そんな風景。私は北欧に一度いったことがありますが、それはすばらしい旅でした。純粋に楽しんだ旅行はあれだけかも。ほかの旅行は勉強だったか、今一つだった気がするので。
シベリウス自身は、初期はヴァーグナーやチャイコフスキーの影響下にあったようですが、その後は独自の展開を見せていったようです。ヴァイオリン協奏曲は1903年ごろに作曲でしょうか。ですので、交響曲第2番と3番にはさまれています。
それにしても、第二番も凄いですね。ちょっと忘れないうちに書いておきますが、最終楽章のマイナーフレーズが怒濤のように繰り返され、最後にメジャー和声で華々しく終わるところ、あれ、ショスタコーヴィチの「レニングラード」と同じぐらい偏執的だ、と。
シベリウスな日々──今日はヴァイオリン協奏曲+α
暑さを癒すシベリウスな日々
最近の暑さは大変なものです。とはいえ、私は一日中ビルの中に閉じ込められていますので、真昼の暑さを経験するのは自ずと週末になってしまいますが。けれども、そんなのんきなことも言っていられなくなってきました。朝も暑いですよ。。だいたい6時15分過ぎに家を出るのですが、それでもう暑い。なので、納涼音楽を聴かねば。
で、「夏だけのTUBE」と嘉門達夫が歌っていたのが懐かしいですが、私が発見したのはシベリウスの交響曲群です。シベリウスの交響曲は、数年前まで全く受け付けることが出来ませんでした。明らかに独墺系音楽と一線を画しています。フレージングが全く理解できなかったのです。で、これって、ヤナチェクのフレージングを理解するのが難しいのと同じだと思うのです。いきっと言語学的な背景があるに違いない。
北欧といって、ひとくくりには出来ないことは周知の通り。北欧の覇権はフィンランドを除いては、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの順番に覇権が確立したわけですが、フィンランドはそうは簡単にはいかなかった。ロシアの支配下にあって、20世紀初頭に国民意識が高まり、ロシア革命に乗じて独立するも、その後も白軍と赤軍の内線や、第二次大戦での微妙な立ち位置、つまり、反ロシアの立場から枢軸国に味方してしまうというなんとも危険な賭けで、もちろん賭けに敗れてしまうわけです。とはいえ、第二次大戦後はノルディックバランスと呼ばれる、微妙な舵取りで、資本主義を守りつつ、ロシアともうまくやりつつ、という、極めて困難な時代を乗り切ったわけです。
フィンランドの首都はヘルシンキですが、冷戦下にあっては、ヘルシンキの地下には大防空壕が建設されていたとか30年以上前に、NHKスペシャルで観たのを覚えています。
そのフィンランドの国民意識を高めた国民楽派作曲家がシベリウスというわけです。イタリアにヴェルディがいたように、フィンランドにはシベリウスがいたというわけです。
私は、どうにもシベリウスが分からない時代を20年ほど経験して、この数年間でやっと分かるようになってきました。要は、旋律に親和性を覚えるかどうか、が重要なのではないか、と。私の音楽体験と言えば、どうしても独墺系に偏りがちでした。たまに英仏露にも親しみましたが。だから、どうしても分からないのです。
しかし、今日、交響曲を一つ一つ聴き始めると、体に旋律が染み渡ってくるのですねえ。これには本当に驚きましたし、何よりうれしかった。浮かぶ風景は、冬景色ではなく夏景色ばかりなのが面白い。まあ、冬の北欧に行ったことがないから当たり前なのですが。夏の長い太陽の下で、豊かな森と湖と。ああ、夢のようだ。今すぐに渇望北欧。
シベリウスについてもっと書けるようにがんばろう。やっぱりいろいろな音楽を聴かないとなあ。
さて、今日もいろいろあった一日。ローエングリンは録音できずちょっと落ち込んだけれど。苦しいけれど平気。あはは。
「スター・ウォーズ」はワーグナー的だというよくある意見に激しく同意する。
BSハイビジョンで放映中!
