Classical

はじめに

今年のGWは本当に疲れました。というのもやっぱり5月1日夜間の徹夜勤務でリズムが狂った感じ。ここのところ徹夜勤務続きで、昔は平気だったんですが、迫り来る何とやらには、注意して行かなければならないですね。

大学の友人達と

それで、オフだったGWとある日、大学時代の友人たちと食事を。3人で会ったですが、皆が皆重いものを背負っていることがわかって、なんだか寂しくもあり悲しくもあり、といった感じでした。私の尊敬する友人で、作曲家を目指して頑張っていた友人もあまり、深く音楽に関われていないみたいで寂しい限り。音楽家になると言うことは本当に大変なことです。

最近のアカデミックな音楽の事情

ここで言う「アカデミック」というのは、西洋音楽の流れを受け継ぎ、東京芸大などで教えられる音楽のこと。「現代音楽」と言い換えても良いと思います。決してジャズやポップスなどの音楽とは違います。
ところがここの十数年で、すっかり「アカデミック」な音楽は力を失っているのだとか。
その符牒はいくつもあって、天皇陛下在位十年の奉祝曲はYOSHIKIが作曲し、在位二十年奉祝曲はEXILEが作っているという事実。かつてなら、「アカデミック」な領域にいるであろう團伊久摩や黛敏郎が書いてでいただろうに。
それから、この数年のNHK合唱コンクールの課題曲が純粋合唱曲から歌謡曲の編曲版に変わっているという事実も。
先日書いた「音楽芸術」の休刊もその流れの一つ。
彼はいわゆる「アカデミック」な場で学び続けていたので、商業音楽には属しておらず。強い違和感を感じていたみたい。すでに「アカデミック」な音楽、「現代音楽」などで生計をたてるとか、影響力を持つということはなくなってしまったようです。
もっとも、彼にいわせると商業音楽の聖典であるバークレーメソッドや、MIDIなんかもすでに時代遅れで、時代はサンプリング全盛なのだとか。
なるほど。のんきにシュトラウスやワーグナーに涙し続けたことに何の意味があるのか考えなくてはならないなあ、という重い課題が現れてしまいました。

聴取者の最大の音楽行為

世にはDJという、いろいろな楽曲の再生技法を用いて音楽空間を作る職業があります。ちょっと強引に引き寄せている感もありますが、我々が演奏会に足を運んだり、オペラをみるという行為はDJの行為と実に似ています。昔、女優の岡部まりがレコード芸術で「聴取者の最大の音楽行為は選曲である」といっていたのを思い出しました。
聴いているものが重要なのではなく、それをいかに聞くか、いかに聴かせるか。ここにしかクラシック音楽の進むべき道はないのではないか。だが、それはあまりに豊穣な無限の可能性を持つ自由な世界なのであり、悲観的にはとらえていません。

結論

これからの音楽は、既存の素材の再使用だったり解釈可能性の拡大にあるはずです。私がここで何とかしようと努力しているのも解釈可能性拡大への挑戦なのかもしれません。とりあえずは、「現代音楽」なども含めて、これまでのようにただただひたすら、聴いて意味づけして書いていく、という行為を続けないといかんですね。

Symphony

リンドグレーンの「やかまし村」

いつか書いたように、私の小学生時代はリンドグレーンの影響下にありました。しかし、全部渉猟したわけではありません。お気に入りだったのは「やかまし村」シリーズの3巻。これ、私の宝物でした。今はどこにあるのかしら? 実家の親が本好きの又従兄弟に譲ったのかしら……。
告白しますと、前にも書いたと思いますが、親に就寝を命じられながらも、豆電球でこっそり本を毎晩毎晩読んでおりました。「やかまし村」シリーズもそのうちのひとつ。読書の悦楽。
「やかまし村」は、映画化されていますね。たしか1990年代末頃。新宿で単館上映されていたので会社の振替休日だかを使って見に行った覚えがあります。DVDも買いました。

やかまし村の子どもたち [DVD]
パイオニアLDC (2000-11-23)
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おすすめ度の平均: 4.5

5 子供たちの"ごく普通の"夏休み
5 私の宝物になりました
5 子供と大笑い
4 度肝を抜かれました
4 なんとものんびりしてしまう

やかまし村の春夏秋冬 [DVD]
パイオニアLDC (2000-11-23)
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おすすめ度の平均: 5.0

5 キッズ・ムーピではありません。まるで魔法の演出・撮影
5 子供にとっても大人にとっても
5 『やかまし村の子どもたち』の続編

ああ、余りに懐かしき日々。小学生低学年の時分は、近所の図書館に行ってでっかいソファに寝そべって、本を読むのが楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
やかまし村の一員になるのがあこがれで、よく夢を見ました。やかまし村の子供達と一緒に遊んだり暮らしたりする夢でした。ラッセ、ボッセ、オッレ、リサ、アンナ、ブリギッタでしたっけ? ああ、でも今では彼らももう老人になってしまっているのか、というリアルな考えはやめましょう。
やっぱり映画だと、私の想像とずれているところがあって、そこが面白かった。
納屋があんなに大きくて赤く塗られているなんて想像できなかった。
それから、子供達が夜中にこっそり抜け出して、川に行くシーンがあるんですが、小学生の時分は真っ暗なのによく行けるなあ、と思ったのです。でも、それは誤った認識。季節は夏だったので真夜中でも明るいのですね。映画では、薄暗い感じになっていて、なんだか月夜を強調しているのか、と思ったのですが2002年にノルウェーとスウェーデンに行ったときに謎が解けた感じでした。だって、21時でもまだまだ太陽がまだまだ高いんですよ。23時にようやく太陽が地平線に沈むという感じ。ラヴ夏の高緯度。でも冬はラヴ北回帰線。

機関車トーマス

何でこんなことを書くのかというと、先日イギリス人二人にリンドグレーンのことを尋ねてみたのですが、二人とも知らないという。私の発音が悪くてリンドグレーンが伝わっていないのかも知れないけれど。リンドグレーンよりも機関車トーマスの方がメジャーらしい。
英語では、Thomas, a tank engineというそうな。
でも、彼は今年で30歳なのですが、本は読んだことがなくてテレビで観ただけらしい。私はテレビは観たことないけれど、本は全部読みました。日本語ですが。で、英語版にチャレンジしたんですがこれは意外と難しかった記憶が。
そういやあ、エドワードかトーマスといつも組んでいるアニーとクララベルっていう客車がありましたねえ。懐かしい。
彼がiPhoneでYoutubeの映像を見せてくれましたのですが、ナレーターはビートルズのリンゴ・スターなのだそうです。二重に驚き。

ニールセンの不滅

と言うわけで、北欧の作曲家を。ニールセンの交響曲第4番「不滅」をブロムシュテットがサンフランシスコフィルを振った全曲盤から。この曲は中学2年生頃にエアチェックして親しんでいました。最近まで全く聴いていなかったのですが、15年ぶりぐらいに聴いたときに、余り懐かしく、そして余りにも細部を覚えていて驚いた覚えがあります。
この曲、ともかくスタイリッシュで、わかりやすい。中学生の私は、クラシックに格好良さを求めていましたので、ビヴァ・アレグロ、アンチ・アダージョみたいな感じでしたねえ。そう言う意味ではこの曲は要所要所で極めて激しく緊迫しますから飽きずに聴いていたみたい。
でも、今は第二楽章の木管の静謐な感じも良いなあ、と思う。歳を重ねると認識範囲が広がるのでうれしいですね。第三楽章の悲壮感きわまりない弦楽器のフレーズなんて身震いしちゃう。ああ、ニールセンラヴ。最近オペラしか聴いてないから、なんだか新鮮です。