BSハイビジョンで、スターウォーズ6部作が放映されています。昨日まででエピソード1からエピソード3までの3話分が終了しました。エピソード1は飽きるほど見たので、とりあえずエピソード2とエピソード3を見ました。
エピソード3はダース・ベイダーの誕生が衝撃的ですが、やはりあまりに悲しすぎるのが、味方だと思っていたクローン大隊に裏切られ死に行くジェダイたちの哀れさ。私はエピソード1を見た段階では、まだパルパテイーンが皇帝になるとは思いませんでしたが、これほどの仕掛けを敵味方両面に張り巡らして皇帝という絶対権力を手にしたパルパティーンは尊敬に値する。つまり、このストーリーを作り上げたルーカスを激しく尊敬します、ということです。
音楽に着目
今回も、着目したのは音楽。よく言われていますんで、いまさらではありますが、スペースオペラにふさわしいライトモティーフがちりばめられた音楽で、リングの現代版ともいえますね。美しいのはパドメが苦悩する場面に出てくる少し翳りを帯びた甘い旋律。あれを聞くと、本当に唸ってしまう。で、パドメが双子の兄妹であるルークとレイアを生んだ瞬間、ルークとレイアのモティーフが現れてひとしきり感動。
サントラ入手
エピソード4も、飽きるほど見ましたし、エピソード6も飽きるほど見ました。でも、サントラの音源はカセットテープでしかもっていませんでした。音源を強烈に求めているわたくし。それで、なんとかエピソード5のサントラをCDで入手しました。やった!
いやあ、激しく感動。特に良いのが、ヨーダのテーマ、チェロの中低音域の伸びやかな感じで、内省的できわめて劇的で美しい。チェリストだったら垂涎なフレーズなんだろうなあ。エピソード4のサントラだと、レイアのテーマやルークのテーマが美しいんですけれど。早く聴きたい。
そういやあ、ドラえもんの19巻でしたっけ? アカンベーダってのが出てきたなあ。
今週末も音源を求めて行脚する予定。がんばろう。
遅まきながらプロムス2010の一千人の交響曲
今年も来年もマーラーイヤー。
1960年が生誕百年で、にわかに予言通りマーラーの時代が来たわけで、再評価が進んだのですが、今年は生誕150年で、来年が没後100年。早いものです。1960年は私は生まれておりませぬ。。
2010年といえば、「2010年宇宙の旅」ですが、こっちの予言は全く外れています。まだソ連も続いていることになっていましたので。
私の幼き頃は2010年まで世界が続くとは思っていなかったですねえ。核戦争でも起こるんじゃないか、と日々不安でした。ですので、友達と庭に穴を掘って核シェルターを作ろうとしていたぐらいですから。そうしたら、ガスの配管やらが出てきて、親に怒られました。早く埋め戻せってね。
というわけで、プロムス2010のオープニングは「一千人の交響曲」。7月16日夜、ロイヤルアルバートホールにて。こちらのURLでオンデマンドでしばらくは聴けるようです。あと4日。お急ぎを。ちなみに、映像はUK外では見られないみたい。
“http://www.bbc.co.uk/proms/2010/whatson/1607.shtml#prom1":http://www.bbc.co.uk/proms/2010/whatson/1607.shtml#prom1
私が中学生の頃一番好きだった曲こそが、マーラーの交響曲第八番。通称「一千人の交響曲」ですが、この曲にはひとかたならぬ思い入れがあります。なんせ、初めて買ったCDがショルティ盤の「一千人の交響曲」だったぐらいですから。この曲、どなたかは忘れましたが、マーラーの作った唯一のオペラである、というとらえ方があるようです。確かに、劇的な部分は多分にあります。昔からオペラ好きの素地があったと言うことなのかしら。
私が大好きなのは第二部の以下のところ
* マリア崇拝の博士が歌うところ
* 栄光の聖母が「Komm! Komm!」と歌うところ[1]
* 続いてマリア崇拝の博士が、Bricket auf! と歌って、神秘の合唱の旋律を先導するところ。
* 神秘の合唱(言わずもがな)
ライヴならではの疵はあるけれど、改めて聴くと感動するなあ。
ちなみに、この曲、マーラーの交響曲の中で一番人気がないらしい。CLASSICAさんのマーラーの交響曲投票で最下位でした。
“http://www.classicajapan.com/vote/qv.html":http://www.classicajapan.com/vote/qv.html