Classical

ともかく、ラ・フォルジュルネに行って参りました。


人出が多くてお祭り騒ぎで、お天気も良く最高な雰囲気でした。私はコンサートを一つ聴いただけでしたが、ほとんどの公演はすでにチケット完売状態で、ラ・フォルジルネだからなのか、ショパンなのかわかりませんが、大変な人気ぶりでした。

私の聴いたコンサート

私が聴いたコンサートは、コンサート番号243でした。
マリア・ケオハネ(ソプラノ)
リチェルカール・コンソート
フィリップ・ピエルロ
オール・ヘンデルプログラムで、知っている曲もだいぶんとありましたので大変楽しめました。バッハのバロックと違って、オペラ曲と言うこともあって、コミカルな要素や激しい要素が多分に含まれておりました。このマリア・ケオハネというソプラノの方、低音から高音まで実に豊かな言い声を出しておられました。

バロック音楽

バロックと言ってバッハを思い出してしまうのが、私なのですが、それだけじゃないことを本当に痛感です。バロック音楽は1)通奏低音が演奏の中心となる、2)リズムが一定 という二点からジャズやポップスに非常に近いと常々思っておりましたが、それを再確認できました。

お祭りの後

とりえず、会場をぶらりと散策しつつ、食事をしたりして祭りの雰囲気を楽しみました。今年はあまり予習をしなかったのですが、来年はテーマにもよるとは思いますが、もうすこし準備していきたいなあ、と思いました。それから、NHKの生放送をやっていて、黒崎アナを目撃したのが面白かったです。この方、かつて「芸術劇場」の担当だったのでお懐かしい限り。
夜は、大学時代の友人と食事。ちと夜更かし気味です。

Opera,Vocal

やばい、プティボン。

昨日アマゾンUKから届いて、早速iTuneに取り込んで聴いております。この方、凄い。平伏いたします。申し訳ありませぬ。
強烈な情感とパワーを持った劇的で激情的でいながら、なお冷静さや優しさを失わない人間味溢れる声です。今聴きながら書いているんですが、一瞬一瞬がいとおしい。やはり、欧米人の体格でないと、この声は出せないのか。
Wikiによると、1970年生まれのアラフォー世代。旦那様は作曲家でお子様がお一人いらっしゃる。
“http://patriciapetibon.artistes.universalmusic.fr/":http://patriciapetibon.artistes.universalmusic.fr/
Wikiに生年が書いてあるのに驚いたのですが(普通の歌手は年齢出しませんので)、40歳でこのパワーと若々しさかあ、と。私も老いさらばえるのはまだ早い。若者には負けぬよう頑張らねば。

森麻季さんと

ちょっと語弊があるかもしれませんが、このCDは、芸域としては森麻季さんと重なっているように思いました。森麻季さんは透徹とした美しさや豊かな表現力や技術力を持っておられますので、大変好きなソプラノのひとりなのですが(変な噂は内容も知らず無視してます。だって、巧いんですから)、唯一の弱点は高音部の倍音成分の少なさにあると思うのです。プティボンの場合はそこをクリアしてしまっている。
先日、偉大な先輩プロ音楽家の方と話したのですが、どうしても体格のせいなのか日本人の声質が欧米人と異なることが多いなあ、と。これ、クラシックだけじゃなくてポップスも同じ。ピッチコントロールはいいんですけれど。

ちょっと気になる曲たち

それから、有名な"Lascia Ch’io Pianga"、森麻季さんの解釈と違っていて新鮮です。静謐に静謐に歌われている。森麻季さんの場合、ちょっとした感情の高ぶりを表現するところも、淡く輝きながら通り抜けてみせる。スマート。[1]
その次の曲、"Volate, Amori" とか、"Se Il Mio Dolor T’offende"の昂揚感も凄い。ここまで劇的な表現をしてしまうとは。この音楽、いわゆるバッハ的なバロックとは思えん。王侯貴族のためだけの音楽とは思えない。これはまさに民衆のほうにも向いている。

後悔と希望

ああ、こんなことだったら、来日公演に行っておくんだった。激しく後悔。そして、この方の「ルル」の録音を逃したという絶望的後悔。ああ、この声と表現力でルル歌ったら凄いはず。頼む、再放送してほしい。CD化してほしい。
こうなることは、先日のバイエルン放送管弦楽団の「カルミナ・ブラーナ」を聴いたときに予想できていた。あの最終部にかけての表現は凄かったからなあ。
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/18035722.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/18035722.php
というわけで、また増えてしまいました。ラヴリーなソプラノ。激賛勧奨です。

で、ラフォルジュルネ

というわけで、私も乗り遅れないように、ラフォルジュルネに行って、ヘンデルオペラのアリアというご馳走にありつくことにしました。プティボン効果です。GWの前半は仕事なのですが、一日ぐらいはオフにできそうなので、5月3日の公演に行って参ります。
* マリア・ケオハネ [ソプラノ]
* リチェルカール・コンソート
* フィリップ・ピエルロ [指揮]
ショパンにはあまりなじみがない者でして、ちょっと引き気味だったんですが、もうほとんどチケット売れてるんですね。頭の良いピアニスト達が寄り集う東京フォーラムに幸あれ。良い天気になりますように。
fn1. しかし、この曲、思い出深いなあ。「あこがれ、美しく燃え」。強烈すぎて怖かった。映画も見ないとなあ。。。

Chorus

昨日は東京は雪でしたね。もう春は終わったんでしょうか。ちょっと寂しい写真。散り積もった桜の花びら。でもこれからもっと暖かくなって、若葉が生える季節となりましょう。昨日はかなりヘビーな一日でした。ちょっと図書館で本を借りすぎ&ノートPCを持ち歩いたので、体が痛いです。軽くて丈夫なノートPCを買おうかなあ、と思案中。

私のノートPC

私のノートはThinkpad X30でして、もう7年半も使っています。最近は液晶のバックライトがいかれてきて、バックライトがついたりつかなかったり。そろそろ寿命かな。

ちなみに、このThinkpad X30は、ミュンヘンの

Pinakothek der Moderne

(現代美術を集めた美術館)に展示されていました。下の写真の左から三番目がそれ。

ついでに、懐かしのバタフライキーボードをもつThinkpad 701Cも展示されてました。

カルミナ・ブラーナ

さて、いやあ、東京春祭のムーティ「カルミナ・ブラーナ」は行けなかったけれど、日本時間でいうと昨日の未明にバイエルン放送協会で放送されたダニエル・ハーディング指揮の「カルミナ・ブラーナ」の録音に成功しました。最近ウェブラジオは失敗が多くて凹んでいたんですが、今回は成功。やった!

「カルミナ・ブラーナ」は中学生の頃聴いて衝撃受けてました。レヴァイン盤でした。ですが、それ以降は特に聴いた覚えはない。というか、聴くのは10年ぶりに近い。

ジークフリート・イェルザレム

いやあ、ジークフリート・イェルザレムは凄いですね。この方のテノール聴いたとたんにのけぞりました。確かに年齢からくる若干に揺れはあるんですが、なにより声がすばらしい。ハイティンク盤のリングでおなじみだったはずですが、この演奏での丁寧に歌い上げるイェルザレムには少し驚きました。

パトリシア・プティボン

それから、パトリシア・プティボンは、初めて聴いたという御恥ずかしさ。若干のピッチの揺れはありますが、実にドラマティックですね。この方の録音はバロック系が多いのですが、先だって「ルル」を歌っているんですよね。これ、録音失敗してひどく凹んでいるんですが、プティボンのルルを聴いてみたいと強く願いました。来日も良くされているようで、いつも拝見している さまよえるクラヲタ人 さんのブログで取り上げられていて気にしていたので、今回は聴けてラッキーでした。CDほしいなあ。