でも私はこの曲が一番好きだなあ。
今から聞き直してみると、調性が希薄な部分とか激しい転調に気がついて面白い。
演奏終わったあとの熱狂が凄い。こればっかりは、録音だけじゃ分からない。実演は凄いんだろうなあ。
演奏者の方々。大拍手。
* Mardi Byers soprano
* Twyla Robinson soprano
* Malin Christensson soprano
* Stephanie Blythe mezzo-soprano
* Kelley O’Connor mezzo-soprano
* Stefan Vinke tenor
* Hanno Müller-Brachmann bass-baritone
* Tomasz Konieczny bass
* Choristers of St Paul’s Cathedral
* Choristers of Westminster Abbey
* Choristers of Westminster Cathedral
* BBC Symphony Chorus
* Crouch End Festival Chorus
* Sydney Philharmonia Choirs
* BBC Symphony Orchestra
* Jiří Bělohlávek conductor
しかし、この演奏会の一番高いチケットが44ポンドとは、安くないですか? 日本円で6000円弱。ロイヤルアルバートホールはでかいので、それで元が取れると言うことなのか。
今日は、激しく暑い一日。ですが、クーラーつけずにがんばりました。シェスタが大事なのもよく分かった感じ。仕事は捗らない。。。いつも仕事に出かけるカフェは月曜日が定休日なので。
明日から、さらに忙しくなる予定。薄氷を踏む思い。
fn1. ここ、昔、森麻季さんが歌うのを聴いて感動したことがある。あれはあまりに美しすぎて鳥肌がたった。
チェリビダッケのブル5を聴いてみる。
ブルックナーの交響曲を好きな順番に並べてみると。。
5=7>9>8>6>4>3
という感じでしょうか。五番には本当に愛着があります。でも、録音でいうと、あまり印象に残っていない。あえて言うならチェリビダッケ&ミュンヘンフィルの録音でしょうか。
そういえば、2007年にはティーレマン&ミュンヘンフィルを聴きに行きましたし。あのときの緊張感も忘れられない。ティーレマンはかなりの年輩になっていて、渋みすら感じさせていました。若々しさのような甘っちょろいものは全くない感じでした。
“https://museum.projectmnh.com/2007/11/04195214.php":https://museum.projectmnh.com/2007/11/04195214.php
好きなブルックナー振りは、チェリビダッケとジュリーニですねえ。実はどちらもラテン系。チェリビダッケはルーマニア系です。ルーマニア人はラテン系といわれています。ルーマニア語はロマンス語系だそうですので。まあ、いわゆるローマ時代にダキアとしてローマの植民地ですからね。
それで、私は思ったもんです。私はドイツ人がドイツ音楽を振る音源より、ラテン系の指揮者がドイツ音楽を振るのが好きなんじゃないか、と。
ブルックナーの交響曲第五番を久方ぶりにチェリビダッケ指揮で聴いてますが、いいですねえ。この指揮っぷり。テンポが遅いのはまあ常識的ですが、遅いだけじゃなくて緊張含みの熱い演奏です。辛うじてピアノ線で舞台上につるされている感じ。このこのまま止まってしまうんじゃないかとも思える速度で、いやいや、止まらないでちゃんと緊張感とか統制感を保ちながら演奏しますよ、という感じ。だからといって、遅いばかりじゃない。第三楽章の冒頭なんてかなり速度揚げて迫力とダイナミズムを巧く表現している。さすが。
しかし、ミュンヘンフィルは相当しごかれたはず。チェリの可愛がりは怖いです。でも、理想のためには仕方ないですね。最初から二番になろうとしていたら一番にはなれない。「二番じゃいけないんですか?」 ダメです。じゃあ「何でも一番!」これもダメ。人生も歴史も選択の連続です。
でも、最近、私は、全部やらないと行けない、とまたまた思い始めました。
ミュンヘンフィルもかわいそうでした。チェリがレコーディングしたくないから、経済的にもきつかっただろうなあ。で、チェリの次はレヴァインで、その次がティーレマン。でも、CD不況で新録音はすくないでしょうから。