Opera,Richard Strauss,Vocal

はじめに

フェリシティ・ロットは、いわずとしれたイギリスを代表するソプラノ歌手です。1947年生まれと wik iにはありますので、今年で63歳。私は昨年の10月に実演に触れています。曲はもちろんカプリッチョの最終場。録画失敗したのが悔やまれます。
“https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php":https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php
あのときも泣けて泣けて、涙が出てしようがないぐらい感動したんですが、(思い出しただけれうるんじゃいます)、ロットのカプリッチョが聴けるCDがないかと物色していました。プレートルが振った全曲盤があるのですが、高くて躊躇していたんですが、まずはネーメ・ヤルヴィが伴奏を振っている「四つの最後の歌」などとカップリングされたCDを購入しました。
そして、あまりのすばらしさに感動しております。
# Biem Schlafengehen
# September
# Fruhling
# Im Abendrot
# Wiegenlied
# Ruhe, Meine Seele!
# Freundliche Vision
# Waldseligkeit
# Morgen
# Das Rosenband
# Zueignung
# Des Ditchers Abendgang
# Intermezzo (月光の音楽)
# Closing Scene (カプリッチョ最終幕)#
ちょっと面白いんですが、一般的な「四つの最後の歌」と順番が違うんです。
ふつうは
# Fruhling
# September
# Biem Schlafengehen
# Im Abendro
なんです。なので、ちょっと新鮮な感じです。もっとも、順番はシュトラウスの死後に決められたものですので必然性は低いんですけれどね。

音響の素晴らしさ

このCD、やけに音がすばらしいのです。トラック12のDes Ditchers Abendgang以外は、すべてCaird Hallというところで録音されています。
“Caird Hall":http://www.cairdhall.co.uk/
このホール、かなりすばらしいリヴァーヴなんです。ルカ教会残響の深さは似ているのですが、ちょっと残響の音程は高めです。この絶妙な残響感が、ロットの高貴で品性のある声を十二分に引き立てています。
実は、最初聴いたとき、あまりに美しすぎて、ちょっと引いたんですよ。何というか、不自然さのようなものを感じたんです。
というのはこんな経験をしたからです。
昨年、某日本人有名歌手のCDを聴く機会がありました。そのCD、あまりにリヴァーヴがかかりすぎていて、どこで録音したのかと見てみると、ただの音楽スタジオでした。リヴァーヴをエフェクターでかけ過ぎていたんですね。私は大変失望したんですが、ロットのこのCDにも一瞬同じ危惧を抱いたのだと思うのです。しかし、聞き込むうちにそれは危惧から感嘆に変わりました。日本人歌手の場合、すでに絶頂期は過ぎていますので、完全になんらかの悪い要素を消すためにリヴァーヴをかけていたとしか思えなかったんです。しかしながら、このロットのCDはそうとは思えません。純粋に美しい。天から降ってくる歌声といっても過言ではないです。

Das

Rosenband
また別の機会にも書こうと思ったのですが、Das Rosenbandを聴いていたら、急に涙が止まらなくなりました。この曲、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターや、バーバラ・ボニーも録音しているのですがいずれもピアノ伴奏です。シュヴァルツコップ盤はセルが振ったオケ伴奏盤ですが、シュヴァルツコップは少し苦手意識があるので、あまり響いてこなかった。でも、ロットのDas Rosenbandは違いました。大きく分けて二つの旋律からなるんですけれど、シュトラウスらしい絶妙な転調の進行に心が締め付けられて、急になんだか母胎に回帰したかのような安堵感を覚えたのです。この曲、今度もう少し突っ込んで研究しようと思います。

「四つの最後の歌」の思い出

私が初めて「四つの最後の歌」を聞いた瞬間。それは映画「めぐりあう時間たち」でした。
“http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html":http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html
メリル・ストリープが、パーティーの準備をしているときにBGMで流れていたのがそれでした。この映画、実に多層的複雑さをもった秀逸な映画で、かなり重い内容なんですけれど、あの時の「四つの最後の歌」は雷撃でした。あらすじはあまり書きませんが、その後の不幸な結末を暗示しているように聞こえたんですよね。この曲を大音響で流しながら料理している姿の切迫感を忘れることができません。
というわけで、今日もシュトラウスでした。ああ、シュトラウスの歌曲全曲盤とかないかしら。あったら買いたいなあ。。

Chamber

大好きな「クラシック名曲探偵」を見ました。今回見た回で取り上げられていたのはアストル・ピアソラ。10年ほど前に池袋のHMVのクラシックコーナーで、ピアソラがプフィツィナーの近くにおいてあったのに衝撃を覚えたことを思い出しました。我が家のCDラックでもやっぱりプフィツィナーの隣がピアソラです。
当時はピアソラブームで、ご存知のとおりヨーヨー・マやクレーメルがピアソラを取り上げていた時代。大学の後輩キーボーディストが、最も敬愛するミュージシャンがピアソラだ、といっていたりしたことも。ピアソラは、パリ留学中にあのナディア・ブーランジェに習っていたんですねえ。彼の音楽こそまさに真正のフュージョン音楽といえましょうか。
私がはじめて聴いたのは、今日ご紹介の「タンゴ・ゼロ・アワー」。このアルバムには苦い思い出がありますが、ちと今は触れないでおきましょう。
# Tanguedia III
# Milonga del Angel
# Concierto Para Quinteto
# Milonga Loca
# Michelangelo ’70
# Contrabajisimo
# Mumuki
* Astor Piazzolla, bandoneon
* Fernando Suarez Paz, violin
* Pablo Ziegler, piano
* Horacio Malvicino, Sr., guitar
* Hector Console, bass
ピアソラについて語る資格はないかもしれませんが、ちょっと書かせてください。
当時、この曲を初めて聴いた途端に浮かんできたイマージュは、大変月並みですが雨に打ちぬれた欧州だか南米だかの古い都会の風景でした。人々の暗い情念、焦燥、憂鬱、諦念などなど(なんだか、村上龍とかこういうこと言いそうですよね)。
人通りのない夜の欧州建築が立ち並ぶ交差点で、道路は絶対に石畳。オレンジ色のナトリウムランプが交差点から互い違いにワイヤーでつり下げられている風景。誰もいなくて静まりかえっている。聞こえるのは雨が傘にたたきつける粒状の音。時折、水音を立てながらヘッドライトが走り去っていく。明かりの漏れた窓から、誰かの怒鳴り声とか、叫び声、赤ん坊の泣き声が聞こえる。ずっと、そこに立っているんですよ。ずっと。
このアルバムでは、ピアソラのバンドネオンがすばらしいのは当然なのですが、それにもましてヴァイオリンの使い方が実に独特で衝撃を覚えたものでした。ヴァイオリンがクラシック以外で使われた例といえば、まあステファン・グラッペリとか有名ですけれど、そういう正統的な使い方じゃないんですね。特に一曲目ヴァイオリンの使い方、初めて聴いたときはショックでした。
昨夜、この曲を聴いて、まあ「リング」疲れもあって、一日聴いていたんですけれど、気分はブルーな感じ。
ちょっとシャカタク聴きたくなりました。あはは。