そう言う意味で言うと、ベルリンフィルはチェリじゃなくてカラヤンでよかったかも。ベルリンフィルのいないグラモフォンなんて想像つかない。
五番は印象的なコントラバスのベースラインから始まり、木管が印象的な美しい旋律を奏でます。私はここはジャズに転用できると思っていますが、まあ素人考えでしょうね。弦楽器のピッチカートが支配する場面が多いのでわりとインテンポでも聴けそうなんですよね。
今朝は悪夢で目が覚めて、しばらく動悸が止まらなかった。稼働システムが障害を起こしている夢。名寄せとか銀行引き去りとか、そんな感じのことがうまくいかなくて、夜中に修復している夢。
というのも、最近、稼働させるシステムが、稼働ごとにインシデントを出しまくっているからでしょうねえ。
まあ、僕も悪いんですが、僕だけが悪いわけでもない。ソフトウェア、ハードウェア、環境、周りの人間、全部がそろわないと、きちんとしたものは出来ません。SHELLモデルと言うんだそうです。
ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」のひみつ
とある、裁判のおかげで、私の仕事は大変なことになってきました。みんな大変なんですけれど。
昨日は、「音楽探偵アマデウス」でラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」が取り上げられていた回を食事しながら見ました。あのあまりに有名な第18変奏の秘密など。
当然なのかもしれませんが、あの18変奏は主題とコード進行は同じであることは気づいていました。ですが、あの旋律が、主題の鏡像形というのには気づかなかった。この鏡像形とか、反行形なんかを耳で聞き取るのは私には至難の業です。なので、楽譜見て類推するしかないんですけれどね。
あと、面白かったのは、この曲の第一変奏は、主題の旋律がないのです。コード進行をオケが刻むだけ。これも面白い。これってとてもジャズ的じゃないですか? 最初にコード進行を提示して、そこに主題を載せ、あとは自由に変奏していくという構造。ジャズっぽいです。ラフマニノフはアメリカにわたりましたので少なからず影響を受けたのか? この曲の作曲は1934年。でインプロヴァイズが重要視されはじめたビバップの時代が1940年代以降ですので、ビバップからの影響は考えにくい。1930年代ビバップ以前のスイングジャズの時代。そこからヒントをえたのかしら。おそらくは楽曲構成はキメキメでしょうけれど、コード進行上でソロを回したりするスタイルだったでしょうから。などなど、妄念が膨らむ。
あと、衝撃的だったのは18変奏の右手と左手が四拍三連状態になっていること。つまり左手で三つたたくと同時に右手は四つでたたくという不安定なもの。和声が極めて不協和音な状態から解決に至るという、和声的には緊張と弛緩の繰り返しによって形作られていますが、まさか拍節にまでそうした仕掛けがなされていたとは。。。
ちなみに、私は三拍四連を叩けません。学生のころ、必死に練習したのですが、きちんと叩けたことはないと思います。それどころか、三連符も大の苦手。二拍三連も必死でした。やはり、音楽には数学的才能が必要です。
監修はもちろん野本先由紀夫生。先生は、本当に嬉しそうに楽曲の説明をしてくださいます。自分の発見した楽曲の秘密をそっと教えてくれるときって、きっと嬉しさでいっぱいなんだろうなあ。自分の考えた解釈って、わが子のように愛おしいものに違いないです。私もああいうことを、この場でやってみたい、と常々思っています。時々、楽譜を書くのもそうした欲求の表れです。
野本先生は東京藝大大学院を卒業してハンブルクに留学したのだそうです。尊敬する方。あ、お姿を実際にお見かけしたこともあります。そして、少々言葉を交わしたこともあります。うふふ。
バーンスタインの「復活」!
「新国立劇場2009/2010シーズンを振り返る」は、参考資料読んだりしないと、というところで、まとまった時間が取れる週末でないとかけないことが分かりました。ちょっとお待ちを。
変わりに、今日起きた突然の変化を。
昼休み、廊下を歩いていたときのこと。
いきなり、マーラーの「復活」の第一楽章のフレーズが頭の中に浮かんできたのでした。これには驚いた。軍楽隊の演奏のように、僕が歩くそばから、耳元で「復活」第一楽章を誰かが聴かせてくれている。そんな感じ。
これは、突然のことで、本当に驚きました。なぜ、今マーラーなのか?
実を言うと、マーラーはこの2年ほどほとんど聞いておりません。二人のリヒャルトにくびったけでしたので。つまり、ワーグナーとリヒャルト・シュトラウス。
でも、クラシックを聴きはじめて数年経ったころ、マーラーに開眼したのがこの「復活」でした。小澤征爾が「復活」を振った映像に感涙して、ラジオでバーンスタインの「復活」をエアチェックし、さらに感涙。
けれども、この長大な交響曲をカセットテープに録音するのはきわめて難しかったのです。片面60分が限度の時代でした。どうしてもひっくり返さなければならなかったので、マーラーの交響曲をエアチェックするのはきわめて難しかったです。オートリバースなんていう機能もありましたが、テープ冒頭の非磁部分の音切れも気になりましたし。
その頃から高校の半ばまではマーラーばかり。でも、決まった演奏ばっかりでしたが。ショルティの「復活」、マズアの「悲劇的」、ショルティの「一千人の交響曲」、メータの「巨人」など。高校時代はお金なくて、CDなんて買えなかったし、昼ご飯代を削って、アルトサックスを買うので一杯一杯でしたから。
で、今日改めて、バーンスタインのマーラー「復活」を聴いてみるのですが、これも、先だって「トリスタンとイゾルデ」の回で書いたようにバーンスタイン的テンポ取り。絞れるところまで絞りきろうという、執念のリタルダンド。低速ギアの極致とでも言いましょうか。でもチェリビダッケ的な遅さじゃないんですよね。ギアチェンジは頻繁にしますので。
私が聴いている音源は、DVDでして、1973年にロンドン交響楽団を振った演奏。録音はこちらも中低音が充実した感じです。
なんだか、最近、ちと夜型傾向。朝の早起きはなくなりつつあります。その方が体調がいいということみたいですけれど。明日も思いっきり働きましょう。本も読みましょう。あ、「沈まぬ太陽」第四巻も読み終わりました。明日は辻邦生を読もうと画策中。辻邦生も私の中で復活させないと。プルーストもですが。あー、時間足りない。でも充実化宣言。
虚脱状態にはショルティのマーラー5番
なんだか、虚脱状態に陥りっぱなし。やけに忙しいぞ。
さて、今年はマーラーイヤー(生誕150年)で、来年もマーラーイヤー(没後100年)ですね。
マーラーは1860年7月7日に生まれ、1911年5月18日に亡くなっています。中学生の頃、命日の5月18日にしんみりしていたりしてましたなあ。懐かしい思い出。
というわけで、図書館にはマーラーコーナーが設営されていまして、所蔵するマーラー録音が一堂に会している状態。ですので、ちと何枚か物色しています。
この二年間、ほとんどマーラーは聞いておりませぬが、私の強烈なマーラー体験は、小学6年生に小澤征爾がジェシー・ノーマンなんかとボストン交響楽団を振った復活の最終部の映像をみてからです。
NHKでドキュメンタリーが放映されたのですね。詳しいことは覚えていないのですが、二箇所だけ覚えています。
なんだか小澤征爾が神経質な面を見せる場面があったのですが、それを見ていた父が「芸術家のこういう芸術家ぶったところが嫌いだ」と言っていたことと、小澤征爾の子供達が庭で遊ぶシーン、「復活の最終幕」です。
この「復活」の最終部を聴いてから、マーラーのエアチェックを始めたわけです。
で、苦手だったのが、交響曲第五番でした。マゼール盤を聴いていたのですが、第四楽章以外は全く理解できませんでした。ある種恐怖症状態。
ですが、その呪いを解いてくれたのが、ラトル&BPOのライヴ盤でした。映像も見ましたね。ああ、この曲はこんなに面白いのだ、と得心。第三楽章でホルン協奏曲状態になるのをみて、すげー、と感心したり。
で、今日は、ショルティ盤交響曲第五番を聴いております。
先日来、バーンスタインのマーラーを少しばかり聴いておりましたが、ショルティはスマートになんでもやってのける感じ。そこが、賛否両論があるところなのかもしれませんが、くたびれた体には、ショルティのようなすっきりとした味わいもまた格別でした。虚脱状態の私にはちょうど良いカンフル剤的状況でした。第四楽章が意外と遅いテンポで、ショルティらしくないなあ、とも思ったり。逆にその方が良いんですけれど。
さて、先だって注文していた新しいノートPCが届きました。Windows7に初めて触れましたが、なかなか好感が持てます。私は、MSの戦略にはまらぬよう、メインPCは未だにXPですが、食わず嫌いも良くないなあ、とちょっと反省しまし
難しいことも多いけれど──新日本フィル記者会見発表 その2
昨日に引き続き、新日本フィルの記者会見発表についてです。
まずは、錦糸町界隈の美しさ。並木の若葉がエメラルド色に光り輝いていてまぶしい感じ。
東京スカイツリーも見えました。凄いですねえ。もっと高くなるのかあ。
フランス・ブリュッヘンの希代なるベートーヴェン交響曲全曲演奏
フランス・ブリュッヘンの実に意欲的なベートーヴェン交響曲全曲演奏会「ベートーヴェンプロジェクト」が紹介されました。これはブリュッヘンのアイディアなのですが、以下のようなものです。
まずは、リハーサルを降順に行っていく。
つまり
9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2 > 1
という順番で、各日2,3日でリハーサルを行う。
次に、演奏会のために
1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9
の順番でリハーサルしつつ演奏回を行う。
というもの。これは、トリフォニーホールとの共同制作となるとのことです。当然、最初の降順リハーサルの間は、演奏会を行いませんので、経済的にも難しいプロジェクトですし、リハ会場となるであろうトリフォニーホールの方も相当の負担となるはず。一ヶ月近くどっぷりとベートーヴェンにはまり込むという、素晴らしくもあり過酷でもある試みです。
しかし、演奏する側にとっては、第九から降順にリハーサルをすることで、これから何が待ち受けているのかを知りながら演奏会に臨むことができるといことになり、非常に面白いことになりそうです、
続いて質疑応答があったのですが、ちょっと熱い感じでした。ポイントは以下の通りです。
質疑応答=技術面の充実についてはどう考えるのか?