Johannes Brahms,Symphony

大好きな「名曲探偵アマデウス」でブラームス交響曲第一番が取り上げられていました。先日も触れましたが、この番組、平易に楽曲の成立史や楽曲分析を取り上げられますので、充実した気分で観ることができます。
毎回演奏映像が取り上げられますが、今回は1992年のサイトウキネンの映像でした。小澤征爾氏があまりに若くて驚きました。18年前ですか。時が過ぎるのは早すぎます。
というわけで、ブラームスの交響曲第一番を聴いてみよう、ということで選んだのがチェリビダッケ。発売は1998年頃でしょうか。私がまだ独身でまだインターネットストリーミングなんてない時代でしたので、喜び勇んでチェリビダッケボックスを買ったのでした。
私がチェリビダッケを知ったのはおそらく1998年だったと思います。何度もブログに書いていますが、渋谷のタワレコで「展覧会の絵」がかかっていたのですね。それも「キエフの大門」が。身震いするほど衝撃を受けました。いやあ、これはすごい、と。あの遅いテンポが作り出す圧倒的破壊力。
それで、チェリビダッケのCDが、生前の彼の意図に反して(まあ、息子さんのイオアン・チェリビダッケ氏の言い分──海賊版に対抗するため──というのもわかりますけれど)、次々と発売されるのを、網にかかる魚のようにどんどん買っていった次第。ブルックナー全集の巨大ケースも買いました。あはは。
それで、今日の久々のブラームス。やはり遅いのですが、それがもう感動的というか衝撃的というか。甘さなんてこれっぽっちもない厳しさ。昔、チェリビダッケがミサ曲第三番のリハで、マーガレット・プライスを詰めている恐怖の映像を思い出しました(「気を悪くしましたか?」とチェリもプライスにその後気を遣うのですけれね)。ここまで遅いのに失速しない高揚力は感動的です。なんだか若い頃を思い出してきました。
さて、週末は飛ぶように去り、また明日から仕事ですが、なかなか休憩所が見つかりません。でも、頑張ります。
ところで、本日時点の読書状況ですが、目標達成ということになりそうです。雑誌数を加算すると、雑誌一冊0.25冊換算で、ちょうど9冊を突破したというところでしょうか。明日から読む本も決まっています。楽しみ。

Chorus,J.S.Bach

なんともかんとも忙しい一週間でした。私の仕事の進め方に問題があるのかしら……。まあ、仕事に限らない話ですが、うまく生きると言うことは、やらないことを決めることである、とどなたかがおっしゃっているのを聴いたことがあります。それから、岩波文庫の解説に、良い読書家は悪書を読まないと言うことである、ということが書いてあったのを覚えています。高校時代の私は、ああ、これは岩波文庫だけを読め、ということなのだな、と勝手に解釈していましたが、結果は岩波文庫ばかり読むわけはなく、ハヤカワ文庫に走っていたんですけれど。これ、今でも変わらないです。岩波文庫を最後に読んだのはいつだろう。社会人になってから「ワイマールのロッテ」を読んだのが最後かもしれない。。。
ともかく、今日は朝早く目覚めました。やはり早朝となると、バロックでしょうかね。単純にNHK-FMの「朝のバロック」の影響ですが。
中学生か高校生の頃、合唱音楽にはまったことがありました。モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲、バッハのヨハネ受難曲などなど、鬼気狂ったことがありました。私は残念ながらキリスト者ではありませんが、それでもミサ曲の醸成する荘厳で神々しい空気には畏怖を感じていました。キリスト教についての基礎知識もないまま、キリエとか、クレドとか、オッフェルトリウムなんていうラテン語の輝きだけが印象深かったのを覚えています。
バッハのミサ曲ロ短調も、やはり中学生の頃に聴いたのが初めてでしたでしょう。90分のカセットテープに録音しました。演奏はどなただったか、忘れてしまいました。しかし、この曲も大好きな合唱曲の一つになりましたね。
そういうわけで、先だって入手したグスタフ・レオンハルト、オランダ・コレギウム・ムジクム・バッハ合唱団、ラ・プティット・バンドの演奏を聴いております。
古楽演奏のテンポは速めに設定されることが多いように思いますが、この演奏も私の印象よりも少し速いテンポで展開していきます。録音は高音ののびが美しく、清澄な空気をよく伝えてくれています。バロック音楽は基本的にはインテンポな音楽ですが、この演奏ももちろんこれにならったもの。
ジャック・ルーシェが、バッハの音楽をジャズに編曲して演奏していますが、あれは、インテンポなバッハだからこそできたものだと思っています。ジャズも基本的にはインテンポな音楽ですので、そういう意味で両者はきわめて親和性が高いのです。
この演奏ももちろんインテンポですが、冷静な演奏は実にすばらしいものです。私のデフォルト印象よりも速いテンポで展開していくのでそのイメージがとても面白くて、個人的にはスリルさえ感じます。
今週は本当にヘトヘトで、どうしようか、と思ったぐらいでしたが、こうして早起きしてバッハを聴くと、なんだか心現れる気分。週末の開放感もあいまって、いい気分になってきました。申し訳ありませんが、土日は仕事を忘れてリフレッシュすることにします。そんな甘いことを言っている場合ではないかもしれませんが。