アルミンク氏は、すべての音楽家は、Gipfel、つまり頂点に向かって登っている途上なのであるから、見守っていて欲しいというようなニュアンスでした。
コンマスのチェ・ムンス氏も、ある種の危機感は持っているけれども、劇的に瞬時にオケが変わることはできない、という趣旨の発言がありました。特に強調しておられたのは、技術の向上という面や、オケが良くなるためには、オケ側の努力も当然必要だが、それを伝えるマスメディアの方や、聴衆側の強力も不可欠なのである、ということをおっしゃっていました。
クラシック界全体の問題として、若い聞き手が減ってきているという危機感もあるとのこと。若い方々にもっと来ていただけるようにならないと、いわゆるクラシック界の未来も厳しいものがあるのではないかというご発言でした。
確かにその通りかも。私がよく行く新国の平均年齢はだいぶんと高い気がする。若い方もいらっしゃるけれど、そうそう多くはないからなあ。まあ、ずいぶんとチケットも値が張りますし、働き盛りの若い方々が、平日の夜に気軽に演奏会に行けるような社会でもありませんので。
昨日、たまたま岡田暁生さんの「西洋音楽史」を再読していたのですが、やっぱりクラシック音楽自体がニッチなものとなりつつあって、力を失いかけているのではないか、という機がしました。
質疑応答=オケのアイデンティティ
先日も、アカデミックな音楽が力を失っていることを書きました。
“https://museum.projectmnh.com/2010/05/07233302.php":https://museum.projectmnh.com/2010/05/07233302.php
質疑応答の中であったのは、日本のオケであるにもかかわらず、日本人作曲家の新作が1本しかないということや、日本で活躍する日本人ソリストの起用がないのではないか、という指摘でした。
アルミンク氏は意図的に日本人を起用しなかったのではなく、たまたまそうなったのである、と強調はしておられました。
ただ、楽曲の選択についても少々厳しい指摘があって、たとえば新日本フィルが海外公演を行ったときに、日本のオケとしてのアイデンティティをどのように保持するのか、日本のオケとして、日本人作曲家の作品をきちんと発信していかなければならないのではないか、というような意見。新日本フィルは毎年日本人作曲家に新作を委嘱しているそうで、蓄積はあるはずなのに、再演がなされていないなど、やっぱり日本人作品の取り上げ方には少々物足りなさがあるのでは、という意見でした。
これは本当に難しい。
私の個人的な意見ですが、果たしてクラシックのいわゆる新作を書くという行為自体、現代の日本においてきわめて難しいのではないか、という点はあるはずです。
需要もそうそうないでしょうし、西洋音楽のクリエイトという行為自体が問われているという側面もあります。海外ではヘンツェやリームなどの作曲家が活躍していますけれど、日本においてはあまりにニッチな領域としか言いようがないです。
これは、日本人が西洋音楽(クラシックだけじゃなくて、ポップスやジャズもそうですけれど)をやる意味とはなにか、というところまで話がいっちゃいますので。これは、今後も考えていかないと行けない課題だと思いました。
最後に
滅多に立ち入ることのできないクラシック業界の舞台裏を見ることができて本当に興味深かったです。こういった一般人をプレス発表に呼ぶ、というチャレンジングな試みはすばらしいと思いました。新日本フィルはかつて数度ほどしか聴いたことがありませんが、ちょっと通ってみようかな、と思いました。自宅からトリフォニーは少々遠いかな、と思って躊躇していたということもあるのですが、意外に近いこともわかりましたので。
お土産もいただきましたよ。フランツ・シュミットの「七つの封印を有する書」の二枚組全曲CDをいただいてしまいました。ありがとうございました。
新日本フィル記者会見発表 その1