Symphony

今日は昨日より調子がよいです。仕事も進み出したし会議でのプレゼンも終わりましたので。ですが、人が集まればいがみ合い憎みあうのは仕方がない。人間の感情は実に興味深く奥深い。そもそも自分の感情の動きもおもしろいのですから。

さて、こういうちと疲れたときにはなにを聞くべきか。

今日の答えはブロムシュテットのブルックナー交響曲第八番です。

実は、2005年にブロムシュテットがゲヴァントハウスを率いて来日したときにブルックナー交響曲第五番の実演に接していたりしております。あのときのブルックナーはそうそう忘れられるものではありませんでした。座席がかなり前だったこともあって、オケのピアノからフォルテまでを十全に味わい尽くしました。ブルックナーとはこんなにも力強く雄々しく咆吼する獅子のごとき自然の計り知れぬ力を秘めたものだったとは。こればかりはCDで聞いていただけではわからないことです。

ブルックナーについて語ることほど難しいものはありません。有名な評論家の方ご意見があったり、ブルックナーにのめり込み一家言を持つ方がたくさんいらっしゃる。ノヴァーク版やハース版といった違いも勘案せねばならず、多くの大指揮者が名盤を残していて、それらをすべて網羅し理解しなければなにをも語る資格はないのではないか、という悲壮な状況に陥るのが関の山なのです。

それでも、私はチェリビダッケ、ジュリーニ、シュリーヒトなどを聞いていた時代がありましたね。もう十年以上前のこと。それ以降はすこしブルックナーから遠ざかっていたのです。オペラに開眼したという理由もありますけれど。

そして今日、私がiPodのホイールを回してたどり着いたのがブロムシュテットが振るブルックナー交響曲第八番というわけです。 昨日ぼろ切れのようになって電車に乗っていたのですが、ブロムシュテットのモーツァルトに叩き直されましたので、今日もブロムシュテットにカツを入れてもらおうと思った次第。

これがまたすばらしい演奏。シュターツカペレ・ドレスデンとはちがうライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の中音域の豊かな伸びやかさ。そしてなによりブロムシュテットのデュナミークの巧みさ。

実演で聴いた五番では、あまりのダイナミクスレンジに驚かされました。もちろんそうした驚愕をiPodとBOSEのクワイエット・コンフォートの組み合わせで期待するのは筋違いでしょう。けれども実演を聴いた私には、ブロムシュテットがなにをやりたいのかが分かるな気がするのです。CDではPAである程度のサウンドの調整が行われていますのでピアノとフォルテの差違は気をつけないと惰性に流されるままになる恐れもあります。けれども、ここでブロムシュテットがどういう音を出そうとしているのかが一瞬頭の中に光が通り過ぎるような感覚があるのです。

ブロムシュテットの音楽ですがやはり「まめやか」でありながらも、そこに抒情性といったロマンティシズムがくっきりと現れています。テンポはそうは目立たないもののここでは微妙に動かしているのが分かります。ピアノの部分で低速飛行をしてみせる様は失速すれすれで技を披露するアクロバティカルなものといってもいいのではないでしょうか。

さて、今日もだいぶ書きすぎました。おかげで本を読めておりません。そちらも頑張らねば。