新日本フィルの2010/2011シーズン記者発表会に一般モニターとして参加してきました。
オケ業界のプレス発表的な場所に行くのは初めてだったので結構興味深いことがたくさん。来ておられる方とか、私らの業界とはやっぱり違うなあ、とか。
オープニングの映像が凄くて、ヴェルディのレクイエムから「怒りの日」が流れてど迫力。その後、音楽監督のアルミンク氏が「曲は怒りの日ですが、今日はいい日にしたいですねえ」みたいな暖かい雰囲気で発表が始まりました。
ほとんど、音楽監督のクリスティアン・アルミンク氏がドイツ語でしゃべって、それを通訳してくださる感じ。で、この通訳の方、どこかでお見かけしたような、と思ったら、新国「ヴォツェック」のオペラトークで通訳しておられた方でした。
アルミンク氏のドイツ語、つぶつぶの単語は聞き取れるんだが、意味がわかんないです。ドイツ語も勉強したいが、その前に英語だよなあ。。
2010/2011シーズンラインナップについて
ラインナップについては、ウェブ上ですでに発表されていますが、詳細な説明がありました。
“http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html#info100401_1":http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html#info100401_1
強調されていたのは、音楽監督のアルミンク氏に加えて、以下の三名の方のみが客演するという点でした。たくさんの客演指揮者を呼ぶのではなく、少数の方とじっくり信頼関係を築きながらよいパフォーマンスを作っていくのだ、というコンセプトでした。
* ダニエル・ハーディング
* インゴ・メッツマハー
* フランス・ブリュッヘン
いずれも世に名高い方々ばかり。
特にハーディングについては「Music Patner of NJP」というタイトルがついていて、普通の感覚だと「首席客演指揮者」とでもいうポストなんでしょうけれど、なんかチャレンジングな名前にしたいということで、そういうタイトルになったそうです。アルミンク氏とハーディング氏は、タングルウッドで一緒に小澤征爾の薫陶を受けていたそうで、結構親しい仲のようでした。
メッツマハー氏といえば、僕的にはアンサンブル・モデルンを振っておられた記憶が。映像みると、やっぱり歳を重ねておられました。
曲目的には、マルティヌーの交響曲第三番とか、ハルトマンの交響曲第6番などが印象的。あと、ブリュッヘン氏のバッハミサ曲ロ短調も期待したい。
それから、新国立劇場のピットに入って「ばらの騎士」をやるのもトピックとして取り上げられました。これ、私、絶対行きますので、楽しみ。
あとは、「トリスタンとイゾルデ」のコンサート・オペラがあって、これには藤村実穂子さんが再登場します。これも行かねばならないコンサートになりそう。
ハーディング氏のブルックナー8番とか、期待しちゃいます。
アルミンク音楽監督の契約期間が2年延長
次に、アルミンク氏の音楽監督が2年延長となるとのこと。アルミンク氏の音楽監督就任は2003年ですので、2012/2013シーズンまでということになると10年の長きにわたる音楽監督ということで、オケやフランチャイズのトリフォニーホールとの密接な信頼関係を感じました。
アルミンク氏自身も、墨田区に愛着を持ち始めていらっしゃるようで、川沿いを毎朝ジョギングしていると、みんな「おはようございます!」って挨拶してくれてとてもフレンドリーなんですよ、なんてことをおっしゃっていました。
コンマスのチェ・ムンスさんも登壇しておられたのですが、延長発表となったときに互いに抱き合っておりました。いい関係なんでしょうね。
今日は取り急ぎここまで。明日は、
# フランス・ブリュッヘンの希代なるベートーヴェン交響曲全曲演奏
# 質疑応答
などを書きます。
あ、「影のない女」のオペラトークも書かないと。